14.我が国の亡国が決まった日

14.我が国の亡国が決まった日
 
ヘンな表題ではあるが、我が国の亡国が決まったのは平成25年(2013年)8月12日の事である。これは平成25年(2013年)8月10日土曜日に元夫に我が子を突然誘拐され、そのために私が相手方に軽傷を負わせた日で、相手方によってその事を散々に利用・悪用され子どもとの関係断絶を余儀なくされた絶望の日ではあるが、我が国の亡国が決まった日とは言い過ぎなのだろうか。
 
いやこれは「相手方の主張が事実ならば、我が国は確実に滅びる」という皮肉である。
 
相手方が、これまでに主張書面で述べてきたことは本当にウソやでっち上げ、誇張と言うよりも「創作」なのだ。その一つに「私が男性警察官3~4人からの制圧を受けてもなお暴れ狂っていて止められなかった」という下りがある。私は確かに女性としては大きい方だが平均的な男性とさほど変わらない。ましてや格闘技などの経験もない。体重こそ授乳期でもあり今よりは少し(女性なのでお察し下さい)重かったくらいか。この程度の「普通の女性」を「日本の男性警察官が3~4人がかりで止められない」ほど我が国の警察官は訓練不足なのだろうか。いや訓練なんて必要ない。また別の書面では私を取り押さえたのは相手方の次兄なのだとも書いてある。どちらにしても、とっさのことに呆然としている女性を抑えるのは男性なら容易なはずだ。まあ次兄に取り押さえられたと言うより、呆然としている私を怒鳴りつけたのはこの相手方の次兄ではあるが、警察官3人で制圧できない危険人物を取り押さえるくらいの人だそうだ。相手方は「次兄は屈強な現場の男」だからとでも言うのだろうか。この次兄は小山田英明(ひであき) 昭和43年12月23日生まれ、東京都東村山市廻田町4-2-7 在住 なので、屈強な男なのかどうかは目で見て確かめていただければ「事実」が分かる。ちなみにこの男は、その2番目の妻である豊美(とよみ)とともに実子誘拐の実行犯の一味である。
 
まあ、この身長165センチ程度の男がどれだけ屈強なのかは知らないが、それだけの人なら出稼ぎ労働者としての現場程度ではなく、近年ならロシアやタリバンあたりで傭兵にでもなる方がずっと稼げるのではないだろうか。普通なら命の危険は顧みずだろうが、日本の警察官が止められなかった女を仕留めたというのだから、米海兵隊の特殊部隊のトップエリートを凌ぐ実力なのだろう。まあ、もはやマンガの世界であることは言うまでもないが、親権さえ騙し取ることに成功すれば、このような分かりやすいウソもやすやすと認められてしまう。なぜなら、ここは日本だからだ。
 
このシナリオを創作したのはブラック弁護士・木村「真実」と共犯者・谷口朋子である。それともどちらかの事務所に餌付けしたシナリオライターでもいたりして。法律事務所なんかやっているよりマンガ原作者の方がいいのではないかとさえ思える。まあこのような輩のようなモラルも何もない連中だから、低俗マンガという非難は受けるかもしれないが、得てしてそう言う低俗なものが流行するものだし、マンガであれば親子断絶のような深刻な被害もない。この言い方、実のところ当事者仲間の受け売りだ。最初は私が深刻に悩んでいるのにパロディ的に扱われて本当に不愉快だった。他人事だからそんな言い方、見方なんだと腹さえ立った。
 
ただ、少し冷静になれば「明らかにおかしい事」が分かるようになってくる。
 
米海兵隊だのマンガ原作だの「ありもしない」視点とまでは言い切れないと思えば「そこの部分」だけでなく、全体につながる「ウソ」と、私が追い込まれた「ワナ」の全貌が見えてくるのだ。
 
考えてみれば、当事者仲間は多かれ少なかれ似たような経緯を辿っている。子どもの拉致・誘拐に警察を呼ばれ、それが口実にされている事も多い。ただ、それが口実なのか、深刻なDVなどの事実なのかを上手く説明する事は出来ない(これは私が出来ないという意味だ)。ましてや私は相手方の「シナリオ通りに」軽傷を負わせてしまった。だからこういう風に扱われるんだと諦めの心境にさえ追い込まれていた。ただ、パロディ的に扱われる中で「何かがあるぞ、これが説明できれば」という思いも出てきたのだ。
 
私が「子どもの誘拐は8月10日で、当時の担当検事が「相手方次第」だが起訴にはならないと思うと言っていた傷害事件が8月12日」と言う事を伝えた時に「これは怪しいぞ」という反応が返ってきたのだが、最初は何のことかすら分からない。それで「いつ(年号)の事」と聞かれたので「平成25年」と答えたのだ。聞かれた日時は平成30年の2月とか3月あたり。事件からは5年近くが経った頃だ。そうしたら「おかしいな、おかしいよ」と益々意味不明の反応なのだ。
 
そしておもむろに携帯電話を取り出して何かを見ると「やったね!大当たり!」とさらに分からない反応。酒席でもあり「酔っ払ってんのか、コイツ」という思いもあったが、藁にもすがる思いで「ちゃんと説明しろ、コラ!」。さすがに脅かしたと思われたのかもしれないが「子どもの拉致・誘拐が計画的なものである場合、その日時には一定の法則がある」と言うのである。
 
その最たるものが休日・休前日であり、大型連休の直前は実子誘拐の要警戒日と言う事を知ったのだ。この話をした平成30年の前々年に8月11日が「山の日」という新しい祝日になっている。この日になったのはお盆前に祝日を制定すれば、大型連休としやすくなるという意見が採用されたためと言う。我が国のお盆は特に決められた休日ではないが、慣行的に8月13~15日が定着している。当初案では前日の8月12日案が有力とされたそうだが、同日は史上最悪の航空機事故の起きた日でもあり事故現場は山でもあり山の日とする祝日に相応しくないという意見があった事や、1日離して11日とする事で、12日を併せて休む大型連休にしやすくなったとも言われている。つまり山の日制定の平成28年と平成29年は、曜日配列上も大型連休になりやすかったから「これは怪しいぞ」と言う事だったのだ。そして「おかしいな、おかしいよ」と言うのは、私の事件(子どもの拉致・誘拐)はそれ以前の平成25年であり、それならば山の日がまだなくて、実行の計画性はどうなのかなと言う意味だったのだ。
 
そして携帯電話で見ていたもの。それは平成25年のカレンダー。今どきガラケーでも過去のカレンダーを参照可能で、過去の曜日配列を調べるくらいワケなくできてしまう。そこで同年の8月10日が土曜日だと言う事が分かる。
 
それで拉致・誘拐決行には「最適の日付」なのだと。
 
この時点では良く分かっていなかったが、当然の事ながら拉致・誘拐実行者の職業などの属性だけでなく「登場人物」、つまりは拉致・誘拐実行のための協力者の手配など、様々な観点から「シナリオ」が描かれているのだと。
 
当時の私は専業主婦だったし、長男は2歳、長女も生まれたばかりの乳飲み子だったし、相手方も週1回程度の帰宅だったしで曜日感覚は殆どないし、そう言えばお盆前なんだなとしか思い出せない。前の大型連休と言えばGWだが、岩手の老婆に「(子どもの誕生が)迷惑だから」と言われたのが、長女の誕生する4月24日の直前の事でGWが27日からの土日、29日の昭和大帝(敢えてこのような表現をさせていただく)の生まれ賜いし昭和の日からとなる直前である。
 
同年のGWの終わりはこどもの日が日曜日となって翌日の月曜日が振替休日となる5月6日だが、生まれた長女には新生児黄疸の症状が出て退院後には別の病院へ通う必要性が生じている。私の退院からGWの後まで、入院中の長女に母乳を与えるために、その病院に通っていた覚えはあるが、まあこの時期は長女の出産もあり拉致・誘拐には適さなかった事は分かる。
 
そしてシナリオ中の登場人物の役割、そして主張書面にある「登場人物のウソ」、更には描かれていない「影の人物」がいると言うのだ。
 
まずは「登場人物のウソ」である。要は私をワナに追い込んで、子どもの拉致・誘拐を成功させても、その後の子どもの面倒は誰が見るのかと言う点だ。子どもが小学生以降のある程度の年齢ならともかく、私のケースで誘拐されたのは2歳児と3か月の赤ちゃんなのだ。まずは拉致・誘拐に際してよりも、そこがポイントになる。拉致・誘拐の実行犯に女性が多いのは、我が国の雇用慣行上、専業主婦やパート・アルバイトなど時間の融通が利きやすい点にある。他方、実行犯が有職で相応の仕事をしている場合、相応の託児施設や「協力者」を用意する必要がある。
 
そこで相手方が「シナリオ上」用意していたのが岩手の老婆・トキヱである。実際に長女の出産に際しては岩手から上京して「お手伝い」はしてくれたのだが、様々に問題を起こし、私を精神的に追い詰めて頂いた。しかしお盆の同時期は前のブログにも書いたように「元々の計画性がないままに岩手からは出てこられない」と言うのだ。まず、拉致・誘拐実行日は帰省ラッシュ初日で、岩手方面へ行く事も難しい。東北自動車道下りは大混雑だし、新幹線も当日では指定も取れない。そんな中で幼児と赤ん坊の移動は無理。むしろ、岩手へ連れ去っていれば「計画性の証明」だ。
 
普通に考えれば分かる事なのだろうが、当時はそこまで思いを巡らす余裕もなかった。また、一つ一つを指摘して明確に反論できるほどの知識もなく、周囲の手を借りてでも解明するのには相当な労苦を伴う。また「他人の言う事など信用できない」ほどに追い詰められた状況である。
 
相手方が現在もなお強調する傷害事件があった故に、私は相手方により全ての落ち度を押し付けられ、法を悪用されてきたのだ。
 
当時の相手方の陳述に私が男の警察官3~4人に押さえつけられてもなお暴れ狂っていたとか、相手にケガをさせた後に「なおも包丁を振り回し叫んでいた」と言うような下りがあるが、それを読むや「これ(ストーリー捏造したのが)絶対東北だね、それも陸奥」という。実際に相手方は陸奥と言うか岩手の久慈出身。陸奥と言う一帯がどこまでなのかと言うのは色々有るそうだが、間違いなく陸奥に該当するエリアである。
 
この時点ではその当事者には相手方が岩手県久慈市出身という事は伝えていない。それどころか老婆が一緒に生活(同居)していると言う下りから、都内近郊の出身というくらいに思っていたのだ。つまりその段階では実際に陳述書面を代筆した代理人弁護士が岩手やその周辺エリアではないかという事であった。弁護士がと言う部分はハズレだが、相手方が東北・岩手・久慈と言うのは大当たりである。
 
これは占いとか霊能力とか透視とか言ったいい加減なものではない、当初は信じられなかったが、民俗学を学んでいれば「容易に辿り着ける」と言うのだ。テレビなどで「県民性」なるものが良く取り上げられたりもするが、私としては確かに気候や風土などで「傾向」くらいはあるんだろうけど、それよりも個人差じゃないのかぐらいに思っていたが、地域の伝承などで根底が大きく左右されると言うのだ。
 
元ネタというか、ベースになるのは「山姥伝説」と言う。カッパ伝説などとともに我が国でも各地に伝わる民話だが、内容はエリアによって大きく異なる。カッパも水の守り神だったり、単なるいたずら坊主であったりもするが、人や家畜を殺す凶悪なものもあったりする。鬼子母神も山姥伝説の一形態であろうが、関東と関西ではお祀りされる像の形状も違うらしいし、多くは夜叉(鬼)から仏に帰依する際の逸話から親子の守護、安産の守護とされるが、その形相から盗難防止のシンボルとしても扱われるエリアもあると言う。
 
山姥も地域で違うが、陸奥はいわゆる「怖い山姥(女鬼)」だと言う。現代的な感覚では「それが何の事なのか」サッパリ分からないが、民俗学的には説明できるのだと言う。「汽笛一斉新橋を」で始まる鉄道唱歌、元々は明治時代に鉄道の発展と子どもたちへの各地の地理や伝承などを覚えられるように作られたものだ。その第3集63番は「昔は鬼の住家とて、人の恐れし陸奥の、果てまでゆきて時の間に、帰る事こそめでたけれ」と言うものだ。要は怖い鬼や山姥伝説が語りつがれる恐ろしい地域の果てまで行っても、帰ってこられるのは鉄道のおかげと言うような歌詞でもあるワケで、確かに伝承(作り話・創作)であっても、その地域に育った子どもは、幼少期からそのような逸話を聞いて育つ。そこで「恐ろしい女」のステレオタイプが刷り込まれるのだと言う。
 
話は違うが、首都圏でも有名な「いいちこ」「二階堂」という九州の焼酎がある。どちらかのメーカーに「吉四六」というものがあるが名称の由来は民話の主人公だ。私は全く知らないが「とんち話」のようなもの。ただテレビ放映もされて良く知られる「一休さん」とは違い、大人の皮肉的な話なんだとか。まあ誰でも知ってる話ではないけど、その地域では当たり前の話のようで、アンチテーゼであったりもしながら、地域性の源にもなっている。
 
ぶっ飛んだ話のようではあるが、私が男性警察官3~4人で押さえ付けられても暴れ狂い、相手方にケガを負わせて、なおも包丁を振り回し叫ぶ女、このイメージは「陸奥の山姥」そのものだと。
 
書き出しにも記したが、私が本当にそんな女で、それをその場で取り押さえられる相手方次兄は、現場の男なんかやってなくて、ロシアやタリバン、ISで傭兵をやっていた方がいい。私だって、アジャコングやダンプ松本、ブル中野を歯牙にもかけないレスラーになれるよ。
 
相手方にケガを負わせて呆然となっていたところをと書けば、夫婦げんかのなれの果てだろうが、どうしてそこまで私を「凶暴な女」に仕立て上げる必要があるのか、その動機を知るためにも、そしてその「影の女」がどういう作用をしてきたのかというところまで全部がつながるのだ。
 
私は傷害事件を正当化するつもりではない。なぜそこまで「追い込まれたか」、そして相手方の「追い込むシナリオ」を明らかにするだけだ。

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