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新卒


私は2回転職をしている。

この年で3社目という経験値はハイペース極まりないと思うので、初対面の人に向かって自己紹介する時には少し恥ずかしい気持ちになる。
全ての入社・退社に理由があるので、まあ本当に仕方ないのですって感じだが、初対面の人からすると“27歳にして3社目”って聞いたら続かない子なんだな…と思ってしまう気持ちも理解はできる。

少しモノ申したい気持ちもあるけれど、嘘ではないし色んな意見があることはある程度受け入れている。


新卒で入社したのは業界大手の化粧品会社だった。最大手と言えるだろう。
大学4年間ろくに過ごしていなかったので、このままダラダラ人生を進めるとやばい、と一念発起し就活した。
就活時の私の大本命は金融関係だったので正直第一希望ではなかった。
大手だし化粧品好きだし記念受験しておくか~と思い受けたら、なぜか受かった。

内定をもらった会社を並べてみた時、入社後の自分を想像して一番ワクワクしたのがその化粧品会社だった。一切の迷いなく入社を決めた。

入社後にある研修期間はとても楽しかった。
“楽しかった“と形容していることで分かっていただけると思うが、その後の業務に活きるようなことはしていない。
気の合う同期と毎日楽しく生きた。研修という名のゆる~いゼミ、もはやサークルみたいな感じだった。
でもこの時に仲良くなった同期とは一生の友達でいたいと心から思う。本当に大好きな仲間だ。


そんな楽しい毎日に、突然 悲劇が起きた。
配属発表だ。
絶望だった。
望みが絶たれる という文字通り 絶望 した。

配属された部署は、化粧品部門ではなく日用品部門だった。
(※化粧品部門:デパートやドラッグストアで美容部員さんがいて説明やタッチアップしながら商品を売る…みたいな部門。日用品部門:ドラッグストアやホームセンターなどの棚に置いてあってお客さんがセルフで使ってみて商品が売れる…みたいな部門。花〇さんとかユ〇リーバさんとかの主戦場。)

今でも配属を受けたときの絶望を覚えている。
メイクや化粧品が好きで入社を決めたので、さっそくその道を閉ざされた感じがして絶望した。
マジか、えっと、うそやん。え、化粧品じゃないやん、マジか、ああ、え。という感じだった。

でもよくよく考えたら、ESに「今後の化粧品業界に多数の美容部員は要らないと思う、気兼ねなく商品を手に取って、使うことができるからこそ購入につながるんだと思う」的なことを語っていた。
超自業自得の配属だったと思う。

この後にもいくつも絶望を感じるタイミングはあるのだが、
間違いなくこれが私の一つ目の絶望だったと思う。
でもそんな私の絶望は気にされることもなく、日常は過ぎていった。


そしてさらに私に絶望が襲い掛かる。
それは配属地の発表だ。総合職の営業担当だったので全国転勤の可能性があった。

「名古屋」

初期配属、女性は基本東京だと思うよ~という何の信憑性もない噂があった。
大学時代まで関西で過ごしてきた私は、東京に憧れがあった。
何でもあって、いろんな人に会える、最高の場所だと思っていた。
(今では東京は何もない、本当に人しかいない虚しい街だなと思っている。軽度のアンチだ。)

配属を受けた時のことを私はあまりよく覚えていない。記憶がない。
ショックが過ぎる出来事は脳が勝手に自動削除してくれているのだと思う。
本当に人間の体はうまくできているとつくづく思う。神様は天才だな。

記憶をなくすほどのショックな配属だったが、正直名古屋自体は普通に楽しかった。
赴任サラリーマンが沢山いて同じ境遇だねとすぐに仲良くなった。ここで現在の旦那となる彼とも出会った。

そんなこんなでプライベートはそこそこ充実した。

問題は仕事だった。

新卒×女性×一人暮らし、ということもあり会社の先輩たちは公私ともに本当に優しく仲良くしてくれた。私はこの先輩たちが大好きだ。この先輩たちを超える先輩にこの先出会えると思えない。それくらい素敵な人たちだ。

そんな先輩たちに支えられていたにもかかわらず、
私は仕事ができなかった。
びっくりするくらい、できなかった。(笑)
解雇されるレベルで仕事ができなかった。

自分のできなさが苦しかった。

そして同時に、いかにして私がこれまでの人生で挫折を味わっていないのか、知った。
威張れる学歴ではないが、それなりに勉強してそれなりに合格してきた。
これまで大した後悔もしたことがなかった。
努力は報われる、頑張ればできる。そんなシンプルな人生だった。

私は与えられた仕事に対して、結果を出せなかった。
結果を出せないどころか、まともに仕事の内容を理解できていなかった。
頑張っても倒せない大きな壁にぶち当たった。

壁は年を経るごとに更に大きくなり、いつの間にか仕事は退屈なものになっていた。

数年のうちに配属地が大阪になり、仕事も少しはできるようになった。
しかし場所が変わっても一切仕事が楽しいと思えなかった。
仕事が楽しい!と言っている同僚を見て、頭おかしいんか?と思うほどだった。
その時 この会社の営業という仕事が根本的に合わないんだ、と強く感じた。

そのあと、いろいろ考えて会社を辞めた。

部署を異動するというのも手としてはあると思うが、現在の仕事でろくに成果を出していない社員に対して、次の部署では頑張ってくれるだろう!と根拠なしに期待する組織ではないだろうと思ったし、そもそもの化粧品自体にも興味を失っていた。

会社を辞めた。

親も大喜びだった大手企業、
誰に話しても知っている超有名企業。

そんな立派な看板を、3年弱でおろした。
辞めようと決意した瞬間、心が軽くなったのを明確に覚えている。
これからは看板ではなくて自分で戦わないと、そんな気持ちになったのも覚えている。

ひとにはそれぞれ 合う仕事、合わない仕事がある。
それは自分が劣っているとか優れているとかではなくて、
性格とアビリティが異なっているからだ。

合わない仕事を3年間して、自分で自分の首を思いっきり絞めた3年間だったが、
自分自身の性格とアビリティに真剣に向き合うことができた。
できない、という自分の弱い部分を知ることができた。

もし1年目のあの時仕事が順風満帆にいっていたら、
こんな風に恥ずかしい過去の経験をさらけ出すことはしなかったと思うし、
仕事ができない、と悩んでいるひとに「がんばれ!とにかく努力あるのみ!」とか的外れなコメントをしていたかもしれない。多分していたと思う。

人生はいつでもやり直すことができる。
人をあやめない限りは、やり直しのきかない人生なんてないと思う。
間違っていたら正しい道に進みなおせばいい、そう思う。

あとは自分のことを信じてあげることも大切だ。
仕事ができない自分に対して、この仕事が私に合わないのでは?と思えた自分、身勝手だが超ナイスだと思っている。
無理に頑張らないでいい、そんな風に思うこともある。
頑張れないかも、と思った時には頑張り方を変えてみるものいいと思う。

私だけは自分のことを一番大切にしてあげよ、そう思っている。。

そんなこんなで新卒の会社での経験は以上。
振り返ってみてもほんとポンコツ社員だったな~と反省している。(笑)

アツアツな気持ちで語った
新卒の私、終了。

さて、2社目の私に続く!(笑)

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