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平和と戦争は紙一重。平和教育ってなんだろう?という話。

昨日、友達と平和教育ってなんだろう。
って話をしてました。

自分たちが受けてきた平和教育では
戦争の悲惨さ、命の大切さ、
繰り返してはならない人災であり、
それを語り継ぐことの
重要性を習ってきた。

今まで平和教育に疑問を持ったことはなかった。けれど話していくなかで、気にも求めなかったことに疑問を持ち始めた。そもそもの平和教育のゴールってなんだろう?

この世界を平和にすること?
この世界から戦争をなくすこと?
自分や周りの命を大切にすること?

よく分からなかった。

この世界は平和である。
と教育すれば、
平和な世界になるだろう。
嫌なことには目をつぶって、見ないことにすれば、平和は訪れるだろう。

この世界を戦争によって、統一的価値観をもって洗脳すれば、平和な世界になるだろう。そのための戦争を目をつぶって、見ないことにすれば、平和は訪れるだろう。

自分や周りの命を大切にするために、正義を振りかざし悪を倒すべく一致団結することや、自己を犠牲にしてでも周りを助けようとすれば、平和な世界になるだろう。そのための善意的悪事や自己犠牲を目をつぶって、みないことにすれば、平和は訪れるだろう。

でも、これってホントに紙一重な話ですよね。
平和教育で習った、洗脳の恐怖。
自分を守るためには誰かを犠牲にしなければならない。相手の顔がどんなのかなんて関係ない。国籍人種性別など分けられるもの全てで、敵味方が判断される。

平和教育で培われるべきものの1つとして、戦争がだめとか、平和万歳ということだけでなく、どうして人が戦争を起こすのか?平和を求めるのか?その背景には何があるのかを考えなければならない

考えた結果、どちらも操りやすいから。という結論に至った。共通の敵や共通のゴールに向かえば、意思疎通が図りやすい。学校でもテストとか規律や謎なルールが多いのも、勉強頑張らせるためとか将来役に立つためという目的のために、操りやすいから存在しているように感じる。

でもそれって平和教育でやってるようなことに逆行していると思いませんか?戦争はダメ!洗脳ダメといいつつ、やってることは操り人形を作るようなこと。目的が戦争に向かっているか、産業人間を増やすことか、違うから問題ないのかもしれないけれど、それでいいのかとは思ってしまう。

まだ結論は出てない。
もう少し考えたいな。
教育のこと。

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