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霊性のある写真家の写真論

いつも見ていただき感謝です。

またまたナゾのタイトルでございますが、いつも通り【自分用の書き出し】として私の写真論をツラツラと綴ってみたいと思います。

私は写真歴はソコソコではありますが、最近になってつくづく写真って不思議だよなぁ、おもしろいよなぁ、と感じております。

遠い記憶を掘り起こすと私がはじめてカメラに触れたのは幼稚園生の頃です。父の使っていたニコンF2を手にもつと、その重さと金属のエッジが幼い私の手には少し痛かったという感触を覚えております。

そして旅行や記念で撮ったスナップを現像し、出来上がったプリントを見て感激したものです。こんどは自分で何枚かシャッターを切らせてもらった記憶があります。

あのシャッターが「パシャッ」と空間を切り裂くような金属音を発するのが、やたら痛快で楽しかったものです。それは今でも変わりませんが。

シャッターを切るってあらためて考えると面白いもので、幼かった私はその音や感触が「いま、いまを切り取った」と分かりやすく伝えてくれるようで、それがただ楽しかったのでしょう。

そう、写真は楽しい。

写真はとっても不思議なもので他のアートや映像とも違い、何かを私たちにうったえているのです。

いまこの瞬間が切り取られ、カメラの中でタイムカプセルのように【瞬間】が二次元の画として保存される妙。さっきの今がもうカメラの中で過去!!

少々飛躍しますが宇宙の果てにあるブラックホールではあらゆる物質、エネルギー、光までもが吸い込まれて消えゆくのですが、その時に物質が持っていた記憶や情報はブラックホールの淵に存在する事象の地平面に二次元として記録されていくそうです。

また神社神道や仏教ではこの事象の地平面のことをアカシックレコードと呼び、宇宙に存在する途方もない情報を収蔵した図書館(または銀行)のようなところなのだそう。

情報や物質が二次元にメモリーされるって何だか写真と同じですよね。
そんなことも何か関係して写真に不思議な魅力を感じるのかもしれません。

もう20年以上も写真をやっているのに、いまになって写真って不思議だ…と感じている理由はスピリチュアル界や量子力学といった物理学など、縁遠いと感じていた分野と写真の世界は密接につながっていた証拠を発見したからです。

それは光です。
写真の基本は光である、カメラの内部は真っ暗な箱で、その内部にいかにして光を取り込んで作品を生むかが写真である。…なんて定説はもはや今さら語ることではありません。

ここで言う光とは写真を生むのに必要な光のことではなく、神秘のエネルギーとしての光の話です。私たちの生きるこの世の何もかもは素粒子で構成されていて、それは全てエネルギー体である。

光も当然エネルギー体であり、私たちの魂もバイオフォトンと呼ばれる、目には見えない光のエネルギーなのだそうです。

20世紀でもっとも美しい実験と言われた二重スリット実験をご存知でしょうか?光子銃を使って光の素粒子の一つ一つを発し、スリットを入れた壁の先に現れる光の様子を実験したものです。

この実験の驚くべきポイントは光はヒトが観測していないと揺らいでいて、ヒトが観測した瞬間に一本の筋となるということ。

つまりヒトは触れてもいないのに、見ただけで実際の光の様子に影響を与えてしまうと分かったのです。ヒトの意識が現実に影響を与える、スターウォーズで言うフォースのようなものが実際にありえると証明した実験なのですね。

この世のあらゆる全ては素粒子であり、光も素粒子のエネルギー体であり、ふだんはユラユラと波のようにゆらぎ、ヒトが見た瞬間に粒になって確定する。

なんだか信じられない話ですが、もう何十年も前に物理学者が実験済みのことで信じる信じないのレベルではないのです。私たちはつい目に見えるもの、言葉や数字で表せるもの、科学者が証明したもの、常識といったものに囚われてしまいがちです。

もっと直感を信じなくてはと知ってはいても、根拠のないことを信じるのはなかなか勇気がいるもの。しかしよく考えると目には見えないエネルギーなんて重力、磁力、電波…いろいろあって既に私たちの生活に役立っていますよね。

それと同じように二重スリット実験が証明してくれた、光の様子はヒトが観測すると波から粒になる…も深く理解できなくても、とりあえず知識として入れておくべき重要事項だと感じます。

ヒトの意識が現実に影響を与える。

マスターヨーダのような力が自分にもある??いや既に自分の意識はあらゆる現実を引き寄せているのだけど、直感が鈍すぎて気が付いていない、あるいはただの偶然で済ませているのです。

このことに気が付き、ヒトの意識とはそもそも何だろう?と疑問を立てて学び始めたのがきっかけでした。

ヒトの脳はご存知のように右脳と左脳に分かれています。それぞれに違った特徴と役割があるのですが、普段の自分が意識として存在している部分は左脳。言語や文字、記憶や特定部分の詳細化なども左脳。

一方で感覚的でイメージで認識するのが右脳であり、普段はあまり使っていない直感的な要素や無意識、潜在意識といったものも右脳です。

現実の様子や光の素粒子達に影響を及ぼすパワーがあるのもきっと右脳。自分の中のもう一人の自分、潜在的な魂に事前にイメージのオーダーを入れておけば奇跡のようなシチュエーションを現実に引き寄せてくれるのです。

上の虹の写真は旅に出かける前日に、就寝する前に私の無意識にオーダーを入れておいたイメージそのものです。運よく虹のシーンを写真にできた・・・のではなく私が天にかけた虹なのです。実際、この場所は県道沿いのセブンイレブンの前で私以外は誰も虹を見ている様子がありません。みんな通勤時間で忙しそうに買い物をしているだけでした。

私の虹なんです。

この潜在意識を使って光の粒子に影響を及ぼし写真作品に反映する方法は、誰でもすぐに出来るわけではありません。

まず普通の人は左脳と右脳を使い分ける制御機能が殆ど機能していません。圧倒的に左脳が優位で脳内でとりとめもなく無意味な思考を反芻しているのです。

左脳と右脳をコントロールする手法は長くなるので割愛しますが、例えばマインドフルネス瞑想や腸内環境を整える、アファメーション(自己暗示)、などがそうです。

これがうまく機能すると奇跡の場面に遭遇し、シャッターを切ったときの光の粒子が「確かな粒として確定される様子」を事前にイメージとして作れるのです。

私たちの生きるこの地球と、その周辺は一定に流れる時間と三次元の空間、つまり時空の世界です。

その中でヒトという肉体に己の魂を宿し、あらゆる物質に囲まれてカタチある世界の中を生きています。

いまという瞬間を、ここで積み重ねて生きることに意識を集中させてみましょう。難しい話かもしれませんが、いちど騙されたと思ってシャッターを切るときに「いま、ここ」と意識して撮るだけで、奇跡を体験できるはずです。

何しろ私たちヒトの潜在意識はバイオフォトンという光のエネルギーであり、それは目の前にある被写体や景色だって同じことなのです。

であれば、目の前にあるあらゆる自然はエネルギーであり、自分と実は一体なのだ、と気が付くことが出来れば、あとは調和すれば奇跡は簡単に起こせるものなのです。

今日も読んでいただき心から感謝です。

写真家:立澤重良

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