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穂村弘さんと、ラ行サ行が苦手な私

歌人の穂村弘さん。
とても有名な方だけれど、写真や映像を見たことがなく、その文章からお若い方なんだろうなあ(四十代ぐらい?)とずっと思っていた。
最近になってプロフィールを目にし、私と同世代、何ならひとつ上と知ってびっくり。

なんなのだ。あの瑞々しさは。

やはり優れた歌人は凡人とは違う・・と思ったのだが、感性が瑞々しいかどうかなんて、そもそも何らかの比較対象があって言えることで、比較する必要のないこと、比較しようのないことを形容するには、相応しくない言葉なのかもしれない。

偶然というべきか、昨日、夫がネットにアップされた穂村さんの写真を見せてくれて、またびっくり。

四十代で通るよね?
見た目も若々しい。
歌を詠んでいるとああなるのか。(違うかもだけど)

で、これまた最近、夫が丸善で見かけて、「これいいんじゃない?」とすすめてくれた穂村さんの著書『はじめての短歌』を読んでいる。
語彙の乏しい私には、この本を読んだ感動をどう表現していいのかわからない。
とにかく面白い。
うわ、なるほど、ああそうだよね・・と独りごちている間に二周目。

日曜のお昼に、やや混んでいるとんかつ屋さんに夫と入った。
「ちょっとこの一節だけでも読んでみて」と、『はじめての短歌』を渡しトイレに行って戻ったら、夫、うるうるしながら大笑いしていた。

いや、本当にすごいのだ。

その中でも、ちょっと嬉しい記述があったので書いておく。

私は舌が短くて、サ行とタ行が苦手。
ラ行の巻き舌なんてのも無理。
幼い頃に病院で、「舌の付け根をちょっと切ったら、もう少し話しやすくなるかも知れない」と医者に言われ、いやいやいやいやいや、舌の根?を切るなんて嫌。絶対嫌。しかも、それによって急にペラペラペラペラアメリカ人みたいになったら怖い。結構です!と子供なりに目に力を込めて拒否した。
お医者さんも本気で言ったわけじゃないだろうけれど。
もう少し舌が長かったら、もう少し上手にサ行が言えるだろうね、ぐらいの気持ちだったはず。

大学時代に何を思ったかD.J.のサークルに入り、バブルちょっと前の、アバウトで軽くて華やかだった時代の六本木の居酒屋で、D.J.のアルバイトをしたこともある。
よくまああんなこと。
思い出すだけでも恐ろしい。
どういう神経してたんだか?
(若いって本当に怖い。本当に怖い。)

それはさておき、後輩の男の子には、
「akarikoさんの、そのちょっと甘えたような喋り方が色っぽくて好きです」なんて言われたりもして、滑舌が曖昧なのは悪いことばかりでもなかったのだけど、私にとってはちょっとしたコンプレックスだった。
耳が悪いこともあって、余計に発音が変なのでは?とも思ったし。

・・で、穂村弘さん。
急にその「ラ行サ行」問題が出てきた。

ラ行が巻ききれない人。
サ行が苦手な人。

なんかちょっとセクシーじゃん、みんな。

え?そ、そうですか!?

「サ行上手く言えない問題」が自分の中で永遠の課題になっている私にとっては、ちょっと神のようなお言葉。

穂村さん曰く、

まばたきがゆっくりでラリルレロが言えない女の人を社員として採用したくてたまらない

らしい。

まばたきがゆっくりって、大竹しのぶみたいなこと?
異性の気を引こうとして、あえてゆっくりまばたきする子いるもんね。

私はラリルレロは言えないけれど、まばたきは早い。残念。

何を書こうとしていたのかわからなくなってしまったけれど、サ行が苦手なことを「ちょっといいじゃん」と思ってくれる人もいるということがわかって、単純に嬉しかった。

とにかく穂村弘さんの『はじめての短歌』はめちゃくちゃ面白い。
「生きる」と「生きのびる」の違い。
社会の枠にガチガチに矯正された我々は、どうやら「生きのびる」ために行動しているらしい。
社会的なものに対する懐疑。
スタンダードから外れたところにこそ得られる面白み。
純粋に「生きる」とはどういうことなのか。
ふだん見過ごしている何でもない日常に、全く違う視点を与えてくれる一冊である。


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