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遺伝性障害を抱えて生きるということ

ふだんは忘れているけれど、時々頭をもたげる不安。
もし娘たちが子供を持つかもしれないことになったとき、そう決断する前に(つまり結婚する前に)、ほぼ100%遺伝するであろう進行性難聴を、先方に、いつ伝えるかということ。

わかっている。
それを伝えて尻込みするような相手なら、そもそも結婚しても幸せにはなれない。
だから、耳が悪いことを伝えて躊躇する人なら、こっちからサヨナラしてやればいいのだ。
頭ではそう思う。

私自身、障害は、人を見極めるリトマス紙だと強がって生きてきた。
けれど、実際には、好きになった人に打ち明けたことはない。
ただ一人、夫を除いては。
夫には、何の躊躇もなく伝えることができた。
娘たちも、そう信じられる人を探せばいいのだ。
だが、現実にはなかなか難しいこともわかる。
障害者が血筋に入ることを嫌う親だっていそうだ。

とても明るくて、優しくて、人気者だった人が、何の話の流れだったか、
「もし障害児が生まれたらどうするかな。殺してやりたいと思うかもな。」と言っているのを聞いたことがある。
恐ろしい。
よっぽど、いまあなたの目の前にいて、あなたが好きだと言っている私は、障害者ですけど?と言ってやろうかと思った。
相容れない人だとわかるから、言うだけムダなのだけど。

でも、万が一、娘たちが好きになった人が、そんなしょうもない(ある意味標準的な軽口?)ことを言ったとしても、
「その程度の人なのよ。わかってよかったじゃない。」
とは、とても言えない。つらい。

夫と付き合うことになった時、=結婚以外ありえない、みたいな雰囲気だったから、夫には、
「実はね、私、耳が悪くて、遺伝性だから、将来的には子供にも遺伝すると思うし、いずれ父みたいにすごく悪くなると思うの。」
と早々伝えた。
夫「ふうん。そうなんだ。」
私「・・・・え?(それだけ?)」
夫「・・ん?」
私「・・え?何か言うことないの?」
夫「ん?言うこと?・・え?耳が悪いってこと?」
私「うん。」
夫「別に何もないよ。だって、耳が悪くたって、akarikoはakarikoでしょ?何の変わりもないでしょ?」
私「え?いいんだ・・」
夫「いいも何も、それがどうかした?」

それがどうかした?

それが夫の真実の答えだった。
結婚して35年。私の聴力はどんどんひどくなっているけれど、夫はいつもニュートラル。
時々、私の耳が悪いことを忘れているのか、助けてくれなくて、私が文句を言うぐらい、それぐらい自然に接してくれる。

だから、娘たちも卑屈になることはない。
気を強く持って!・・とは思うものの、自分のことならいいけれど、娘たちのこととなると、本当に気が重たい。
そんな娘たちは、恐らく私が考えるより、ずっとたくましいのだろうけれど。

難聴の遺伝子は、私の曽祖父の代まではっきりわかっている。
そして、代々医者の家系なので、長子の家はずっと医者を継いでいる。
父のいとこも、私のはとこも。
みんな同じ難聴者だ。
彼らや伯父や父の姿を見て、挫けてはいけない・・と思って生きてきた。
だから、娘たちも・・・・。

果てなく続く堂々巡り。

私自身、少なくとも結婚するまでは難聴をひた隠しにしてきたし、聞こえが悪いことを引け目に感じて、積極的に社会に出ていこうとしなかった。
この先、娘たちが本当にいい人を見つけて、結婚したいとなったとき、どうしよう。
「耳のこと言った?」と聞かずにはいられない。
そして、申し訳なく思う。
私は父からの遺伝を何とも思っていないし、恐らく娘たちも、私から遺伝したことを恨みに思うようなことはないと思うのに。

ため息。
逃れようのない障害と、どう折り合っていけばいいのか。
繰り返すようだが、自分だけのことならいいのだ。どうにでもなる。
だけど、娘たちは。

心配するだけヤボだよ・・。
そう言われるかもしれない。
そっか、夫に聞いてみよう。
どう思う?って。

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