野球好きにさせてもらった中学時代

野球部に所属していた中高大。

そこでどのように過ごしてきたかをまとめていきます。まずは中学時代から。

中学生だったのは今から20年も前になる。

当時の中学野球部といえば、暴言、体罰は当たり前で指導者が絶対的な権力を握っていたような時代だろう。

私の中学校では全く違った。

全校生徒は90名。小学校とメンバーが全く変わらない。同学年の男子は18名しかおらず、そのうち12名が野球部だった。

坊主の強制はなく、体罰、暴言など皆無。厳しいトレーニングを課された記憶もない。

顧問の先生は担任の先生でもあり、私たちの意見や考え方を尊重してくれ、お互いに冗談を言い合うような関係だった。今でも親交がある。

言わゆるトップダウンで命令されたり強制されたりすることがなかったので、伸び伸びと好きな野球に打ち込める環境の中やらせてもらった。

それがその後の人生に大きな影響をもったと思う。

本屋で野球関係の本を漁って買いまくった。理論を読んでは実践し、家でも父親や弟と練習した。

家で実践する筋力トレーニングのメニューを考え、部屋に貼り出した。ダンベルなどの器具を使って2日に1回トレーニングした。

大した成績は残せなかった(それでも30校以上参加する市大会でベスト4まではいった)が、最後まで大きな怪我をすることなく、野球を好きなまま引退を迎えることができた。

この気持ちがあったから、その後も野球を続けていけたし、今の指導の根幹となっている。

将来につながる指導を

中学時代は決してゴールではない。その後の人生の方がはるかに長い。

スポーツをやるなら、「好き」になることが一番重要である。

その後そのスポーツを競技スポーツとして続ける人、生涯スポーツとして関わる人、そのスポーツはやめて別のスポーツや勉強に励む人など、卒業後は様々な道があると思うが、どの道に進んだとしても、中学時代に経験したスポーツが「好き」だという気持ちがあれば、何事にもポジティブな考え方で取り組むことができるだろう。

暴言、体罰を受けながら恐怖におびえ、勝つための野球を強いられる。失敗を恐れて、チャレンジ精神がなくなり、顧問の顔色ばかりうかがう。そのスポーツが嫌になる人も出てくるだろう。

練習試合をしていると、そのようなチームが圧倒的に多かった。指導者のエゴ、自己顕示欲ともいえる。

エラーをしても、フォアボールを出しても、勝手にフォームを変えても怒られることなく、受け入れてもらえた。

だから、それぞれに自主性が生まれた。

雨の中勝手に投げ込みして野球肘になる奴や(これはいけないが…笑)、大会前に気合いを入れて自主的に坊主にしてくる奴もいた。キャプテンだったので、結局みんなで坊主にした(笑)

強制的にやらされる勝利至上主義の野球部だったらこんな雰囲気にはなっていないだろう。

指導者のエゴと自己満で中学生の未来を奪うだけだ。

勝利を望むのなら高校以降で自分自身で選択していけばいいのである。

中学校は自分で選べないのもポイント。

学区の学校に行き、そこで出会った先輩、顧問と部活をすることになる。

言わば選択の余地なく出会った先輩と顧問が体罰、暴言、命令するようなやり方をしてきたら、もう最悪。自分ではどうしようもない。

高校は見学し、事前に雰囲気を知ることができる。自分で選べる。

どのレベルで野球をするか選べる。

勝利にこだわるならそこからでも遅くはない。

だから中学校の全国大会はなくなってもいいと思う。

県大会、地方大会、全国大会とステージが上がるにつれて連投連戦で選手をつぶす可能性が高い。

選手を守るルールを明確にしていくことが必要だろう。

とにもかくにも中学校で野球好きにさせてもらったおかげで、高校では甲子園を本気で目指す決心ができた。

次は高校でのことを書いていきます。ありがとうございました。









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