【書評】名作?迷作?『五分後の世界』から現代の人々へ向けられた皮肉が強すぎる【松代防空壕】
村上龍『五分後の世界』を読了した。
久しぶりに一冊の本の書評を書くけど、この本の第一印象ははっきり言うと迷作だ。
著者は、「W村上」の片方の村上龍さん。ファンも多くたくさんの小説を書いてきた村上龍さん自らが、最高傑作だと語っている一冊だ。
が、その割にアマゾンレビューを見ると、星5から1まで偏りがない。いわゆる賛否両論の作品ってやつだ。
かくいう私も、この作品をレビューしたらきっと星2つか1つにするだろう。
しかし、この作品は賛否両論があって当たり前というか、難しすぎる作品だと思う。…だけど、それでも読んでほしい。
ちなみに、ネタバレかつ私なりの解釈が大量に含まれる。
現実逃避という名の戦争
箱根の別荘地でジョギングしていた小田桐は、気づいたら謎の世界で荒れた大地の上を行進していた。
つい立ち止まったら、何の感情もなく撃ち殺しそうな兵士たちに連れられて。
小田桐も何がどうなったのかわからないのだから、読者の私たちも何が起こったのかわかるわけがない。小田桐は最初この世界が何かわからないが、そこは五分後のずれで現れた世界、いわゆるパラレルワールドだった。
その世界の日本は第2次世界大戦で原爆を落とされてからも降伏せず、小倉、新潟、舞鶴にも原爆を投下される。ソ連軍が北海道、アメリカ軍が九州、そして関東まで上陸して、大日本帝国は国として機能しなくなり、消滅。アメリカ中心とした連合国軍に占領された。朝鮮みたいにアメリカとソ連の代理冷戦戦争が続いていた。
地上で生きることは難しいから日本人の精鋭たちはトンネルを掘って、地下の世界(アンダーグラウンド)に大本営を移して新たな世界を作った。地上では連合国軍によって何十万という単位で死んでいく日本人を苦しみながら新たな国を作っている。
凄惨すぎる犠牲と被害を受けつつ、外部の文化などを完全にシャットアウト(この言葉も外部の言葉か)することで、日本という国や日本人という肩書に誇りを持ち、っているからである。
小田桐も地上の凄惨な戦争シーンや、混血ながら日本人としての誇りを持ち、日本国民となることを熱望している様子や、最悪のスラム街の様子、そして天才ピアニストワカマツの大スラム街での情熱的な演奏を目の当たりにしてこの世界に適応していく。
イスラム教にジハード(聖戦)という言葉がある。宗教や国を守るための戦争であるが、ここでいう日本はふさわしいといえよう。そして日本は連合国軍に対して世界最強と恐れられるほどの軍隊をもってゲリラ戦を続けていた。
当然海外からは恐れられ、なんとしても日本らしさをなくそうと、日本民族を滅亡させようとする。連合国軍は日本民族を絶滅させるために戦争での殺害に加え、技術移民として混血化を進め外国らしいまちづくりをすすめた。しかし肝心の産業は発達せずに、地上には大量のスラム街が形成されていった。
一方でリアルの世界はどうか。GHQが来た後は(おそらく)何の疑問も持たずに他国の文化を受け入れた。アメリカナイズされてしまいグローバル化を当然とのごとく外国の文化を学ぶのみならず輸入して日本らしいものを薄れさせるようになってしまった。
もちろん私の偏見も混じっているけど、とてもじゃないが戦後は日本を守るというよりも自分を守る、そして何も考えず生きている人があまりに多いように思える。
生きるために戦う、それだけ
その世界線の教科書の文章を掲載。結構有名なので知っている人もいるかもしれないし、多くのブログで紹介されている。五分後の世界では、
自分の生命を大切にしない人間が、他の人間の生命を大切に思うことはできません。それでは、なぜ当時の日本人は、生命を大切にしなかったのでしょう。また、なぜそれほどまでに「無知」だったのでしょう。
それは、それまで本当の民族的な危機というものを体験したことがなかったからです。(中略)もし、本土決戦を行なわずに、沖縄をぎせいにしただけで、大日本帝国が降伏していたら、日本人は「無知」のままで、生命を尊重できないまま、何も学べなかったかもしれません。(p135)
しかし、大切なのは価値観や目的意識ではありません。ここが、われわれ日本国とアメリカの最大のちがいです。もっとも重要なのは、生きのびていくこと、生存そのものです。
生きのびていくために必要なものは、食料と空気と水と武器、そういうものだけではありません。勇気と、プライドが必要です。(中略)
われわれはどの国の助けもかりずにいままで生きのびてきて、どの国にも降伏せず、どの国にも媚びず、どの国の文化もまねずに、すべての決定を、われわれじしんがくだしてきて、全世界に影響をあたえつづけています。(中略)
敵にもわかるやりかたで、世界中が理解できる方法と言語と表現で、われわれの勇気とプライドを示しつづけること、それが次の時代を生きるみなさんの役目です……
(pp144-146)
うーん、深い…
現代は道徳とか言う授業で学んだり、教育課程の変化を訴える声もあるがそれだけではないと思う。
アメリカ文化を完全否定するのはそれはそれで違うと思うけど、確かに古くから伝わる日本の文化とか伝統なんかは失われている感覚があった。(そういえばコロナ禍で「オーバーシュート」とか「ロックダウン」とか聞いたときは意味不明だった。)
和食が観光資源になるのはいいけど、日本人が古来からの日本文化を少しずつ捨てているように感じて、それはどうなんだと思う。まあ私も洋食大好きだしよくハンバーガーとか食べているけど…
「時代の変化」「敗戦国だから」という一言で片づけるのは簡単だけど、何も考えずに生きられるようになり、日本文化などを衰退させ、日本人としての誇りを失うことは正しいのだろうか。
よく戦争の作品というと、家族とか、愛とか、平和とか、人権とかそういう問題提起になる。だが、この話は違う。
この作品の人々は、「ただ死なないために生きているだけ」だった。
こういうのは今言うと、自分よがりだとか、後ろ向きな考えだとか、人のために生きろとかいわれかねない。だがそれは本当だろうか。
自分だけじゃ生きていけないと言いながら他人のために生きている。そしてそれはおせっかいである。そしてみんながやってるからという理由で流されてしまう人の多いこと多いこと。
小田桐は戦争で死にかけ、それから生きのびたけど処刑されそうになった。しかし彼は死を覚悟したはずなのに、この戦争の世界が好きだといった。それは彼が戦争が好きだからではなく、シンプルに、みんなが死なないように生きるているからだと言っている。
放っといてくれっていってもだめなんだ、自分のことを自分で決めて自分でやろうとすると、よってたかって文句を言われる、みんなの共通の目的は金しかねえが、誰も何を買えばいいのか知らねえのさ、だからみんながかうものを買う、みんなが欲しがるものを欲しがる、大人たちがそうだから子供や若い連中は半分以上気が狂っちまってるんだよ、
誰も戦わねえ、と小田桐は言った。
いやあんたにはわからねえだろうが、オレの言ってるのは戦争をするってことじゃねえんだ、変えようとしないってことだ、誰もがみんな言いなりになってるんだよ、(中略)
子は親の言いなりになってるし、親は子供の言いなりになってる、みんな誰かの言いなりになってるわけだ、要するに一人で決断することができなくておっかねえもんだから、あたりを窺って言いなりになるチャンスを待っているだけなんだよ(p120-121)
ミズノ少尉以下、軍曹や兵士たちは、煙草を吸ったり武器を点検したり、何か冗談を言って笑いあったりしている。でも、小田桐には彼らが孤独で、寂しそうに見えた。こういう場所は苦手なんだ、少尉は大広間を出るときにそう言った。確かに、兵士達にああいう場所は似合わない。戦場だけが似合うというわけではなくて、シンプルな原則、例えば生存とか破壊とか殺人とか、そういうものに従って行動する方が合っているのだろう。いまのところありえないことだが、もしアンダーグラウンドが戦争状態を止めたら彼らは何をして生きていくのだろう、と小田桐は思った。(p215)
今の社会では、一人で生きていくことはできない。
しかしその押し付けに苦しんでいる人もいるはずだ。
戦争の世界は生と死が直面しているし、前述したとおりプライドの問題だ。いまは日本は経済的に豊かなはずなのに心は豊かじゃない人も多い。自殺者も多いし、いじめや少年犯罪のような陰湿な事件は治安がいいはずなのにまだまだたくさん起きている。自分の意見がない人も多い。
戦争のことは知らないけど、これが戦争で命がけで守った未来だと思うと悲しくなる。
五分後の世界はフィクションではないかもしれない
私は今の日本が大好きだ。
今の社会に全く不満はない、というとウソになるけど、戦争時や飢餓の終戦直後に戻るのはっぴらごめんだ。
しかし、このようにはっきりと「死」に直面したらどうなるんだろう。
生きのびることが大切なのか、生きるために殺しているのか、あるいは本能的に殺すことを楽しんでいるのか。
現代の日本は犯罪による死は少ないが自殺者が非常に多い。
殺人はもちろんよくないと思うが、この世界線とは真逆である。他のことなど考えず、何も考えずに自分がやりたいことだけできたらどれだけいいかと思うこともある。
それは果たして戦争でしか得られないのだろうか。
全く分からない。初めて読んだ時は今以上に意図を全く理解できなかったし、私が苦手なグロい描写ばかりだった。にもかかわらず、読み進めるページが止まらなかった。
「五分後の世界」がパラレルワールドとなっていたが、もしかしたらアフリカや中央西アジアなど、海外の紛争地帯では本当にこんなことが現実に起きているかもしれない。
日本が戦争をしたら間違いなく負けるだろう。
政治が悪いとかそういう意味ではない。上記に書いたけど、日本人は無知というよりも知ろうとしないんだと思う。哲学を学んで分かったが、自分が知らないことを知ろうとする人は想像以上に少ない。
みんながみんな自分自身で学ぼうと思っていたら、人よりも学びましょうなんて自己啓発が売れるわけがない。
肝心の戦闘シーンはカットしたけど、これだけでもどんな感じの本かなんとなく分かったと思う。
天才と狂人は紙一重というが、その天才が最高傑作といっているのだから狂っているのも当たり前。
まあもうちょっと世界観をわかりやすくしてほしかったっていう思いはあるけど。
いずれにせよ、このようにいろいろ含蓄があって、いつか再読したいと思える本だった。
また読みたいと思う1冊があるとは幸せなことだ。
なお、読書初心者には一切お勧めしない。いい意味でも悪い意味でも刺激が強すぎるからね。この書評もかなり時間をかけて書いたけど、自分の中ではあまり納得した出来ではない。また読んだ時に書きたいな。
おまけ・松代地下壕の写真
実はこの作品を読む前にたまたま、聖地巡礼(?)としてこのアンダーグラウンドのモデルというか、実際に地下大本営を作る予定だった場所に行っていたので、その場所も紹介します。
東京一極集中している現代では信じられませんが、長野県のトンネルの中に首都(大本営)を移すという計画はなんと実際にあったのです。
長野県の松代にある、松代象山地下壕。
長野駅から約10㎞。バスで30分、そこから歩いて10分ほど離れた山奥地域にひっそりと戦争以降が残されています。
沖縄など空襲を避けるための防空壕として残存する所はありますが、ここは実際に地下に軍部を移そうと計画した場所です。
松代が選出された理由は、地盤が固い山岳地帯ながら近くに陸軍の長野飛行場があり、本州の陸地で最も幅広い場所にあるからだという(記事のトップ画像も松代です。松代は色々面白い場所なのでいずれ旅行記とかで紹介したいですね。)
『五分後の世界』では大本営が地下(アンダーグラウンドの世界)に移転した後、アンダーグラウンドに研究所などが移転し、科学や技術力が圧倒的になっていく一方で、地上にはアメリカや国連軍が上陸。日本が降伏した後は各国が土地を分割して、朝鮮やドイツのようにアメリカとソ連の冷戦の代理戦争が発生。さらに混血が進み「オールドトウキョウ」という世界最悪のスラム街を中心とするスラム国家に発展した。
地下と地上の格差は広まり、地下の住民は地上の日本民族を「非国民」と呼ぶようになった。
歴史にifはないけど、もしも終戦せず本当に地下に軍部が移転していたら日本はこんな小説のような将来になってしまったのだろうか。もちろん終戦になったのでこんな将来も、天皇一家の東京からの移住も実現しなかったけど。
ちなみに日清戦争のころは、東京から清朝(中国大陸)に近い広島城に大本営が移されたこともあったらしいです。(『五分後の世界』では、天皇一家はスイスに移住させられている)
38度もの猛暑日にもかかわらず、防空壕の中はすごく涼しかった記憶。そして…暗い。
父の実家が近くにあるので何度か訪れることがありますが、はっきり言うとここら辺はど田舎。そんな環境に大本営を移して日の光を浴びることなく戦うことで、本当に日本民族としての誇りを持てるのだろうか。生命の大切さを実感できるのだろうか。
生死がかかるほどの戦争世界のことや、命がけの人々のことは、ぬるくてゆるい世界に住んでいる私には想像もつきませんでした。
もちろん、絶対戦争は経験したいとは思わないですがね。
ちなみに、松代地下壕は戦争遺産として一部が一般公開されています(一部とはいえ見ごたえあります)。そして他の地下壕も、地震観測所や宇宙線観測所となって現代の科学技術を守るために静かに残されています。
※2018年8月14日訪問。この本を読む前に訪れています。
↓私が昔書いた戦争の記事なので読んでいただけると嬉しいです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?