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企業内診断士・ニシへヒガシヘ。そして、ニシヘ

ITベンダー勤務の企業内診断士、廣瀬達也です。

独立診断士さんになくて、企業内診断士にあるものの1つが「転勤」

僕はこの「楽しいチームブログ」が始まった年である2018年の1月に転勤で関西から東京に来ました。診断士3年目になったくらいだったでしょうか。当時関西でお世話になってた独立診断士の先輩に転勤の報告をした際に「『転勤』か、そんなものまだあるんだね。もうすっかり忘れたな」的コメントいただいたことが妙に印象的でした。

初めての投稿で転勤で東京へ来たことに触れています。

兵庫県出身、診断士活動については「関西振り出し組」。とはいえ、診断士受験生時代というか、そもそも大学時代から診断士試験合格までは東京に約30年間住んでいたこともあり「東京」自体にはなじみがありました。なので、戻ってきた感の高い東京着任でした。

しかし、診断士活動としての東京は新鮮。
「うぁ、診断士多い~」「東京都協会の中にある支部ってなんです?」
な印象を受けたり、受験生時代の知り合いたちが東京でバリバリ活躍している姿を見て「すごいなぁ」と感じたり…で始まりました。
とても楽しく、学びのある3年間とちょっとの期間でした。東京でお世話になったみなさま本当にありがとうございました。

「戻ってきた感高い」と書いた東京生活ですが、この約3年間の東京生活は関西赴任前に過ごした約30年間は少しテイストが違いました。(最後の1年間はコロナ禍だったこともあり、社会全体のテイストが違っていたとも言えます…)
東京で診断士として活動を活動をするようになった。という点もありますが、最も違うのは東京で暮らしながらも、関西での活動も意識して継続したことです。

それは、上記のブログにも書いているように、関西との繋がり維持したいと考えていたからです。そして、さらに言えば、ブログでは言及していませんでしたが、再び関西に帰ることを考えていたからです。

(診断士以外でも、個人的に参加している某協会活動で、「関西支部長」なる役職を頂いているのですが、東京転勤後は関西に住んでいないのに「関西支部長」を続けていました。診断士的にみればこんな「組織の権力にしがみ付くようなオッサンを許してはいけない」のです…。申し訳ありませんでした。これも関西に帰ることを考えてたから、そして実際に帰ってきた。ということで許していただけるとありがたいです)

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2016年、当時受講していたプロコン塾で作成したプロコンスタートアッププランでは3年間の東京活動後、兵庫県に戻る。としていました。

プラン


さすがに、当時のプラン通りに実現できていないものも多く、東京生活がちょっと伸びたり、家庭の事情もいろいろあったりと現実は少しづつ変わってきています。この4月からは大学院に入学もしました。

しかし、そんな中でなんとか生きています。
関西のみなさま、今後ともよろしくお願いします。


と、書いてみたものの、「リアルで会う」ことがめっきり無くなったこの1年余りの暮らし…。
つい先日もオンライン開催のこの楽しい「チーム定例会」に参加したりしていると東京を離れた実感がまだ薄く
関西でガッツリ飲み会も経験していない(新しい職場の人以外の知り合いにはリアルで会ってません)ので、関西に帰ってきた実感も微妙
何やらフワフワした立ち位置にいるように感じています。そもそも、場所・距離についての制約(「価値観」とも言えそうです)が変わりましたね。診断士として、ビジネスパーソンとしてこの変化には上手く適応したいところです。

いずれにしましても、全国の(世界の?)みなさま、引き続きよろしくお願いします!

「貼り付けの刑になったって
明日に向かって生きてくんだって
ただじゃ転びませんぜって
非常事態ってやつも歓迎です さあ、Ah
ニシへヒガシヘ
必死で猛ダッシュです」

ミスチル「ニシへヒガシヘ」


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