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エムス電報事件⑦~電報はどう改ざんされたか(前編)

前回はこちら。

 いよいよ、「エムス電報」の具体的な中身を分析していきたい。当事国のドイツでは、文献資料の読み方を身に付ける教材として、現在の高校生用の教科書で紹介されている事件でもある。

 入手できる日本語訳は何種類かあるが、ここでは飯田洋介著「ビスマルク」(中公新書)に基づく。ちなみに、トップの画像はベネディッティ伯がヴィルヘルム1世の言質を取ろうとしているシーンである。

(下に要約を書いておいたので、原文は流し読みしてもらって構わない。)

【原文】
 国王陛下は私に次のようにお伝えになりました。
「ベネディッティ伯が散歩道で余を待ち構え、ホーエンツォレルン家の人間が再び(スペイン)国王候補となるようなことがあっても、今後絶対に同意を与えないと余が誓う旨、(パリに)打電する権限を与えてほしいと、最後にはかなり押しつけがましい態度で要求した。余は未来永劫にわたってそのような約束をすることは許されるものではないし、できるものでもないといって、最後には幾分厳しい口調で彼の要求を退けた。むろん、余は彼にこうも伝えた。余は(レオポルトの辞退について)まだ何も聞いてはいないし、貴君は余よりも早くパリ並びにマドリード経由で情報を得ているのだから、余の政府は、(王位継承問題に)何も関与していないということがわかったであろう」と。
 陛下はその後(カール・アントン)侯の書簡を受け取られました。陛下はベネディッティ伯に(カール・アントン)侯からの知らせを待っているところだとおっしゃっていたので、右記のごとき不当な要求に鑑み、オイレンブルク伯と小生の意見を踏まえ、もはやベネディッティ伯とはお会いにならず、ベネディッティがパリから入手した情報を裏付ける知らせを侯から受け取ったし、(フランス)大使にこれ以上言うことは何もないと、副官を通じて伝えることにお決めになられました。
 陛下は、ベネディッティが新たな要求を持ち出し、陛下がこれを退けられたことを、直ちに我が国の公使及びプレスに伝えるべきか否か、その判断を閣下に委ねておられます。

【中身のまとめ】

(A)原文の「私」とはヴィルヘルム1世の側近である。「陛下は私に次のようにお伝えになりました」という書き出しで、文章全体は側近が見聞きした状況をありのままに報告したものである。

(B)フランス大使が散歩道でヴィルヘルム1世を捕まえ、「ホーエンツォレルン家の人間が再び(スペイン)国王候補となるようなことがあっても、今後絶対に同意を与えないと約束してほしい」と言ってきた。しかし、ヴィルヘルム1世は「未来永劫にわたって」そのような約束はできないと言った。また、この問題についての詳細を何も聞いていないとも言った。

(C)その後ヴィルヘルム1世は、継承問題に関する書簡を受け取り、協議の結果「以後フランス大使がヴィルヘルム1世に謁見することを認めない」ということを決定した。

 原文の印象としては、込み入った官僚的な文体といったところである。原文の多くの部分はヴィルヘルム1世の台詞となっていることに注意したい。フランス大使は「散歩道で待ち構え」「押しつけがましい態度で」と描写されているが、あくまで国王の主観である。プロイセン人が読めばフランス大使を無礼と感じるだろうが、フランス世論を刺激するものではない。

 では、ビスマルクはこの電報をどのように改変したのだろうか。(後編に続く)


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