見出し画像

ボスニア紛争と知られざるPR作戦⑨~「サダマイズ」されたミロシェビッチ

前回はこちら。

(写真=スロボダン・ミロシェビッチ) 

 本来は複雑な背景を持つボスニア・ヘルツェゴビナ紛争であるが、アメリカのPR会社の尽力により、「悪玉=セルビア人とユーゴスラビア」、「被害者=モスレム人とボスニア政府」という図式が喧伝されていく。

ロンドン和平会議の裏側

 1992年8月26~27日、国連とEC(ヨーロッパ共同体)の仲介により、ユーゴスラビア国際和平会議がロンドンで開かれた。この会議では、「ボスニアに関する声明」で停戦と人権の尊重などが謳われたものの、具体的な和平案を出すには至らなかった。
 このロンドン和平会議でも、ボスニア側とユーゴスラビア側の「扱いの差」を象徴するできごとがあった。


 ルーダー・フィン社のジム・ハーフは、世界の報道陣に注目される機会を積極的に活用した。報道陣が待つ会見場に、ボスニアからの難民だという女性と、幼い子供を連れてきたのである。彼女は涙ながらにセルビア人の悪行を語った。そして、セルビア人の暴行のためだとして、腹部の火傷の跡を見せた。テレビニュースの素材としては完璧である。

「サダマイズ(=悪役化)」されたユーゴ大統領

 一方、ユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領は、徹底した「悪役」として先進国のテレビに映ることになる。報道としては、誰かに「悪役」になったもらった方が「面白い絵」を撮れるからだ。

 初日の会議の後、ミロシェビッチは気分転換のためか、記者たちのいない駐車場で煙草を吸っていた。しかし、一人のカメラマンが彼を見つけて近づく。ミロシェビッチは煙草を捨て、ずかずかとカメラマンに近づいた。カメラマンは反射的に後ずさりしたが、ミロシェビッチは彼のインタビューに応じてやった。


 このシーンは、別のカメラがとらえていた。そして、「ミロシェビッチがカメラマンにずかずかと近づく」シーンだけが切り取られ、テレビに流れた。悪辣なミロシェビッチが、カメラマンを威嚇するかのようなシーンは、「ミロシェビッチ=悪」というイメージを増長させた。

 1992年9月22日、第47回国連総会において、ユーゴスラビアを国際連合から追放するという前代未聞の決議がなされた。ボスニア紛争でセルビア人勢力を支援し、「民族浄化」を行っていることが非難されたのである。

(続きはこちら)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?