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「産業革命」は本当にあったのか

 機械化によって大幅に生産力がアップした繊維工業、鉄鋼業での技術革新、そして蒸気機関の発明。これらの劇的な技術革新によって、イギリスは近代的な工業国になり、現代の工業化した先進国の社会につながっていく……かつて皆さんが歴史の授業で習った産業革命のイメージは、こんなものではないでしょうか。


 しかし、最近の研究によれば、上に書いたような劇的な経済的変化はなかったらしい、というのが実態のようです。確かに、工業面での発明・改良は1760年頃から1830年頃にかけて相次いでなされましたが、それが「革命」と言えるような急激な変化をもたらしたわけではない、というのです。


 果たして「産業革命」はまぼろしに過ぎないのか。今回はその実像に迫ってみましょう。

そもそも「産業革命」は後付けの用語

 産業革命とは、だいたい1760年頃から1830年頃にかけてイギリスでおきた、とされます。しかし、この時代の人々が「ああ、自分たちは変革の時期に生きているんだ」などと実感を持っていたわけではありません。
 産業革命という言葉を歴史用語として広めたのは、イギリスの歴史学者アーノルド・トインビー(1852年~1883年)という人物です。(この人の同名の甥も有名な歴史学者です)トインビーの死後、1908年に出版された遺稿集「イギリス産業革命史」によって、産業革命という言葉は一般的になりました。つまり、「産業革命」の概念は、後世になってからできたものであり、「フランス革命」や「名誉革命」などと同列に語っていい「事件」ではなかったのです。ですから、時代が変わって史料の研究が進み、当初の「産業革命」のイメージが修正されることになるのもある意味当然と言えます。

数字で見る経済成長はそんなにすごくなかった

「革命」という言葉からイメージされるような劇的な「産業革命」像に説得力のある反論をした人物が、ニック・クラフツという経済学者です。彼は1985年、「産業革命期イギリスの経済成長」を出版、いわゆる産業革命期のイギリスの経済成長率を改めて計算しました。

 それまでスタンダードだった「ディーン・コール推計」では、1801年~1831年のイギリスの年率GDP成長率は、3.06%。しかし、クラフツの推計によると同時期の成長率は1.97%。さらに、1992年に世に出た「クラフツ推計」の改訂版「クラフツ・ハーリィ推計」では1.90%と、さらに下方修正されました。当時の経済成長は「革命」というには程遠い緩やかなものだったのです。


 そもそも、高度経済成長時代の日本や、近年急成長した中国の経済成長率は、年間10%というレベルです。一般的な「産業革命」のイメージは、最新の歴史研究の世界では見直しを迫られているのです。

 また、イギリスの工業全体が飛躍的に成長した、というわけでもありません。産業革命を象徴する産業としては、綿工業や製鉄業がイメージされることが多いです。しかし、1770年時点での工業全体に占める付加価値の割合は、綿工業が2.6%、製鉄業が6.6%。この二つの産業で技術革新が起きたところで、当時のイギリスの経済全体を大きく変える、というふうにはいかなかったのです。

 こうした歴史研究の進展から、史実とはかけはなれた「産業革命」という用語を避け、「工業化」という言葉に置き換えようという動きもあります。

18~19世紀の変化の意義

 しかし、「産業革命」という表現が大げさであったとしても、イギリスが世界に先駆けて先進工業国になり、工業が世界に広まっていったのは事実です。


 そもそも、経済に関わる歴史を調べるのは非常に難しいのです。例えば、「ある時代に、労働者の賃金が上がった」という史料があって、「暮らしが楽になった」という推論をしても、後から「同じ時代、物価の水準はもっと上がった」という史料が出てきたら推論を変えないといけません。歴史の研究は日々進み、研究者を取りまく思想的な流れはどんどん変わっていきます。200年も昔の話ですから、「産業革命」をめぐっては、これからもまだまだ色々な学説が出てくることでしょう。

参考文献:奥西孝至・ばん※澤歩・堀田隆司・山本千映著「西洋経済史」有斐閣アルマ(※へんが方、つくりが鳥)

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