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甘利さんの日本語が気になった話

 少し前に政治関連の記事を読んでいた時、ふと目に留まった文がありました。本題は政治ではなく日本語の意味をめぐる細かい話です。

 安倍元首相が非業の死を遂げた後の自民党安倍派について、甘利明氏がこんなコメントを出しました。

 『当面』というより『当分』集団指導制をとらざるを得ない。誰一人、現状では全体を仕切るだけの力もカリスマ性もない。

 事実といえば事実ではありますが、かなり物言いが失礼だったため反発を招き、甘利氏による追悼演説がお流れになったことは記憶に新しいです。

 しかし、日本語を扱う仕事として気になるのは、わざわざ同氏が「かぎかっこ」つきで区別した「当面」と「当分」です。文を読む限り、「当面」は間に合わせに過ぎない一方、「当分」はより長い期間である……と甘利氏は解釈しているようです。

 私は、「当面」と「当分」の二つの言葉の違いをはっきり意識したことがありませんでした。二つの言葉には意味上の違いがあるのでしょうか?

 手元にある辞書を頼ってみます。

とうめん【当面】
いま直面していること。さしあたり。

とうぶん【当分】
①数人で分担する場合の、自分の引き受ける部分。(日葡辞書)
②事があってから少しの間。当座。
③近い将来まで、しばらくの間。さしあたり。

『広辞苑』第六版

 これを見る限り、「当面」と「当分」にはっきりした違いは見受けられません。私たちは「さしあたり」二つの語の違いを強く意識する必要はなさそうです。

 また、甘利氏の書いた日本語がたった一か所変だったからといって、馬鹿にする気もありません。むしろ彼の残念なところは、後段の「誰一人、現状では全体を仕切るだけの力もカリスマ性もない」という余計なひと言で顰蹙を買ったことでしょう。


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