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ムッソリーニに抵抗した人々

 昨日、木村裕主『ムッソリーニ』(清水書院)の書評をアップしました。

 昨日の内容では、イタリアで独裁政権が誕生した背景について述べました。ある意味で歴史的必然と言えますが、ムッソリーニやその支持者に対して同情的になってもいけないので、負の面も紹介しておきましょう。

ムッソリーニに喧嘩を売った男

 1922年10月28日、ムッソリーニは暴力で政権を奪取するための示威行動「ローマ進軍」を実行しました。国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ3世はこれに屈し、ムッソリーニに組閣を命じます。

 成立したファシスト政権は1924年に総選挙を行いますが、反対派への暴行や不正投票が公然と行われました。それでもファシズムへの抵抗感を持つ者は多く、野党側が3分の1の議席を獲得しました。

 議会が開会中の1924年5月30日、社会党の議員ジャコモ・マッテオッティは公然と選挙の不正を糾弾し、やり直しを訴えました。

ジャコモ・マッテオッティ(1885~1924)

 彼の発言中、ファシスト党員からの野次と罵声が容赦なく浴びせられました。演説を終えて退場したマッテオッティは、同僚の議院にこうささやいたといいます。

「近く僕の葬式があるはずだ。弔辞を書き始めてくれ」

木村裕主『ムッソリーニ』(P.108)

 果たして6月10日、マッテオッティは行方不明になります。ムッソリーニと関係のある暴力団によって、車で拉致されたのです。その後、勇気ある代議士は遺体となって発見されました。

 彼の名は、反ファシズムの闘士の一人として長く記憶されることになります。(トップ画像はマッテオッティの墓)

イタリア・ファシズムの犠牲者たち

 ムッソリーニの弾圧を受けた人物としては、アントニオ・グラムシも有名です。

アントニオ・グラムシ(1891~1937)

 マルクス主義の思想家であったグラムシは、イタリア共産党の指導者の一人です。身体障碍者でしたが、苦学してトリノ大学で学びました。

 左翼を危険視するムッソリーニによって、1926年に逮捕・投獄されます。獄中にあっても思索・執筆活動を続け、30冊に及ぶ「獄中ノート」を残しました。

 しかし、長年にわたる虐待で健康を害し、釈放された直後に死去しました。

 他には、社会党の政治家カルロ・ロッセッリとネッロ・ロッセッリの兄弟がいます。

 彼らは反ファシスト運動によって、地中海に浮かぶリパリ島に幽閉されていました。1929年、同志の用意したモーターボートで闇夜に紛れて脱出、パリに亡命します。亡命先でも旺盛な反ファシズム活動を続けましたが、1937年に暗殺されました。


 現代に生きる私たちが当たり前に享受している自由や人権は、こうした人々の犠牲のもとに成り立っていることを忘れるべきではないでしょう。


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