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ソン・ジュンギの“その”表情(韓国ドラマ『財閥家の末息子』レビュー)

「あなたは全てわかっているというその表情」
"넌 뭐든 다 안다는 그런 얼굴”

Netflix『財閥家の末息子』9話

ソン・ジュンギは「全てがわかっているような表情」が一番上手な俳優だと思う。涼しげに風を常にまとわせながら、いたずらっぽさが微かに浮かぶ。しかし、そのいたずらっぽさと涼しさがいつか豹変するかもと思わせる深み。「未来をわかっている」ため余裕溢れるその”目”は、皆が一度は味わってみたいと思う欲望を映し出す。その目を通して感じることができる優越感。それがこのドラマ、「財閥家の末息子」を昼夜問わず見てしまった最大の理由だ。
以下内容の言及があります。


あらすじ
ユン・ヒョヌは大韓民国最高巨大財閥 スンヤングループの社員としてオーナー一家を管理する秘書として働く。しかしある日、彼は一族に冷酷に裏切られ横領の罪を着せられて殺される、と思ったが一族の末っ子であるチン·ドジュンの体内で目覚め、奇跡的に「生き返る」。事態を把握した彼は未来を知っていることを利用してグループの買収を画策し、自分を殺した者たちに復讐をしようとする。

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登場人物


このドラマで人によってそれぞれ好みが違うという事実がストンと腹に落ちた。人それぞれ好みが違うという当たり前の事実は脳のどこかに忘れてしまいがちだ。作品を見た時の感情の動きが強烈すぎて「こんな素晴らしい作品はみんな好きに決まっている」と思い込んでしまう。しかしこのドラマは引き込まれて感情が動けば動くほど「人によって好みが違う」という事実を突きつける。
なぜなら「財閥家の末息子」は欲望を映し出してくれる鏡だからだ。欲望をダイレクトに刺激され感情が動く、その度に自分の欲望を認識する。その繰り返しから人の好みは欲望に起因するものだと実感させられた。


ホームアローンの版権を買って大儲けするチン・ドジュン

成功するとは思われていなかった映画『タイタニック』の版権を買って大儲けするなど、未来を知っていることで周りとは違う視点で違うものが見えている圧倒的な快感。誰よりも優秀でありたい、いや優秀であると周りに認められたいという欲望を「財閥家の末息子」は刺激してきた。

矛盾を埋めるその目


だが、ソン・ジュンギが演じるチン・ドジュンがただ他の人より優秀なだけだったらこのドラマの沼はここまで深くなかったはずだ。

家族間で財産を奪い合いお互い警戒の糸を緩めない財閥家の泥沼な醜く醜い争いの中心に立っているのに、自分の長所を最大限に活用してその醜さには染まりきらず、一線をしっかり引く。汚い手を使っている敵に立ち向かいながら、最後まで節度を持ちながら勝つ。

特にアジン自動車の買収の際に従業員の雇用を保証するためにリスクを犯す等、庶民として生きていた時の悔しさ、やるせなさを転生の立場を利用して復讐していく。そんな英雄みたいな存在はファンタジーだけに存在するとわかっていても、それが現実だと信じたくなる。特に9.11、IMF金融危機等の現代史の歴史的ファクトを裏付けられたストーリーによってより視聴者に現実感を感じさせる。その矛盾の間を、ソン・ジュンギの常に涼しげでいたずらっぽい表情を維持しながらも同時に真剣さ、正義感が共存するあの目が埋めてしまう。本当にそんな人がいればいいのにという「欲望」、そしてチン・ドジュンのように人の一歩手前にたって周りの不意を打てたらいいのにという「欲望」を満たしてくれる。

しかし、回が進むにつれ矛盾の幅が俳優が埋められる領域を超え始めた。チン・ドジュンの過度な未来予測、そしてそれに対して誰も疑いに目を向けないこと、後半につれて話の展開が早くなるほど疎かにディテール。転生というあり得ない設定を実際の現代史の絶対的ファクトで裏打ちしていたが、その世界観を一貫する設定にボロがで始めたらチン・ドジュンはそれでももしかしたらどこかにいるかもしれないと思わせてくれる存在から、完全にファンタジーであるという現実を突きつける存在に変わる。


エンディングについて


ネタバレ注意(最終話のネタバレまで含みます)









ただエンディングを最後まで見て潮が満ちていくように妙な満足感を得た。

“僕がしたことはタイムスリップでも憑依でもなかった。それはチン・ドジュンに対する懺悔だった。”

転生、タイムスリップ等の時代の流れに逆らう物語に対して、時間の歪みが解消された状態を「正しい状態」「自然の状態」だという根強い認識がある。例えば時間の歪みがあってこそ出会った2人、恋愛をしたなら最終的には時間の歪みがなかった時に戻る、つまり最初からなかったことに落ち着くなど。時間が歪んだ状態のまま時間が積まれていくことに対して感じる感情が、喉に魚の骨が刺さっているような気がする、そんな落ち着かない状態が続く心境に似ている。
そのためチン・ドジュンとして生きた時間もユン・ヒョヌとして生きた時間もどちらも「本当」だったと2人の人生に激しい感情移入をした人間として、嘘ではなくてよかったとどこか報われた万感の思いが押し寄せたのかもしれない。特に転生の目的が「懺悔」だという展開も新鮮だった。

ただ、その2人の人生を繋げるには緻密な舞台があってこそ可能だったが、その舞台があまりにもお粗末だった。特にユン・ヒョヌがチン・ドジュンになった時にチン・ドジュンに対する記憶がなかったとしていたのに、実際にはチン・ドジュンを殺人教唆の実行犯だったということ。その時点で覚えていないというのが納得し難いのに、最後に殺人教唆の証拠を隠し持っていたという事実は感情移入、没入できないという問題ではなく、完全に呆れさせた稀に見る悪手だった。

だからと言って見たことに対して「後悔」しなかったのは、立体的なキャラクター設定、それを最大限に発揮させた俳優の名演技のおかげだっただろう。

チン・ヨンチョル会長

権力と金の亡者という財閥の宗主という絶対的権力を振り回すキャラクターに哀愁、老い、弱さ、何層にも重なった複雑で立体的な人物像を作り上げた。間違いなくこのドラマの主役にしてしまったチン・ヨンチョル会長のイ・ソンミン。

蝶よ花よと育てられてワガママなお嬢様ながらも憎めないチンヨンチョル会長の一人娘、チン・ファヨン社長と彼女を妻におく、チェ・チャンジェ。2人のコンビネーションは人間の欲深さと滑稽さを表してくれた。


チン・ヨンジュンの妻 モ・ヒョンミン

余裕を溢れながらも自分の才覚で財閥の嫁という枠に閉じ込められる立場からそれを最大限に生かして自分の野心、欲望を叶えようとするチン・ヨンジュンの妻、モ・ヒョンミン。特に自分が一番賢いと思いながらチン・ドジュンに一度、そして結婚式で夫になるチン・ヨンジュンに一度、不意を打たれはなっぷしを折られた時の侮蔑感にも負けず萎縮することなく自分の存在を認めさせていく強さを演じたパク・ジヒョン。

俳優の演技によって生まれた瞬間的な名場面、そしてその時に動いた感情と余波は例え物語の土台が揺れていてもなくなることはなくずっと残り続ける、そんなドラマだった。


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