オッペンハイマー 感想その3(各感想は独立) 

3回観て考えたこと
核、戦争に焦点をあてたものです。

1 世界に悲劇を繰り返さないということを前提として、自分の国で起きた戦争を、一国の歴史として捉えるのではなく、人類史としての視点で捉える。この映画は、そのきっかけになると考えます。
私は日本で教育を受けて、ヒロシマ・ナガサキに原爆がいつ落とされたかということは知っていましたが、オッペンハイマーが何をした人かということや当時の大統領名トルーマンということは知りませんでした。私は学校での社会の成績はよく、試験はだいたい満点だったのですが。現在はわかりませんが、私のときは教育内容、あるいは試験内容に偏りがあったと感じます。

今回、当時ナチスとの核開発競争に必死だったアメリカの視点は戦争をより立体的に観られるようになりました。作中、かつてケンブリッジで出会ったニールス・ボーアがロスアラモスに訪れ、オッペンハイマーに「世界は原爆に対して準備ができていない。政治家にわかるだろうか、原爆は新兵器ではなくて新世界なのだということが」とも述べていますが、科学者の視点からみた原爆というものについて関心があります。
映画の中で米開発者自身が原爆への恐怖を感じながら制作していったことは印象的でした。そのような経験をしたアメリカは、もしそれがアメリカに落とされていたらと想像することができるし、核の恐ろしさを十分に語ることができる素地があると感じました。ドイツ、ロシア、アメリカ、中国、韓国、その他の国での映画への反応は大変関心があります。

2.核兵器がどのような経緯と過程で作られたかをこの映画でみていくと、原爆投下の是非ひとつとっても、開発者や政治家の個人的な思想、知識、経験、感情と切り離せないことがわかる。人生を何のために生きるのか、どの方向に自分の命を使っていくのか、それは人類全体にとってどうなのか。ということに立ち戻って考えられる人を育成することが確実な方法だと改めて思う。時代が変わっても、どのような社会情勢になっても変わり得ない人間の軸があると考えます。

3. 原爆を作った人の半生ということで、日本の中、また米国内でも核についての向き合い方、原爆がなぜ作られ落とされたのかということを議論する大きなきっかけを社会にもたらした功績は非常に大きいと考えます。今まだ日本に被爆者の方がいて、広島でも映画の討論会が開かれていることもとても興味深いです。

私が考えたこと。
戦争はなぜいけないのか
人間が長い年月をかけて築いてきた、人間性の結実である、自由・平等・平和(人権)を無に帰してしまうものだから。

核兵器はなぜいけないのか
甚大な範囲における無差別殺人(原爆は数キロ、水爆はその千倍)。投下時の爆風熱線による当日〜数ヶ月あとの死傷の他、放射線が遺伝子を切ることによる、がん・奇形等何世代にもわたる影響。生物、環境双方への影響が未知数。人為的ミス、AIの誤作動による誤動作の可能性がゼロではない。あれば使ってみたくなるもの。(この映画内でも示された)更に、言うまでもなく管理には膨大な金額と労力。

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