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ペニー・レイン

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若かりし頃に書いた短編小説です。全22章+あらすじ
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2019年2月の記事一覧

ペニー・レイン(あらすじ)

大学を卒業して以来、博物館で監視員のアルバイトをしている北川あまねは、代わり映えのしない生活を送っていたが、謎めいた初老の視覚障害者・槇村に出会い館内の案内したことを皮切りに、彼女の周囲はにわかに動き始める。 親しい間柄の先輩・可織は、結婚するために監視員の仕事を辞めると言い出し、恋人・響太からは突然の別れを告げられてしまう。失うことを恐れていなかった彼女にとって、それは現実味を帯びないものだったが、響太が本気であることは嫌というほど強く感じられた。だが、あまねは一方的に切

ペニー・レイン(7章)

7「あのさ、『まるまる焼き』って食べたことある?」 「何それ?」 「この間仕事で巣鴨に行ってさ、地蔵通りのとこに屋台が出てたんだよ。ネーミングが気になったけど、営業の先輩と一緒だったからちゃんと見れなくて」 「鶴岡八幡宮にあるやつとは違うの?」 「あれは『カルメ焼き』だろ。大方お好み焼きを丸めた程度のものなんだろうけど……そう、お好み焼きが価格破壊を起こしてたよ」 響太はいつも話題に事欠くことがなく、あまねの反応を見ながら話を変える。 「安いの?いくら?」 「百五十円。アツ

ペニー・レイン(8章)

8「北川さん、ちょっと」 あまねは、宝物館のシフトに入った途端、お局に呼び止められた。 「はい」 「悪いんだけど、お客さんに宝物館の案内してもらえる?受付は代わるから」 「案内、ですか?」 「大丈夫よ。どこに何があるか説明するだけなんだから」 あまねは、それなら自分でできるのにと思いながらも、素直にお局の命に従った。 「分かりました。何か注意することはありますか?」 「ううん、任せるわ。よろしくね」 お局があごをしゃくったその先には、赤茶色の革張りの椅子に座った、例の目の不

ペニー・レイン(9章)

9「ねぇ、あの店員さん“シスター”っぽい格好してない?ちょっと露出多いけど。新しいコスプレ系みたいな?」 「ちょっと、聞こえてますよ」 あまねはそう言ったものの、笑いをこらえるのに必死で全く説得力がなく、可織は可織で忌憚のない発言を続けた。 「声大きかった?だって、アキバの人たちの間ではいまだに人気なんでしょ?メイドカフェの甘味処バージョンなんていいじゃない」 「メイドカフェって、『いらっしゃいませ』が『お帰りなさいませ、ご主人さま』なんですよね」 「そうなの?斬新。ちょっ

ペニー・レイン(10章)

10「一昨日ね、例の目の不自由なおじさんを案内することになったんだ」 「へぇ、どうして?」 「どうしてって、宝物館を見たことないからだけど」 久しぶりに一日ゆっくり過ごせる時間を得たものの、響太はどこか不機嫌だった。パンケーキが食べたいという要望から、とりあえずファミリーレストランに入ったのだったが、会話はどことなく噛み合わず淀んでいた。 「それって、狙われてない?」 「狙われるって?」 「なんであまねが案内するの?『あの娘がイイ』って言ったとか」 「……どうしてそんなこと

ペニー・レイン(11章)

11「そもそも、あまねが卒業して以来、どこか釈然としないものがあるんだよね。しっくりこないって言った方がいいかな」 響太は、頬杖をつき小さくため息を吐いたあとで、おもむろに切り出した。 「何が?私と?」 「そう。やっぱり、関係性が変わったよ」 「具体的にどう変わったの?」 「馴れ合いの関係になった、かな」 「そう?」 「うん」 「それで?」 先刻とは打って変わって、あまねが迫るような形の会話になっていた。響太は、脱脂綿を詰められているみたいにもごもごと口を動かし、あまねはそ

ペニー・レイン(12章)

12「いたいた。あの方が、お礼を言いたいって」 休憩時間を迎え平成館に戻ってきたあまねを、お局が呼び止めた。 事態を飲み込めずにあたりを見回すと、エスカレーターに付き添うようにして立っている槇村がいた。 「それじゃ、お先」 お局のやり方は、中学生がお節介や冷やかしで男女を引き合わせるときのそれと似ていた。あまねは、空腹をこらえつつ歩み寄った。 「この間は大変お世話になりましたのに、ろくにお礼も言えませんで」 「いえ、あのくらいのことでしたら」 実際、あまねにとってはそれが

ペニー・レイン(15章)

15「どういう意味でしょうか?」 槇村は、汗を拭く手を止め、普段より抑揚のない声で言った。漆黒のサングラスの縁には、季節はずれの日差しが容赦なく降り注いでいる。 「さっき、槇村さんがソフトクリームを買ってくるって言ったとき、以前に同じことしたんじゃないかなって思ったんです」 「以前に同じことをした、ですか」 「ごめんなさい。変なこと言ってしまって」 「いいえ。確かに、その通りです。私は、何故かそのときもソフトクリームでも食べれば落ち着くだろうと思いました」 槇村の目は、サン

ペニー・レイン(13章)

13あまねは思いの外早く上がり、槇村よりも先に表慶館に着いた。表慶館の前には、「あ・うん」の呼吸をしている番いのライオンの像がある。右側のライオンは焦点が合っていなく、左側に比べて威厳がなく間が抜けて見えた。強い西日が射す中、軽い緊張を胸にじっと待っていると、槇村は二時五十分きっかりに現れた。 「槇村さん」 「あ、お待たせしてしまいましたか」 「いえ。どこに行きますか?」 「そうですね、まずは外に出ましょうか」 槇村は博物館を出て信号を渡ると、特に目的地を明言するでもなく

ペニー・レイン(14章)

14あまねは、ぼんやりと座って虫をついばんだり、一点を見つめたまま布を引き裂いたりしている自閉症のようなゴリラを見るにつけ、恐怖に似た感情を抱きはじめていた。 何がどう怖いのかはよく分からないが、背筋に冷水を一筋垂らされるような悪寒を感じるのだった。あまねは槇村を誘導しつつも、のっそりとコミカルに動くマレーグマを過ぎたあたりで体の異変を感じ、ついには全く楽し余裕がなくなってしまった。 「ちょっと、休みませんか?」 「そうですね。近くに座るところはありますか?」 すでに返事

ペニー・レイン(16章)

16読み終えた途端、あまねはA4用紙に打ち込まれたゴシック体一つひとつが、「涙」と変換されていくかのように泣き出した。 槇村に対して何か意味のあることを言いたくても、そう思えば思うほど涙は溢れ、その涙だけがかろうじてメッセージとなっていた。あまねは、ほとんど何に対して泣いているのかさえ分からなかった。 「私、何も言えなくて……ごめんなさい」 「いや、私が」 「いえ」 二人は、そんな風に堂々巡りの言葉の欠片をかけ合った。それは、あたかも気まずいお見合い中の会話のようで、どこ

ペニー・レイン(17章)

17「でも、目を見えなくして怖いとは思わなかったんですか?」 あまねは、動物園の表門を出て、恩賜公園の広場をゆっくりと歩きながら、槇村に聞いた。 「もちろん、初めは怖かったですよ。ただ、そのときはとにかく依怙地になっていたのでしょうね」 「何年くらいその状態で?」 「三年ほどですね」 「三年も」 あまねはそう呟いて、響太と過ごした三年と槇村の暗闇における三年を比較し、その重みを測ろうとした。ただ、両者は天秤の上に並べて比べるべきものではないことに気づき、すぐに胸にしまいこ

ペニー・レイン(18章)

18「コスモスの香りがしますね」 あまねは、槇村の言葉に合わせてフラワーマーケットの店先を一瞥した。発色のよくない秋の花々が買い手がつくようにと、取り澄ましているように見える。 「綺麗ですよ、とても」 商業ビルと一体化した上野駅のメインには飲食店が立ち並んでいて、そこを歩くとまずパン屋のショーウィンドウから艶やかなデニッシュやプレッツェルの誘惑を受けることになる。様々な人種の人間が行き交うこの場所では、常に需要と供給が鎬を削っているようだった。 中央改札口の上には『自由』

ペニー・レイン(19章)

19また代わり映えのしない秋の日が始まった。案の定、槇村の姿は見えなくなり、可織の最終日も確実に近づいてきていた。 あまねは日々をやり過ごすように暮らし、最後に響太に会ってからちょうど二週間目の夜、「文化の日は空いてる?」という何の色気もないメールを送った。そして、数時間後に届いた返事もまた「空いてるよ」という簡素なものだったが、あまねはこの間の件でという旨と待ち合わせ場所を丁寧に伝え、その後はあえて携帯電話のある方を見ないようにした。 会いたいけれども会うのが怖い、それ