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ペニー・レイン(10章)

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「一昨日ね、例の目の不自由なおじさんを案内することになったんだ」
「へぇ、どうして?」
「どうしてって、宝物館を見たことないからだけど」
久しぶりに一日ゆっくり過ごせる時間を得たものの、響太はどこか不機嫌だった。パンケーキが食べたいという要望から、とりあえずファミリーレストランに入ったのだったが、会話はどことなく噛み合わず淀んでいた。

「それって、狙われてない?」
「狙われるって?」
「なんであまねが案内するの?『あの娘がイイ』って言ったとか」
「……どうしてそんなこと思うの?」
あまねは、妙に絡んでくる響太にイライラしはじめ、槇村をかばいたくなる衝動にかられた。

「別にそのおじさんが気に食わないんじゃない。そういうやつが気に食わないだけだよ」
「どういうやつが?」
「人をうなぎみたいに扱うやつ。たまに贅沢して食べたくなるけど、決してメインのメニューじゃなくて、自分の都合に合わせてさ」
「そんなんじゃないよ。偶然だし」
「そうかな。若くて可愛い女の子に案内してほしかったわけでしょ?」
「可愛いとか可愛くないとか分からないじゃん。見えないんだし」
「だから、そもそも見えないかどうかさえ怪しいって話で」
響太はそう言うと、器用にバターを伸ばした。テーブル上には、気まずさとともにピンクレモネードしか注文しなかったあまねを後悔させる甘い香りが漂った。

「ところでさ、あまねは、あそこでいつまで働くの?」
「うん、私もそれは考えてる。あの空間は好きだし、楽だけど」
「普通に就職する気はないの?成績だってよかったのに」
「今更できるかな。それに、学芸員は空き枠がないけど、他にやりたいことはないから」
「枠の問題もそうだけど、難しいんだろ実際。会社員やってみたら?」
「そうかな」
「大人にならないと。このままずっとバイトし続けていくわけにはいかないでしょ?」
「……うん」
「ちゃんと聞いてる?真剣に言ってるんだからさ」
響太には、無意識の内に高圧的に詰問する癖があった。あまねは、そうなると何を言っていいか分からなくなり、さらに消極的な態度を取ってしまうという悪循環に陥るのだった。

「じゃあ……どうしたら大人になれるの?」
「どうしたら大人になれるか?そうだね、例えば『アザーサイド』を渋いと思えたら、かな」
「なに?」
「レッチリ」
「レッドチリ……」
「レッド・ホット・チリペッパーズ。いいよ、もうやめよう」
「よくないよ。真面目に答えて」
「いい?大人ってのは、常識の質量のことだよ。これも常識」
響太は、パンケーキに付いてくるメープルシロップのビンを指差した。中身は半分ほど使われていて、その注ぎ口にはたっぷりとシロップがこびりついていた。

「どういうこと?」
「つまり、これ以上は当然使わないし、使い切るべき量でもないって常識だよ」
「分かりやすく言って」
「それくらい分かれってこと」
「分かれって……響太は冷たいよ」
「そうかもしれないね」
隣のテーブルでは、大学生らしきカップルがいかにも楽しげにパフェをつつき合って食べていた。彼女の顔には剥ぎ取りがたい笑顔が描かれ、それを見つめる彼の瞳には、ただ優しさのみが溢れている。備え付けの無機質なテーブルキットさえもが、二人を祝福しているかのように輝いて見えた。

「微笑ましいね、あのカップル」
「本当に」
響太は、明後日の方向を見ながら呟くように答えた。

(続く)

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