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ペニー・レイン(12章)

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「いたいた。あの方が、お礼を言いたいって」
休憩時間を迎え平成館に戻ってきたあまねを、お局が呼び止めた。

事態を飲み込めずにあたりを見回すと、エスカレーターに付き添うようにして立っている槇村がいた。
「それじゃ、お先」
お局のやり方は、中学生がお節介や冷やかしで男女を引き合わせるときのそれと似ていた。あまねは、空腹をこらえつつ歩み寄った。

「この間は大変お世話になりましたのに、ろくにお礼も言えませんで」
「いえ、あのくらいのことでしたら」
実際、あまねにとってはそれが正直な感想だった。案内を終えてすぐバタバタとシフトチェンジしてしまったからといって、日を改めてお礼を言いにきてもらうほどのことをしたわけではなかった。

「北川さんはもう長いのですか?」
「いえ、まだ半年弱です」
「そうでしたか。案内していただきましたから、てっきり……ということは、面倒な役を負わされたわけですね?」
槇村はそう言うと、ひとりでに愉快そうに笑った。また、その意外な言動はあまねの緊張の糸をほぐし、会話に軽妙なステップを与えるきっかけとなった。

「実は、ちゃんと説明できていたか心配だったんです」
「大丈夫、とても助かりましたよ」
「安心しました。しかも、わざわざ来ていただいて」
「当然です。ところで、今日は何時までお仕事ですか?」
「二時半までです」
「そうですか」
槇村は明らかに逡巡し、継ぐべき言葉を探していた。あまねの顔色を窺えない代わりにより適した台詞を練り上げている、そんな間の作り方だった。

「もしよろしければ、少しお時間をいただけませんか?」
「時間というのは……」
「お仕事の後でお時間があれば、ということですが」
「ああ、はい。大丈夫です」
あまねは、槇村の発言に驚きはしたものの、不思議なぐらいすんなりと返答した。そして、そのことはあくまで無意識レベルではあったものの、響太の不在を認識した瞬間とも言えた。

「二時五十分には出られると思います」
「どのあたりでお待ちしていれば」
「そうですね……表慶館は分かりますか?閉鎖中のところです」
「表慶館ですね。分かりました」
槇村はそう言うと、一礼して心持ち足早に平成館を出ていった。

「戻ってくるの遅かったじゃない」
可織は、あまねの隣にイスを持ってきて、無造作に置かれた誰かのお土産のビーフジャーキーを頬張った。

「ちょっと話してて」
「今日は、早番だっけ?」
「はい」
金曜日は夜八時まで営業するため、早番遅番に分かれる。毎週必ずシフトインするあまねには、二、三回に一遍は早番が巡ってくるようになっていた。

「あの」
「なあに?」
「あ、いや、可織さん最後三十日でしたよね?」
「そうよ。いったい何回聞くつもりかしら?」
「確認までに、ですよ」
「そう」
結局あまねは、それがやましい密会であるかのように、槇村に誘われたことを言えなかった。

(続く)

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