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母との境界線


**第一章: 出産**

私は妊娠したときから、ある決意を固めていた。

子どもが生まれたら、絶対に母親には育てさせないということを。

母は宗教を幼いときから信じている。
宗教自体は、祖母が信仰していたよくある宗教だ。
カルトと呼ばれる類ではないと思う。
問題なのは、母が自分のしたいことを神様の言葉として正当化し、神様の威を借り、結果として私の人生を支配しようとしていることだ。

だから、絶対里帰りはしないって決めていたのに。

それなのに。

今、陣痛の痛みに耐えている私の横で、母は祈りの声を高め続けていた。

「光宗教の教えが導いてくれるわ!」
と、母はお経を唱え続ける。

耐えかねたように、助産師が声をかけた。
「お母さん、少し静かにしていただけますか?
娘さんが集中できないので。」

「お願いだから、黙ってて…」

私も、うんざりした表情で頼んだ。
しかし、母は一瞬止まっただけで、再び祈りを始める。

「この状況がもう限界…」

私は心の中で叫んだ。

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**第二章: 実家での葛藤**

結婚して家を出た時以来、訪れなかった実家のリビング。
あの頃より増えた、宗教の道具に囲まれている母に向かって、私は言った。

「お母さん、宗教のことはもう、私に押し付けないで。私が何を信じるかは、私の自由だから」

生まれた瞬間から、宗教に入れられていた私が、長年悩み抜いて出した答え。
一言一句に、私の30年の想いが詰まっている。

その言葉に対し、母はため息をついた。

「でも、子育ては親の助けが必要よ。
神様の教えも大事なのよ!」

わかってくれない。

母はいつも、自分の考えを勝手に宗教の教えに当てはめて、世界を見ている。
本当の私の想いなんて聞いてくれない…。

本当は、この家に里帰りするつもりはなかった。

あの世界的な感染症の流行がなければ…。

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**第三章: 保健所での出会い**

2020年。
未知のウィルスが、世界中で猛威をふるい出した頃。

私は、夫と一緒に母子手帳を保健所でもらいに訪れていた。
保健師と対面し、私は里帰りの勧めを受けた。

「地方の方が人が少ないから、疎開みたいな感じで、帰った方がコロナに感染しづらいかも。里帰りを勧めます。」
保健師が言った。

緊急事態宣言が、出る前だった。

「でもうちは、里帰りできるような親じゃなくて…むしろ子どもに悪影響というか…」
保健師の怪訝な表情に、私は言葉を濁した。

保健師は、首を振った。
「親のことを悪く言うなんて…。
私も親の身だからわかるけど、親はいつでも子どものことを考えているんだから。出産の時は、特に親に助けてもらった方がいいんですよ。親は、子育ての先輩なんだから。」

いつもそう。
世間では、親のことを悪く言うと異端者のように見られる。
わかってもらえない…。

帰るところがあるだけいいじゃないと、同調する夫。
夫の両親は、すでに頼れない。
その言葉を出されると、私は弱い。

夫と、母との間で、里帰りの話が交わされ、あっという間に里帰りが決まった。
母は快諾したらしい。

夫婦二人で出産に臨みたいという思いは、日々増加する感染者数の報道の前では、叶わなかった。

帰省が厳しくなる前にと、急かされるように私は夫の運転する車で、実家に帰省した。

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**第四章: 実家での葛藤**

実家のダイニング。里帰りして、母が作ったご馳走を食べた後、夫は帰った。

「今日は遠くから疲れたでしょ。21時よ、早く寝なさい。」母が指示する。

「子どもじゃないんだから…」私は反論した。

「光宗教の教えには、就寝は21時がいいと教わってきたのよ。子どもが生まれたらもっと早く、20時までには寝かさないとダメよ。」
母は厳しく言い続ける。

母は、光宗教信者だ。
しかし、信者といえど、母は本来の宗教の教えには沿っていない人物らしい。
自分の信じたいことを都合よく宗教の教えと絡めて、独自に信仰しているようだった。
そのため、同じ信者と教えの解釈でぶつかることも多く、母は孤立していた。

母のそんな長年の姿勢にうんざりした父は、私の自立を待って、離婚した。
そうすると母は寂しさを埋めるように、さらにのめり込んでいった。

私は就職を機に、やめた。
一人で教会へ行き、抜けたい旨を申し出ると、あっさりとあなたの自由ですからと、脱退させてくれた。
実際のところ、教会にとっても疎ましい親子だったのかもしれない。
母は今でも、主に自宅で自分の信じたい神様を信じている。

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**第五章: 悪夢**

臨月のお腹は、仰向けで寝ることを許してくれない。
重力を感じながら、横向きになり、何とか寝付こうとしていると、階下の母のお祈りの音が響いてきた。
あの祈りの音…。
子供の頃は、朝に夕にお経を唱えさせられたものだった。
友達と遊びに行っても、夕方のお経の時間に間に合わなければ、容赦なく叩かれた。
この声を聞くと、私はもう自由なのに、心が縛られる…。
お経って本来心が救われるものじゃないの…?

きっとお経じゃなくても、母の行動が私のお経に対するネガティブなトラウマを植え付けてしまったのだろう。

夢の中で、子ども時代の自分が現れた。

「お母さん、私を見て。それは理想の私!本当の私じゃない…」

朝、ノックもなしに部屋に入ってきた、母の声で目覚めた。

突然、本が私の前にバサバサと落ちた。
「これは、光宗教の子育て本。読んで、毎日お祈りしなさい。」
寝起きのボーっとした頭に甲高い、母の声が響く。

「あなたが結婚して何年も経ってやっと授かったのも、お母さんが献金したおかげ…」
朝からお説教が始まる。
胎教に悪い。
やめてほしい。

昔からそうだった。
頑張って志望校に合格しても、神様のおかげ…。
私自身の努力は、全く褒めてくれない…。

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**第六章: 出産の朝**

出産の朝、私は自分の部屋で入院グッズを用意していた。

「お産が不安なんだね。音緒は、不安になると用意しすぎるものね。」
母が優しく頭を撫ぜた。
それを反射的に、払いのける私。

「アラ、素直じゃない。よしよし、大丈夫よ。」
母は優しく微笑んだ。

私は心の中でつぶやいた。
ずるいよ…お母さん…。
そんな時だけまっとうなお母さんやるんだね。

気持ちが一気に子どもの頃に戻ってしまう…。

幼い頃から、何度も何度も言われた言葉。

音緒は、ダメな子だねぇ…。
でも、お母さんの言う通りにしていたら、大丈夫。

思考を停止して、母の言う通りにしていれば、家庭は穏やかだった。
時折現れる、自由な本来の私の声を無視すれば、母も笑顔で、平穏な日々を過ごすことができる…。

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第七章: 自立の決意

予定日の頃には、二度目の緊急事態宣言が出た。
県外の夫は、立ち会いどころか、会いに来ることさえ制限された。

出産前教室も中止。
出産時はマスク着用を言い渡された。
もし、入院時の検査でコロナに感染していることがわかったら、帝王切開での出産になり、その上出産直後から母子は離される。

立ち会いは同居している家族のみ。
感染病棟のある総合病院のため、そちらの病棟に人手が取られ、産婦人科は閑古鳥が鳴いていた。
陣痛中の看護も、手薄にならざるを得ないようであった。

母が立ち会うと言った。
いいよと初めは断ったものの、生まれたばかりの子どもも夫にビデオ通話で見せるからと言われたら、断りづらかった。
夫も、生まれたばかりの子どもを見たいと切望した。

赤ちゃんは、なかなか生まれなかった。
陣痛促進剤を投与されても、なかなか進まないお産に、医師が帝王切開を提案した。

母が叫んだ。
「帝王切開なんてやめてください!
神様の力で、きっと自然に生まれますから!
お腹を切るなんて、音緒がかわいそう!」

助産師と医師が目くばせをした。
感極まった母を、助産師さんが別室に連れて行く。

医師が困ったように、私に帝王切開の必要性を説明した。
「お母さんの世代の方は、帝王切開に抵抗があるとおっしゃる方が多いんです。
でも、30年前より今の医療は進んでいます。」

帝王切開の事は出産前に調べていたので、理屈ではわかっていた。
しかし、いざとなると実感が湧かなかった。

「あなたの場合、帝王切開の方が、母子ともに安全性が高いんです!
決めるのはお母さんじゃありません。
あなたがお母さんなんです!
あなたはどうしたいですか?」

そうだ…!
私がお母さんなんだ。
自分の体のこと、赤ちゃんのこと、今最善の選択を選ぶ帰路に立っている。

母が廊下で、
「帝王切開はやめてください!」と叫ぶ金切り声が聞こえる。

「…帝王切開でお願いします」

私は、母の制止を振り切り、手術台へ登った。

のちに臍の緒が、通常よりも短かったから、難産になったのだと聞かされた。
臍の緒が短いと、分娩の時間が長くなり、 常位胎盤早期剥離や子宮内反症のリスクがあった。
命の危険があったということ…。

しかし、今赤ちゃんは元気に産声をあげている。
この選択でよかったのだ。

母がぶつぶつと不満を言うのを横目に、私は自分に言い聞かせた。

今日から私がお母さん。
私がしっかりしないと。
この子を守るのは、私だ。

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**第八章: 母の引き留め

私は母に感謝の言葉を伝えた。「もうすぐ帰るよ。里帰り、ありがとうね。
お世話になりました。
これ、少ないけどお世話になったお礼だよ。」
親しき仲にも礼儀あり。
母への謝礼は、里帰り前に夫と決めていたことだった。

母は娘を抱きしめて、言った。
「帰っちゃうんだねぇ。
…あなたがちゃんと育児できるのかねぇ…

…ねぇ、ほんとにあなたが産んだの?」

私は驚いた。

「何言って…?
立ち会ったじゃない…」

母は、続けた。
「この子、私が産んだ気がするわ。
遠くで結婚しなかったら、私が育ててあげるのに。

置いて行きなさいよ。」

私はゾッとして言った。

「タチの悪い冗談?」

母の表情は、至って真面目だった。
「離婚して、こっちに戻ってきたら?」

私は娘を取り返して言った。
「帰る!帰ります。
別に夫と離婚する理由なんてないよ!なんで?
この子は、夫と二人で育てる!」

「ふぅん?
産前産後を妻の母親に丸投げの旦那が、育児なんてできるのかねぇ?」

丸投げじゃない。
この未曾有の状況で仕方なく、だ。
小さな口論はあれど、毎日マメに電話をくれるし、子どもの未来に向けて一緒に話しているし…!

しかし、そう言われると不安になってしまう。

母は、相手の小さな不安につけ込むのがとても上手い。

「…産前産後に、お世話になったことはありがたいよ。
でも、お母さんは、ちゃんとこの子のおばあちゃんでいて。」

母は、私をじっと見つめて言った。
「どうせ、すぐ泣きつくんだから」

音緒は、ダメな子。
私がいないと、一人じゃ何にもできない。

母の言葉が、こだまする。


**第九章: 一ヶ月健診

一ヶ月健診で、
母と二人で健診へ行った。

「ねぇ、書いてもらったチェック表で、ストレス指数が高いんだけど、何か不安があるかしら?」
助産師が私に尋ねた。

母は驚いた様子で言った。
「そんな…。ここまで上げ膳据え膳しているんですよ?!そんなわけないじゃないですか。」

私は母をチラリと見た。

「別室でちょっと話そうか…」

助産師が提案した。

「何でも話してね」

私はため息をついた。

「私、ちゃんとこの子のお母さん出来るか自信がなくて…」

助産師は優しく言った。

「自信がないのね。
誰でもみんな初めはそうよ。子育ては親育て。
お子さんが0歳なら、お母さんも0歳。
あなたはあなたなりに、一緒に成長していけばいいのよ。」

私は涙を拭いながら言った。

「でも…母が私じゃ上手く育てられないって言うんです。」

「いろんな育て方や考え方があると思うし、子ども自身が幸せだと思えたら、それでいいのよ。
お母さんは、お母さんの信じている育て方があった。
でも、あなたはあなたよ。
あなたは、お母さんじゃないのよ。」

私は深呼吸して言った。

『お母さんはお母さん。私は私』

母と私の境界線をきっちり引こう。

---

**第十章: 新たな一歩**

病院の前で、私は夫の迎えを待っていた。

娘をしっかりと抱きしめながら、
私は、二人で育てていく決意を胸に刻んでいた。
やがて夫が車で到着し、私は娘をチャイルドシートに座らせた。

私は心の中でつぶやいた。

この子はこの子。
そうやって、尊重して育てていきたい。
お母さんの影響を受けずに、夫婦で協力して育てるんだ。

車のエンジンがかかり、私は夫に話しかけた。

「一緒に頑張ろうね。」

夫は頷き、
「もちろん、一緒に頑張ろう」と答えた。

なぜ、わざわざそんなこと言うの?とでも、言いたげな顔をしている。

そりゃ、そうだ。

「帰ったら、まず新しいお布団に寝かせてあげようね。」

私はそう言って、穏やかな表情で、青空を見上げた。

**終わり**

---

この物語は、母親の過干渉からの脱却と自己の確立を描いたものです。
私は母の支配から逃れ、自らの母親としてのアイデンティティを確立するために闘いました。
その結果、私は自分の家族を守り、愛情を持って育てることができる強い母親になれたのか…?

それは、自分ではわかりません…。
答えは、成長した我が子に聞いてみることにします。

このエッセイが、読んでくださった方へ自分自身の人生を生きるエールとなりますように。

※身バレ防止のため、フィクションを交えてお話の構成を考えています。

作者は、特に現在信仰している宗教はございません。

宗教自体に何かものを申したいわけではなく、この物語の登場人物にとって精神的に依存している対象の一つとして描いております。

なお、実在の人物や団体などとは関係ありません。

ご了承ください🙇‍♀️
(※個人情報保護のため、出てくる名称は現実の世界とは一切関係ありません。
光宗教というのは、架空の宗教です。
読みやすくするためにフィクションも入れてあります。出来事についても、すべてが実際に起こったことではありません。
セミフィクションとして読んで頂ければと思います)

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