夕暮れの飛行機雲 ⑤(小説)
そういえば、祐樹は声がとてもよかった。
張りがあって艶艶している感じ?
特に声変わりしてからというものは、そこに包み込むような優しさも加わってその魅力的だった。
私は「声、いいね」なんて、とても恥ずかしくて言えなかったけど。
本人にはその自覚がないようで
「今日、後ろの席の女子に、声優になれば?なんて言われたんだ。何でかな?」
なんて、本当に理由がわからないって調子で言ったりした。
中学生になってクラスが別々になった私たちの会話と言えば、もっぱら携帯電話だった。そんな会話も、宿題の合間の夜の電話だった。
中一のはじめ頃には、クラスの大半が携帯電話をもっていて、学校のニュースもメールで送られてきたりした。
「今日の理科の時間、ちゃんと起きているつもりだったのに寝ちゃってた。原口!白目むいて寝るなって先生に怒られて恥ずかしかったよ」
「ゲッ、そりゃ気持ち悪いわ。中田先生、そんな顔見せられて可哀そう。そういや、おまえどこでも寝れるよな。いつか俺の家の犬小屋の前で寝てたことあったし」
「いやいや、そこ慰めてくれるとこだよ。家に帰ってもまだ恥ずかしいんだから。クラス中にどっと笑われてさ」
「いいんじゃね。中田先生の授業、眠いし。みんなの眠気覚ましになったということで」
「今更遅い」
「しかしさ、おまえいろいろ動き過ぎだから眠いんじゃないの」
「そうだけど、体はそんなに疲れてないはずなんけどね。ただ理科の授業がつまらん」
中学に入っても私はせっせといろいろなものに投稿を続け、体操部のマネージャーをし、生徒会の仕事をし、日曜にはボランティア活動までしていた。忙しいお母さんのために、公民館で小さな子の面倒をみるのだ。
「疲れるっていったら祐樹の方が疲れるでしょ。朝練に、サッカーチームに」
「まぁね、将来、サッカーに関わる仕事したいと思っているからさ」
「うん、目標をもっているのはいいことだ」
私たちはときどき、こんな他愛のない話しを電話でした。話すことで、祐樹の声に癒され、元気をもらい、恥ずかしさも怒りも落ち込みも半減した。
祐樹から電話があるのも私がかけるのも一週間に一回ぐらいで、それが私たちにとっていいペースだった。
本当はもっと話したかったけど「今疲れているからな。もし寝てたら悪いよね」と思うと、そう頻繁に電話できなかった
小学校の頃だったら、自分が遊びに行きたければ、すぐ祐樹の家のベルを鳴らすのをためらわなかったのに・・・
私たちは相手の時間を気にする、そんな年頃になっていたのだ。
祐樹と話すと「心が繋がっているな」と感じた。
面と向かって話すと感じない何かが、電話口から聞こえる祐樹の声にはあった。胸の奥底の何かが融かされる感じ。
でもそれは恋愛感情とは別の何かで、突然「俺さ、好きな子ができたんだ」なんて恋の相談をされても、当時は真剣にノッてあげたような気がする。
幸か不幸か、中学の三年間、私たちは誰かを好きになったり、つき合ったりするタイミングがなかったけど。
中一ぐらいから、クラスにもカップルが二、三組できたり、ときには誰かが誰かに告白をした、なんてニュースが駆け巡った。そんな時は普通に盛り上がったりもしたけど、大半は勉強と部活にほどほどに真面目な田舎の中学生だった。
カップルで下校するのも自然な光景である一方、一人でいることも至って自然な光景だったのだ。
ときどき、なぜ私は、誰も好きにならなかったのかと悩んだことがある。
小学校の後半から愛読している少女漫画に出てくるような「胸キュン」にずっと憧れていたはずなのに、私にはそんな出会いはやってこなかった。
少女漫画に出てくるキャラに憧れ過ぎるからいけないのか?
思春期の健全な女に子としてはちょっとマズイのではないだろうか。
そんな悩みを祐樹に相談した。
中二の冬だったと思う。
「精神的にちょっと欠陥があるのかな。ちょっと自分が心配だよ。この年で誰にも恋愛感情を抱かないなんて」
「おまえ、忙しいようで暇なの?仕方ないじゃん。ないものは」
祐樹の声はいつになく不機嫌だった」
「祐樹、なんか怒ってる?サッカーうまくいってない?」
「いいや、そんなことないけど。そんなことないけど、俺、サッカー辞めるわ」
「はっ?」
私は思いがけない祐樹の言葉に言葉が出なかった。
そして次に来たのは怒りだ。
「何で?あんなに頑張っていたじゃない。朝は学校のサッカー部で朝練してさ。放課後はクラブチームに休まず練習に行ってさ」
「そうだけど。頑張っていたのは本気でやってたらサッカー選手になれるかもしれないって思ってたからなんだ」
「まだわかんないじゃない。高校だって大学だってサッカーのすごいとこで頑張ればJリーグから目をつけてもらえることだってあるんでしょ」
「いや、自分の実力がレベル違うってわかってきたんだ。チームにも俺よりうまいやつらがいっぱいいてさ。でも、その全部がサッカーの強豪の高校に入れるわけじゃないんだ」
本気でサッカー選手を目指すのであれば、強豪高校へ越境入学して寮に入り、インターハイなどを目指すのが王道だと私も以前聞いたことがあった。それにはかなりのお金がかかることも。
ちょっと寂しいけど、祐樹が、サッカーで遠くの高校に行くことになっても、今まで通り電話で話せばいいかと思っていた。
「ほんというと、サッカー選手になりたかったのは、有名になってTVなんか出たりしたら、俺を預けたまま連絡がない母さんが見返すんじゃないかって気持ちもあったんだ。あんたが捨てた息子はひとりでこんなに立派になったよって思わせてやりたかったんだ」
「だったらもうちょっとやりなよ。おばさんたち、高校のお金、いくら高くても出してくれるよ」
私は祐樹の家のプライドのためにもそう言った。実際隣の家はそのくらいの経済的余裕がある家に思われた。
「確かに俺がどうしてもサッカー続けたいから、サッカーの強豪校に入りたいって言ったらお金は出してくれると思うけど、そこから将来に繋げる自信がないんだ。今まで合宿とか遠征でお金いっぱい出してもらったからこれ以上は迷惑かけられないんだ」
「そんな、祐樹の夢だったのに」
「夢でもさ、能力的に絶対無理ってのがあるわけ。それがだんだんわかってきたんだ。真理も、アイドルになりたいって言っても無理っぽいだろ」
失礼ね、私はそこまで可愛くないってこと?と思ったけど、それは本当だった。
アイドルにちょっと憧れたのは確かだけど、もしオーディションを受けても百%落ちそうな気がする。
「で、来年は中三だろ。俺、勉強に切り替える」
切り替えはや、と思ったけど、私は祐樹が長年の夢をあきらめると言ったのと、これまで私に相談してくれなかったことで複雑な思いだった。
「相談してくれたらよかったのに」
「迷ってた、っていうより、だんだんそうした方がいいとわかってきたって感じかな。それにお前に言うと母さんの耳にすぐ入りそうだったし」
確かにそうだ。私はよく考えもせずにおばさんに「祐樹の夢を助けてください」なんてお願いしただろうし、おばさんもおじさんも「お金の心配なんてするもんじゃない。将来的にどうなろうと祐樹が高校もサッカーやりたかったら好きな高校に行きなさい」って言ってただろう。そんな人たちだ。
そうなると祐樹自身に迷いが出るかもしれないし、みんなを巻き込んで心配かけることになる。
そこを祐樹はわかっていたのかな。
「できるだけいい高校に入って、国立大学入る。やりたい仕事を見つけて大きな会社に入る。それが俺の第二の夢」
電話口の祐樹の声はいつも以上に凛として素敵だと思った。
そして、そう言い切った祐樹を大人だと思った。
いつから祐樹は私を追い越して大人になったんだろう。
「恋愛感情というものがわからない」なんて、そんなレベルで悩んで相談した自分が恥ずかしくなった。
そんなことを話したにも、私が初めて買ったピンクのガラケーだった。
あのガラケーはどこへ行ってしまったんだろう。
家へ帰り、「もうすぐご飯だから」の母の声を背中に受け、部屋へ上がった。高校まで使っていた僕の部屋は、荷物の整理はたいぶついているとはいえ、ほぼそのままだった。
シャワーを浴びなきゃとは思うけど、携帯が手から離せない。そのままカーペットの上に腰を下ろした。
真理への電話は繋がらなかった。
できたら何気に「ちゃんと家に帰れた?」なんてショートメールを送りたかった。「うん、大丈夫だったよ」と返事がくる。それだけで満足できそうな気がした。
でも、それを妨げたのは長い時間の壁だ。
真理の電話番号はもう真理のものではなかったのだ。
身も知らない他人からもメールは誰だって無視するだろう。確認しておいた方がいいかもしれないと、思い切っ真理へ電話をかけてみた。
「ちょっと具合わるそうだから、ちゃんと帰れたかと思って」
うん、自然なセリフだ。
何もおかしなところはない。何度も口の中で練習し、電話をかける。
しかし、登録してある番号へかけると、若い男の子が出た。
真理のことは知らないという。その番号を使い始めて三年以上になるということだった。
そうだよな、真理が最初に携帯を買ってからもう一五年だ。その間、自分のように、同じ番号を使う人の方が少ないかもしれない。
そう自分を納得させるが、少し寂しかった。
同じ番号を使えばお金がかかる時期もあったけど、僕はあえて同じ番号にした。
疎遠な誰かが、自分を思い出して電話をくれようとしたとき、繋がらないとこまるから、というのがその時の理由だった。
でも、心の奥底には真理と繫がっていたい気持ちがあったのかもしれない。
僕は中学のときにはもう真理のことが好きだった。
それがどうやら恋愛感情というものだと意識したのは中一のときだった。
一人でいる時間に真理のことを考える時間が多くなり、校庭で体育が一緒になる時間は誰にも気づかれないように真理の姿を追い、電話があった後はしばらくウキウキした気分が続いた。
これが恋なんだと思った。
いつからだったのだろう。
真理が髪を伸ばしてまるくなったときからだった気もするし、白い襟のセーラー服がまぶしく感じたときからのようなきもするし、道で小さな女の子とすれ違ったときに優しく声をかけたときからだった気もする。
しかし誰にも気づかれてはいけない。特に真理には。
もし気づかれたら、後には気まずさだけが残る気がした。
そして、現実的にも「つき合う」なんて時間の余裕は僕にも真理にもなかった。
「友達の知ちゃんね、告白してOKもらったんだけどね、それから登校も下校も一緒で、今度遠足に彼氏の分もお弁当作るんだって。すごいよね。いくら好きでもそんな関係、重くないのかな。祐樹も中学につき合うなんて考えられないでしょ」
中学生活にも慣れた頃、かかってきた電話で真理はこんなことを言っていた。
中学でも誰かとつき合う気があるか?なんてセリフは他の女に子が聞いてきたら、私はあなたに気があるんだけど、つき合う気はありますか?なんて意味にとれる。
しかし、真理が同じことを言うと本当に言葉だけの意味しかない、ってことは日頃の言動からわかりきったことだった。残念ながら。
僕は、本当に好きならできるだけ長い時間を一緒にいたいと思うだろうし、相手のことを束縛したいと思うだろう。
真理の友達のカップルの関係をわからなくもないと思った。
しかし、そんな思いとはうらはらに口から出たのは
「もちろん。いろんな友達とつき合いたいと思うし、カップルでばかりいたら世界が狭くなる気がするな。つき合うなんてもっと大人になってからでいいよ」
だった。
「でしょ。私も同じ。今からそんなしんどい思いしなくてもね」
しんどい?真理にとって異性とつき合うことはしんどいことなのか?
ふーとため息が出るのをこらえる。
「でも、真理の前に突然イケメンが現れて、恋することだってかるかもだぜ」
「ないない。私は祐樹のサッカー応援して、夏休みとか冬休みに映画に行くだけで幸せなんだから」
あーあ、だめだなこれは。
現実問題としてつき合う時間も度胸もないんだから、あーあもないんだけど、僕は絶望的な気持ちになったものだ。
三年の誰かが真理に手紙を渡したとかの噂でやきもきしたり、たまの電話では気持ちが出ないように気を使いながら、いい相談相手を演じたりで、僕の中学時代はなかなか疲れるものだった。
しかし幸せな中学時代だったと思う。
電話で話すだけで真理が身近かに感じられたからだ。
確かに自分にそれほどサッカーの才能がないと気づいて、進路を変更しなければならなかったときは辛かった。
しかし、それはケガで急に夢を絶たれたというわけではなく、長い時間をかけてできるだけ頑張ってそれでもダメだとわかったものだった。考える時間も十分にあった。
世の中には、持って生まれた才能というものがあって、いくら努力してもかなわない夢があることを僕は中学時代に知った。できるだけ早い時期に知ったことを今にして思えばよかったと思う。
そして夢をあきらめたときに好きな女の子がいた。
真理がいた。
真理がいたから僕の僕の目標は静かにシフト変更できたのだ。
真理はサッカーを断念したことを残念がったけど、理由を言ったら「大人だねー」なんてわかってくれたっけ。
本当は遠くまで試合の応援に来てくれ、サッカー選手になることを一緒に夢見ていた真理に申し訳なく思っていた。
だから第二の夢を見つけて頑張ろうと思っていたんだ。
そして、いつも僕が一番きついときに側にいてくれた真理に何か恩返しがしたかった。
しかし、結局、そのチャンスは巡ってこなかった。
そして今も僕は何もできないでいる。
ただ携帯電話を見つめて途方に暮れているだけだ。
つづく
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