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楽曲感想『ポップミュージック』Juice=Juice—じきに忘れるよでもいつかまた会いたいね―

1. はじめに

今回の記事は、「なぜこの楽曲が素晴らしいと感じられるのか」という
趣旨ではなく、純粋に楽曲をどう解釈して楽しむことができるかを
書き綴ったものです。

解釈を試みるのは、Juice=Juice『ポップミュージック』です。
とにかく不思議で、底抜けに明るくて、楽しくて、でも妙に懐かしくて、
詩としても楽曲としてもパフォーマンスとしても非常に味わい深い一曲。

まずは、是非とも聴いて頂きたい…。
心が向けば、是非是非二度、三度と…。

私は、この『ポップミュージック』は、
「ポップミュージックとは何か」という疑問を呈しながら、
作詞、作曲、編曲のすべてでポップミュージック自体を体現した作品だと思いました。


今回は上記のように解釈できる理由を約1万字のボリュームで書き上げた記事となります。お付き合いいただけますとうれしいです。

2. Juice=Juice 『ポップミュージック』の概要

(前節はいいから、解釈を、という方は 3節から読んでください)
『ポップミュージック』は2020年4月1日に発売した、アイドルグループ Juice=Juiceのメジャー13枚目のシングルです。
まずは作品に関わった主要な方々を簡単に紹介していきます。

Juice=Juiceは、ハロー!プロジェクト(略称:ハロプロ)に所属する
アイドルグループ。(ハロプロではモーニング娘。などが有名ですね。)
Juice=Juiceは特にパフォーマンス力に定評があります。

最推しアイドルグループなので、ライブパフォーマンスも宣伝します。
(自動的にライブパフォーマンスのところから再生されます)

妥協なきクオリティ、無限のキャパシティ…!! 当然生歌。
残念ながらこの『プラトニック・プラネット』は未音源化。

作詞・作曲はKANさん。
『愛は勝つ』をはじめとする代表曲を持つ偉大なシンガーソングライター。
自身の曲以外にも今井美樹さんの『雨にキッスの花束を』の作曲など広く手掛けられています。
そして今回の『ポップミュージック』は2020年2月(Juice=Juice版の発売の2ヶ月前)に自身の最新シングルとしてリリースされています。

言うまでもなくこちらの編曲もメロディアスで素晴らしく、
KANさんの声は当然のこと、「57歳にもなって」(本人談)挑戦された
ダイナックな踊りも見どころ。

編曲は炭竃智弘さん。
ハロプロを中心として『今夜だけ浮かれたかった』の編曲や、
先ほどの『プラトニック・プラネット』を手掛けられています。
『ポップミュージック』では、原曲のKANさんバージョンとは違う
大胆で味わい深いアレンジをされています。
その他実績はdAP productionさんのHPでどうぞ。

このアレンジが楽曲のテーマ表現に非常に大きな役割を果たしていることは、次の章から早速述べていきたいと思います。

3. 最初に聞いとくけどポップってどんな意味?

冒頭サビ終わりで投げられる疑問。
ポップって何でしょう。ポップミュージックって何でしょう。
これってどんな音楽のことなんでしょうか。
この問いは、作詞作曲のKANさんですらどうにもならない難問のようです。

メロディ発想時に特に意味もなくあった「Pop Pop Pop Pop Music」というフレーズが、気がつきゃアタマの中でがっつりフィックスしてたもんですから、ポップスアーティストとしてデビューして32年半も経ったこの期におよんで「ポップって何?」と自問自答を繰り返すだけではどうにもならず、この時期一緒にお酒を飲んだミュージシャンに「ポップって何?」と漠然とした質問を投げつけては困惑させ、そんなことを繰り返しながら書いた歌詞は、なんだかちょっぴり切ないものになりました。
    KAN official web site 「ポップミュージック 自主楽曲解説」より
        https://www.kimurakan.com/kanban/kanban090_cmnt.php

私はこの「ポップミュージック」とは何かという答え自体を体現するのが、
Juice=Juiceの『ポップミュージック』そのものだ、と思いました。

その要素を、歌詞のエッセンスと音楽の側面から掘り下げてみます。

3.1. 初めて聴いたのに妙に懐かしい―35秒の完成度

YouTubeのMVでは、冒頭サビが始まるまでに約27秒。
簡単に説明すると、下記三つの要素が入っています。すでにてんこ盛り。

(1) 鳩の鳴き声
   楽曲のつかみとして、強烈なインパクト。
   有線でぽっぽぽっぽと流れ始めたら注意を引きますよね。
   こっちを見ろ、こっちを聴け!と言っているようです。
(2) 『Pop Muzik』 M の引用
   同じ曲名のフレーズを引用。
   この"pop pop pop muzik” の裏打ちのリズムが、
   聴く姿勢を前のめりにさせてくれるような感じがします。
   (私は初見では気付きませんでした)
(3) 『Y.M.C.A』 Village People のイントロメロディの引用
   印象的な『Y.M.C.A』のブラスのイントロフレーズを4回リフレイン。
   世代を問わず、きっと聞き覚えのあるフレーズだと思います。
   西城秀樹版でも、知っていればOK。

原曲との聴き比べはこの動画でまとめられています。

特にこの(3)が重要な要素で、すぐに原曲が辿れなくても、
どこかで聴いたことがあるぞ、しかも昔に。
この感覚を呼び出すことがすなわち、
『ポップミュージック』で暗示される「ポップミュージック」自体と
リンクしています。
(実際に年配の方に聴いてもらうと、「YMCAやん!」となりました)

そしてこのイントロが終わった直後、冒頭サビの歌詞はこう続きます。

Pop Pop Pop Pop Music
初めて聴いたのに妙に懐かしくて

こ、この時点でもう分からせに来ている…!

(1) 鳩の鳴き声で注意を向けつつ、歌詞後半やMVとのリンク、
(2) Pop Musicというテーマの提示
(3) 知名度のある過去曲のフレーズをイントロのメロディとして引用

このステップを踏んだ聴き手は『ポップミュージック』を
「初めて聴いたのに妙に懐かしく」感じることができるし、
サブリミナルに感じてしまっている。

このフレーズまでで、まだ動画再生時間35秒です。
なんて濃密で、計算づくで、美しいんだ…!

冒頭サビ中は『Gimme! Gimme! Gimme!』ABBAのバックライン、
サビ直後は『The Hustle』Van McCoy。
これは細マッチョのCMなどで聞き覚えがあるかも。

これに加えて、シュガー・ベイブの『DOWN TOWN』のギターラインを重ねて、「初めて聴いたのに 妙に懐かしい」の具現に事欠かない構成。

3.2. タピオカミルクティーが持つ現在性と「昔」

「ポップってどんな意味?」と考えたときに、
過去にどんな曲を聴いてたか、どうやって聴いてたかを思い返す流れ。
その詩が1番Aメロです。

アナログレコードだけの昔 
ぼくらの日々はただカラカラで
ラジカセ馬鹿デカイ音で鳴らし
廊下でステップ踏んでいた
ネットもメールも使いこなす
ぼくらは逆にもっとシャバダバで
スマホ失くしたただそれだけで
絶望に立ち尽くしている

「ぼくら」に属するのは、アナログレコードやラジカセの時代の「昔」。
これはKANさんやそれに近い世代の人たち。
「昔」を知っていて「初めて聴いたのに妙に懐かしい」と
思える人たちでしょう。

では、「ネットもメールも使いこなす」のは誰でしょうか。それは、続く
タピオカミルクティーを持つ「君」のことかと思います。

ちゅるちゅるぷにゅぷにゅ
君のタピオカミルクティー
挙ってかき混ぜて
じきに忘れるよ
でもいつかまた会いたいね

「君」は、ネットもメールも使いこなせて、タピオカミルクティーを飲む。
これらの要素は、「ぼくら」のもつ「昔」の要素と対比される新しいものたちです。

この詩のおもしろいところは、「君」にまさに「昔」のものになりつつあるタピオカミルクティーを持たせたことです。

「ちゅるちゅるぷにゅぷにゅ」は滑稽でおふざけのようですが、
生々しい柔らかさ、その現在性を主張しているようです。

しかし、タピオカミルクティーは2020年4月時点で体感として
人気が下火になってきていました。
日経トレンディネットの記事で「タピオカドリンク大戦争」と書かれているのも、2018年8月のこと。下記の記事で大戦争になっているのだから、もっと前から火がついていたのは明らか。

「挙ってかき混ぜて じきに忘れるよ」この消費のされ方が
まさに流行であり、ポップの側面。

流行すれば、みんなで行列を作りタピオカミルクティーを飲むために並ぶ。
人気に陰りが出た今、実感として分かる「じきに忘れるよ」。
このあり方が、過去のポップミュージックと重なります。

でも、忘れてそれで終わりではありません。

この『ポップミュージック』で既にたくさんの楽曲の引用という形で、
「昔」の人はそれらに再会し、妙に懐かしい感じを楽しんでいます。
そしてそれは、不思議と耳に馴染み、頭にまわり、どこか切ない。
タピオカだって、また未来に流行したら、再会できる。


これが、「でもいつかまた会いたいね」の一節で表現されています。

この一節が、本当に愛おしい。一番好きなフレーズです。

タピオカミルクティーは、今回が第三次のブームだったからこそ、
ポップミュージックと未来に再会する希望の象徴となりうるのです。

3.3. 恋のようなポップミュージックー比喩としての恋

1番ABメロでは、ポップミュージックとの再会が、
タピオカミルクティーを象徴として表現されていました。

次にポップミュージックとは何かを考える際に、
比喩として提示されるのが恋です。
これが2番で展開される骨になります。

サドゥンリィな親戚の集まりで
母の若いフォトを見ていたら
ここんとこお気に入りのあの娘と
ほぼほぼそっくりさんでした

まず、「サドゥンリィな親戚の集まり」です。
これはKANさんのMVではお葬式として描かれています。

タイトルなし

お葬式が別れを意味する儀式だと考えると、
弱い関連性ですがポップミュージックやタピオカミルクティーが
比喩的に死んだときなのかな、と思えます。
場面導入でお葬式を選ぶ意味も、これと連動していると考えると面白い。
(KANさんが遺影で歌っているのは、滑稽でどこか自虐的な感じがします)

本題の恋について。
自分の好みが自分の父と類似していたというエピソード。
これも再会なのかなぁと思います。

遺伝子レベルで母の若いころは刻み込まれている。
だからこそ「お気に入りのあの娘」に、
「最初会った時から」なぜか懐かしさを感じ、心惹かれている。
これは2番サビに言及があります。

Pop Pop Pop Pop Music
最初会った時から妙に懐かしくて
笑顔を見るたび切なくなって
恋 恋 恋 恋って言うんです
そうだよ今夜もアタマが踠いているよ
恋 恋 恋 もういいよ 恋 恋 恋
誰かどうにかしてちょうだい この胸の痛み

2サビは冒頭のサビと対比すると、
ポップミュージックと恋の関係性が分かりやすいです。

・初めて聴いたのに妙に懐かしくて → 最初会った時から妙に懐かしくて
  ⇒これは2番Aメロについて述べた通り。
・陽気なメロディがなんか切なくて → 笑顔を見るたび切なくなって
  ⇒あの娘の笑顔が、ポップミュージックとの陽気なメロディに対応。
・どうあれぐるぐるアタマに廻っているよ → そうだよ今夜もアタマが踠いているよ
  ⇒恋のせいでアタマから離れないあの娘。
   脳内で不思議と何度もまわるポップミュージックのフレーズと同じ。

恋のせいで具体的に身に起こる症状。
これを「ポップってどんな意味」の一つの答えのヒントとして、
比喩的に恋の症状は出会いも含めてポップミュージックに似ていると表現。

通常の曲なら恋の描写を目的としていろんな比喩を用いることが多いのに、
ポップミュージックのために恋を利用する比喩の逆転、
そしてそれに伴う恋による強烈な共感性が美しい…!天才か…。


(言語学的に言えば、恋をソースドメイン、ポップミュージックを
ターゲットドメインとして "POP MUSIC IS LOVE"のような概念メタファーが構成されている、といえるのでしょうか)

3.4. かき氷ってどんな意味?

順番が前後しますが、2番Bメロの「ぼくは単なるかき氷」って何だ…!?

タイトルなし

言うまでもなく、これは2番Aメロで暗示される「恋」に直面した「ぼく」の状態を「かき氷」に例えた表現です。

ハッとして グッときて
ぼくは単なるかき氷
削って 飾られて
あっという間に溶けていってなくなるよ
淡いピンク涙の水たまり

しかし、この比喩について真面目に解釈すると、非常に難解に思えます。(この章はJuice=Juiceに造詣のある思慮深いハロヲタ様との議論のおかげで執筆できました、感謝致します)

3.4.1. 「かき氷」の描写の違和感

まず、「ぼく」が例えられる「かき氷」に即してその描写を見ていきましょう。その描写は次の4つになります。

(1)削る (2) 飾られる (3) 溶けていってなくなる (4) 水たまり(になる)

かき氷が作られて、その形がなくなるまでのプロセスが描かれています。

(1) 削る ⇒ 元々の氷の塊からの形状変化
(2) 飾られる ⇒ シロップがかけられ、提供されるものとして完成
(3) 溶けていってなくなる ⇒ 「かき氷」として提供される形からの変化
(4) 水たまり ⇒ 変化の最終地点

この4つの中で引っかかるのが、(1)削る と(2)飾られる です。

まず、(1) 削るについて。
この部分を散文に直すと、「かき氷が削り、飾られる。」となるのですが、
「かき氷が削る」は非常に容認度が低いと思われます。
通常なら、「かき氷が削られる」という受け身が使用される箇所でしょう。

(文法的に動詞を並列したとき、後続する「飾られる」の受け身表現から、
 前の「削る」へ受け身の意味は付与されないように感じていますが、
 日本語文法に詳しい方、いかがでしょうか…?)
 c.f.  のび太はジャイアンに殴られて、蹴られた。
   ?? のび太はジャイアンに殴って、蹴られた。

「削る」の意味については、時節で考察するため、一度保留とします。

次に、(2)飾られる という描写です。
そもそもかき氷って飾られるのでしょうか…?
この表現は立ち止まって考えると違和感があるように思います。

かき氷を食べるときのことを想像しても、かき氷自体を飾りとして小時間でも目の前に置いておくことは考えにくいです。
(はじめはインスタ映えするようなゴージャスかき氷かと思いました)

そこで、この箇所を「かき氷が(何かに)飾られる」と解釈し、
その(何か)をシロップという典型的なものとして補う必要があります。

このシロップ自体は、「淡いピンク涙の水たまり」から、
遡行して定番のイチゴ味のシロップではないかと推察されます。
ピンクは2番のテーマである恋に繋がるイメージカラーですね。

このシロップがかかったかき氷は、すべてを味わい尽くしてもらえることなく、そのまま溶けて形を失い、原形をとどめない水たまりになってしまう。

ここまでで登場するかき氷の要素は、「削られる前の氷塊」「シロップ」「溶けて水たまりになったかき氷」の3つです。

3.4.2. かき氷のような「ぼく」について

かき氷について、「かき氷が削られる」という描写の違和感を残しつつ、
このまま恋に直面した「ぼく」の状態を解釈してみます。

前節で登場したかき氷の要素を「ぼく」に置き換えて考えると、
削られる前のかき氷 → 飾らないありのままのぼく
シロップ → 流行のお洒落な服などの服飾品など
水たまり → 飾った甲斐なく、相手に受け入れられずに流した涙
のように思えます。

君に「ハッとして グッとき」たぼくは、
ありのままの自分から、君に気に入られようと身を削る。
さらにお洒落な服などで着飾ってみる。
それでも君に気に入られることもなく、ぼくは涙を流す。

タイトルなし

(「飾られて」で化粧をするような振り付けがあるからも、
 お洒落をするという意味にとれそうでした)

このように解釈すると、前節の宿題として残った「かき氷が削る」という
表現は、「ぼくが身を削る」という表現から来たものと考えると、
しっくりくるように思います。
ただしこの場合は「ぼくが飾られる」という表現の側に違和感が生じます。
君に気に入られようとする場合、「ぼく」は主体的に自分自身を「飾る」のではないかと思います。

もしかすると、例えられる「ぼく」ベースの表現(ぼくが身を削る)と、
例えのかき氷ベースの表現(かき氷が飾られる)が文法的に混じり、
「ぼくは単なるかき氷 削って 飾られて」という「ぼく」と「かき氷」の
どちらの解釈でも若干の違和感のある難解な表現となったのかもしれません。

3.4.3. 「ぼく」と「かき氷」とポップミュージック

ここまで、「ぼく」と「かき氷」の関係について考えてきましたが、
3.3で『ポップミュージック』の2番では「ポップミュージックは恋のようなものだ」というテーマがあることを述べました。

そのため、この「ぼく」と「かき氷」の比喩表現によって、
「ポップミュージック」の何が表現されているかを考える必要があります。

ここで、「ぼく」とは誰かということについて考えてみたいと思います。
ポップミュージックが生まれる過程で、
身を削ったり飾ったりするのは誰でしょうか。
こう考えたとき、「ぼく」に当てはまるのは
楽曲の作り手自身じゃないかと思いました。

「ポップミュージック」は、タピオカミルクティーが挙ってかき混ぜられるように、多くの人に享受されてほしいものです。
そのためには、作り手がありのままの感性で作品を生み出してヒットすることもあるかもしれませんが、多くは受け入れられるために様々な工夫、すなわち飾り立てをする必要があるように思います。
ただし、飾った結果が報われるとは限らず、そのまま楽曲自体を知られることがなかったり、聴いてもらえても流されて味わってもらえなかったりすることは少なくないと思われます。
このとき、「涙の水たまり」はできるのかもしれません。

以上から、2番Bメロがポップミュージックについて表現しているのは、
作り手側の苦心と、それが報われないことも少なくないという
ある種の悲しみであるのかもしれません。


さらに踏み込んで「ぼく」について考えると、
1番で描写があった「アナログレコードだけの昔を知っている」世代の
「ぼくら」に含まれるほどの歳を重ねている人物だと思われます。

楽曲の作り手であり、アナログレコードの世代を知っている人…。
これに、『ポップミュージック』の楽曲という高次の文脈を考慮すると、
この「ぼく」のことを部分的にKANさん自身のことだと考えるのはそこまで不自然なことではないのかもしれません。

だとすると、冒頭サビ「ポップってどんな意味?」、1番サビの「トップってどんなフィーリング?」の疑問とリンクしてリアルな意味を持ちますね。

3.5. 再考 ポップってどんな意味?

ここまでの解釈を踏まえて、ポップミュージックとは何でしょうか。

初めて聴いたのに妙に変に懐かしいし、
陽気なメロディがなんか切ないし、
どうあれぐるぐるアタマに廻るし、
どうあれ自然にカラダが動く。
そんな不思議な魅力を持っていて、
みんなと一緒に楽しむけれど、
いつか自然に忘れてしまう。
それでも、またいつか会いたいと思える、そんな存在。
例えるなら、それはまるで恋のよう。

このメッセージを肉付けしてくれる、タピオカミルクティーとかき氷。
「Pop Pop Pop Pop Music」のフレーズを何度も繰り返して、
アタマに廻るように仕組む作曲。
実際に初めて聴くのに妙に懐かしいと思うように、
様々な過去のポップミュージックのモチーフを用いた編曲。

この楽曲の在り方が、ポップミュージックについての疑問を呈すとともに、
ポップミュージック自体を体現しているように思います。

「最後に聞くけどこの曲どんなフィーリング?」
はオープンクエスチョンというよりは、
私には「ここまでで伝えたポップミュージックは伝わったんでしょうか」
という問いのように感じました。

4. アイドル Juice=Juiceがカバーする意義

3節の解釈は、作詞・作曲・編曲の面から考えたものです。
そこに表現者、アイドルとしてのJuice=Juiceの役割はありません。
では、Juice=Juiceがこの曲をカバーする意味は何なのでしょうか。

また、この楽曲はJuice=Juiceが自身のシングルとして発表する2ヶ月前に、
作詞作曲のKANさんが自身の曲として公開しています。
オリジナルが公開されてから、たった2ヶ月でのカバー。
この短期間での動きは、少し不思議に思います。

これは私の妄想ですが、ひとつの理由として
KANさんまたは音楽プロデューサーがKANさんの『ポップミュージック』を楽曲から解釈されうる「ポップミュージック」にするために、
同じ事務所のアイドルの力を借りるのが効果的だと考えたのかと思います。

KANさんの知名度は言うまでもないことですが、若い人も含めた世間に
この曲を発信するにはアイドルのほうがより効果的かもしれません。
一方でこの曲、コミカルなわりに音域も含めてかなりの難曲。
これを歌いこなす実力のあるハロプロユニットは…と考えて
Juice=Juiceに白羽の矢が立つ流れが想像されます。

それと同時に、この『ポップミュージック』はJuice=Juiceの絶対的エース、
宮本佳林さんの卒業シングルという位置づけでもありました。
この文脈を考慮すると、ここまでの解釈の肝であった
「じきに忘れるよ でもいつかまた会いたいね」の一節に
宮本さんとの別れと未来の出会いという意味が付与されるとともに、
「陽気なメロディ」の中の切なさがより実感される。
(MV終盤の宮本さんの羽ばたく振付も、可愛らしいけどどこか切ない)

タイトルなし

楽曲テーマとJuice=Juiceの実力、宮本さんの卒業、これが導き出すものが
原曲リリースから2ヶ月でのカバー発表だったのかなぁと思います。

また、『ポップミュージック』は、直前にヒットして500万再生を記録した『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』(略称:ひとそれ)のから大きく転換した路線の楽曲でした。

「ひとそれ」路線は両A面シングルのもう一方である『好きって言ってよ』で継承されており、Juice=Juiceのシングルとしてこの表現の幅広さを1枚で味わえる構成。抜け目ないですね…!

5. 想像:もしも小学生が『ポップミュージック』を聴いたら

『ポップミュージック』はその構造として「初めて聴いたのに妙に懐かしい」を、楽曲と詩をで体現している曲だと考えてきました。
でもこれは、私たちが引用元の楽曲を意識的であれ無意識的であれ知っているからこそ成立することです。

では仮に、引用元を知らない人、
例えば小学生が聴いたらこの曲はどうなるのでしょうか。
その場合は、この『ポップミュージック』が初めての出会いとして機能し、
将来的にオマージュ元の楽曲たちに出会ったときに
「初めて聴いたのに 妙に懐かしい」と思わせてくれるのかもしれません。

第三次タピオカミルクティーブームで行列を作った若い世代は、
昔にタピオカのブームがあったことを知る必要はありません。
(私も知りませんでした)

でも、今回のブームでタピオカに触れ、
タピオカが未来にリバイバルしたときには、
懐かしさとともに再会するのだと思います。
もしかしたら、私たちががタピオカミルクティーと再会するときは、
タピオカミルクティーそのものとの再会かもしれませんし、
『ポップミュージック』のオマージュ元の楽曲のように、
将来流行する食べ物のアイディアや一部の素材として生まれ変わったものかもしれません。

6. おわりに

ここまでお読みいただきありがとうございました!

1曲の解釈に約1万字も費やす必要があるとは思いもしませんでした…。
ですが、まだ『ポップミュージック』の振り付けやMVの演出意図などを加えると、まだまだ語り足りないというのが本当のところです。鳩についても言及していませんし…。

最後になりますが、この楽曲の冒頭サビ直後のギターに引用されていた、
シュガー・ベイブの「DOWN TOWN」は、Juice=Juiceの最新シングルとしてリリースされます。

Juice=Juiceの『DOWN TOWN』も非常に美しく格好いい曲になっていますので、こちらもぜひとも聴いていただければと思います。
コロナ禍が去っていく時期の希望として、今日的な意味を感じる選曲です。

「Down townへ繰り出そう」という詩が繰り返される意味、
化粧をして外を歩くという意味。

気持ちよく聴いて、コロナ明けの生活への期待を持っていたいですね。


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