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#37 ニイガタのモノヅクリ

今回は最近取り組んでいた仕事のことから、がっつり地元新潟のモノづくりについて書きます。かなりな長文になったこともあり、先回エントリより時間が経ってしまいました。どうぞおつきあいください。

新潟が誇る「百年物語」ブランド

今月の8日からドイツのフランクフルトで開催された世界最大の国際見本市「アンビエンテ」にて、新潟のモノづくりブランド「百年物語」の2019年モデルが発表になりました。

「百年物語」とはにいがた産業創造機構(NICO)が中心となり、新潟の様々な企業や作家をネットワークして、「百年後にも大切にしていきたい生活文化を、楽しみ、維持し、継承していくための道具」をコンセプトに、2003年よりスタートしたブランドです。毎年のテーマに沿って参加企業が商品開発に取り組み、生活に彩りを添える魅力的なプロダクトを数多く生み出しています。

まずは実際に発表になったばかりの2019年モデルの動画を紹介します。今回参加された8企業が開発したプロダクトたちは、とても魅力溢れたモノばかりということが分かってもらえると思います。

続いては2019年モデル発表に合わせて制作された「百年物語」のブランドを紹介する動画です。ブランドのコンセプトや果たす役割などはもちろん、2003年から取り組んできた歴史についても観て理解することができます。

実はこの2つの動画の制作に昨年の8月から、ずっと携わっていました。メインの仕事は絵コンテを切ることでしたが、事前の調査、資料作成から、撮影の立会い等半年近く取り組んできたので、ようやくお披露目できて嬉しい限りです。

今回新潟のモノづくりについて、諸々調べていくうちに、そのレベルの高さを改めて思い知ったので、ここに書いて紹介しておこうと思ったわけです。

新潟県は国内屈指のモノづくり県

日本では「伝統的工芸品」として、全国で232点が経済産業大臣より指定されています(2018年11月時)。さて、そのうち何点が新潟県の工芸品でしょうか?

答えは16点で、これは全国で3番目に多い数になります。1位と2位は京都と東京がいずれも17点で並んでいるのですが、それに1点少ないだけです。新潟に続くのが沖縄(14)、愛知(12)、埼玉(11)、石川(10)で、二桁数指定されているのはこの7都府県だけということからもその多さが分かると思います。

新潟県で指定されている16点の中身はというと、三条の打刃物、燕の鎚起銅器、村上の堆朱、加茂の桐箪笥、そして小千谷縮、十日町絣、塩沢紬などが指定されています。織物が多いのも新潟の特長の一つです。

この「伝統的工芸品」に指定されるには、下記5つの認定条件を前提として満たさなければなりません。

1.日用品であること 
2.主要工程が手作りであること 
3.100年以上続いていること 
4.伝統的に使われていた原材料であること 
5.一定の地域で産地形成されていること

これらの条件を見るに、京都や東京に工芸品が多いことは納得が行くと思います。しかしながら新潟県がこれほどまでに工芸品が多いのは、どんな理由があるのでしょうか。調べると6つの理由に行き着きました。以下1つずつ見ていこうと思います。


1.雪深い

新潟県は全国でも屈指の豪雪地帯です。この雪を利用したモノづくり技術が古くから醸成してきた背景があります。この雪深いという条件が、新潟を特に織物の一大産地にしました。雪のため冬の間は戸外作業ができないため、男性が県外へ出稼ぎにいく傍ら、女性は家内で織物に従事するようになりました。

雪解け水の豊富な地下水が染色に適した軟水であったため、素晴らしい発色効果を上げることや、空気中の湿度が高く昼夜と年間で湿度変化が少ないことも、織物を扱うには好条件でした。織物は工芸品の中でも高価な上に非常に軽いため、雪の中でも輸送に優れていました。さらに小千谷縮の雪晒しなど、雪によって糸や布を漂白する技術も生まれました。

中でも十日町は京都の西陣、丹後に続き日本で3番目の着物生産地になっています。その着物制作に使っていた布のりがそばのつなぎになって…という話もあるのですが、それはまたの機会に。

織物以外では、「小国和紙」という長岡市小国地域で伝統的に生産されてきた和紙が、雪が積もる冬季間の収入源として営まれてきたものです。

2.豊かな自然

質の高い工芸品作りには、同じく質の高い原材料が必要です。

加茂の桐箪笥の発展の理由としては、加茂市の総面積の約7割が山間地帯で、古くから天然桐が豊富であったことが上げられます。また弥彦山の日本海側に位置していた間瀬銅山(1920年に閉鉱)は、燕市の金属加工産地形成の礎となりました。それから佐渡の「無名異焼」は佐渡金銀山中より産出する酸化鉄を含む鉱物を陶土に用いて高温焼成したものです。

これらは一部に過ぎませんが、木材、鉱物、陶土など、豊かな自然が生んだ質の高い原材料の存在がモノづくりに果たした役割は大きいです。

3.我慢強い県民性

新潟県人の我慢強い気質が職人向きだったのではないかという説もよく言われる理由です。雪国特有の粘り強さと忍耐力を兼ね備え、保守的で堅実嗜好、頑固なところが、ひとつのことに従事してこれた理由かもしれません。

4.水運に恵まれていた

新潟は海運&川運の水運にも恵まれていました。鎖国後の開港五港の一つに数えられる新潟市は、古くから物資の集積地として栄え、海から陸から様々な地方の文化が入ってきました。

中でも北前船と呼ばれる、江戸時代から明治時代にかけて、大阪から瀬戸内海を経て下関を回り、日本海に出てから北海道にいたるまでの航路で活躍した廻船の存在が大きかったのです。村上の堆朱は江戸時代に京都から来た漆工がその技法を伝えたのが始まりと言われています。村上藩の歴代藩主もこの技法を奨励し、漆奉行なるものがおかれ、急速に技術が発達しました。また新潟漆器は多くの地方の技術を取り入れながら独自に発展させてきました。

文化や技術が外から伝わるだけではなく、新潟で生産された工芸品の販路を広げることにも、この水運が奏功しました。販路は大阪、江戸だけでなく北海道にまで広がり、漆器にいたっては新潟は全国でも一大産地となりました。

5.横の連携があった

燕三条地区がもっとも顕著なのですが、企業、職人間の横の連携があったこともモノづくりが盛んであった理由の1つと言えるでしょう。

モノづくりの様々な工程…。例えば金属加工業であれば、鋳造、鍛造、プレス、スピニング、切削、研磨などたくさんの工程を経てモノができあがります。これらの工程を一社で全てまかなうのは大変です。各々の工程を何社かの企業、あるいは何人かの職人で分業することによって、モノづくりを発展させてきました。各工程を様々な企業、職人が支えあってモノを作れる土壌が新潟県にはあるのです。

6.不易流行のこころ

最後は「不易流行」のこころがあることが挙げられます。「不易流行」とは松尾芭蕉が唱えた理念の一つです。「不易」とは昔から変わらないもので、「流行」はその時々で変わるもののことで、一見この二つは矛盾するもののように思われますが、根本において結びついているものだという意味です。

新潟のモノづくりは昔からの伝統を重んじて発展してきましたが、新しいものを取り入れてこなかったということはありません。

五泉市は現在ニット生産で有名ですが、その昔は絹織物が主流でした。戦争や大火によって織機を失い、絹織物業は破局的な状況まで追い込まれましたが、昭和45年を境にニットの町へシフトを変えて、世界的なニットの産地として発展しました。

燕三条は「工場の祭典」と銘打った工場の見学イベントを毎年開催しています。これまでの長い歴史の中で磨き上げてきた技術を活かして、新たな挑戦をしているたくさんの企業に出会うことができます。

「不易」に甘んじず「流行」にも敏感に取り組んできたことも新潟のモノづくり発展には欠かすことのできないことだと思います。


新潟には素晴らしいモノづくりがある

長々と書いてきましたが、新潟にはここにも書ききれなかったほどたくさんの素晴らしい「モノづくり」があります

今回は「百年物語」でしたが、これ以外にも新潟のモノづくりを県外へアピールできるような仕事をこれからも取り組みたいです。

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