NOと断る訓練、始動

NO!
この一言が言えれば人生は劇的に変わる。
NOが言えない私だからこそ、そう確信している。

ほんとは行きたくない飲み会の誘い
ほんとはやりたくない頼まれごと
ほんとは会いたくない人からの連絡
ほんとはほんとはほんとはetc...

そんなやりたくないことの頼み事が私に来た時
私は決まってこう答えていた

「いいっすよ!楽勝で!!大丈夫っす」
口角がとんでもない角度に釣り上げ、親指を立てて、美しいほどの二つ返事を返していた。

しかし、その返事を後の心の中は

「またバカやっちまった…行きたくないぁあの先輩めんどくさいもんなぁ。ほんとはサウナ行きたかったのに…はぁ」
とため息を74回ぐらいついている。

「じゃあ断ればいいじゃんか。それがシンプルな答え♪」と主体性の塊であるバックパッカーあたりににツッコまれそうだが、そうは問屋は卸さない。

「嫌われるのが怖い」
「断ったら空気読めてないみたいで嫌だな」
「なんかちゃんとしてるって思われたいな」

という他の人からの評価や、いい風に思われたいという想いが私をイエスマンにする。

“自分の意思vs他人の評価”

私の人生は多くの場面で“他人の評価”が勝ってきた。巨大なジレンマである。
誰かに褒められる。周りのために動くこと
それが美徳であるとそう信じ選択をしてきた。

自分の意思=自分軸
他人の評価=他人軸

だとすれば私はずっと誰の人生を歩いてきたのだろう。
振り返ると虚無感で胸がきゅーとなった

自分の意思で歩きたい

齢27にしてようやく気づいた。

かの有名な孔子大先生は「子曰く30にして立つ」と金言を残されているが、私にも30まであと3年ある。
「どうにか変わりたい…どうにか…」そんな思い持っていたとしても、何かを変わろうとすると怖い。
ただ一歩を踏み出さなければ何も変わらない。
またお得意のジレンマだ。私の人生はジレンマの塊でと言っても差し支えないだろう。


それでも変わりたい。

とそう思ったので変われるか変われないかはわからないがこの計画を実行する

“ワガママに生きちゃえよ計画

我ながらダサいネーミング。
笑うなら笑うがいい。(実際に笑われると傷つくやめてください)

そして、何事も計画には第一歩がある。
それを明日決行する。つもり。それは

四年続けて来た部活の外部コーチを辞める

である。これは大きな一歩である。
ボランティアで行っていた母校の部活の外部コーチ。最近行くのが辛くなっていたが、「監督にお世話になったし、選手にも申し訳ないから続けよう。断ったらなんか気まずいし」
と惰性で続けていたが、もう辞める。

なんて言われるかどういう表情をされるか怖いけど辞める。我が人生の為に。

こんなかっこいいこと言っているが明日は言えないかもしれない。そしたら笑ってくれ(実際には励ましてください)

今すごいドキドキしている。
明日には第一歩の報告の投稿をするので数少ない読んでくださる方は期待せずお待ちください。

最後に自分の背中を押さないとできない男なので自分にキング牧師のこの言葉を送ります。

疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべて見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのです。

ではまた。おれ、頑張れ!

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