主体をどこに置くか?〜ビジネス的にどっちが正しい?(笑)
ラーメン屋さんを開業したい若者がいるとします。
「俺の美味いラーメンを多くの人に食べてほしい!」
頼もしく強い意志を感じるとともに、暑苦しい(いい意味で)ほどの熱い思いがそこにあります。
同じような意味なのですが、もう一人の若者は
「ラーメンを食べて多くの人に幸せを感じてもらいたい」
と言っています。この表現だと熱苦しさは消え、勢いは感じられませんが、ぼんやりとした愛を感じてとてもほのぼのとしますね。
ではビジネスとしてはどちらが正しいのでしょうか?
物事の価値観は様々ですので「勢いのあるガッツラーメン人間」と「和み系幸せ願う人間」のどちらが正しい?なんて簡単に決めつけてはいけません。
ただ、そこにもう一つの物差しを入れることによって初めて正しいか正しくないか?という判断が出てくることがあります。
物差しとは、人として、友人として、法的に、一般的に、などなど様々ですが、この場合はビジネスとして、と考えてみましょう。
価値観の中で、人として、などの物差しは一人称でも成立しますが、ビジネスとして、という基軸は2人称以上が必要になります。サービスの提供=対価の支払い、という一人では実現不可能な経済活動が伴うからです。
多くの人に食べてもらいたい!という熱いラーメン人間は、とても強い意志が見られますが、よくよく考えると「食べてもらいたい!」という行為の主語は自分です。もちろんこの強い思いがなければ、自分が提供するサービスのクオリティを維持することはできませんし、強い思いは決して悪いことではないですが、相手があること、という点でビジネスとしては「独りよがり」であるということになります。
一方、和み系幸せ願う人間はナヨナヨしているイメージではありますが「幸せに感じる」という主語がお客さんということになります。ある意味「相手が幸せに思うこと」が大事であって、この人にとってラーメンはそのための手段の一つであるようにさえ感じられます。
この両者を比較した場合、ビジネスとして…という物差しの中では、主語を相手に置いている、相手の価値基準に目を向けている和み系幸せ感じて欲しい人間の方が正しい!と言えそうですね。
治療院として考えてみますと、技術自慢、経歴自慢(これはどこにでもいますねw)という自分主語ではなく、実際に「効果を出す」「相手が『治った』と感じられる」ことを主に置かなければビジネスとしては成り立ちません!というお話。
ただ「幸せに感じてもらう」という強い願いと、「幸せに感じて欲しい」という願望は、ちょっとの違いでだいぶ違うので要注意です。
時に人は、幸せに感じて「欲しい」と、欲しい方が強くなってしまいますが、これは主語が自分という点で単なるお節介、独りよがりな承認欲求であり、全くビジネスとしては成立しません。
ちょっとの心持ちの違いで、数年後の自分は大きく違う結果を見ることになりますよ…人の世は面白いですね!
身体のこと健康のこと不調のこと、お気軽にご相談ください!
ニューログリア脳神経科学研究所
所長 小林昌彦
オーストラリア王立メルボルン理科大学医学部卒業
スリランカ国立アンパーラ病院にて神経内科医として勤務
MENSAジャパン会員
現在自然医学の治療院として、古代インド医学アーユルヴェーダ、東洋医学、古代インディアン医学などを研究統合して実践しています。
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20年連続200人/月以上来院の自由診療(実費治療)の治療院の経営者が、徒手医学の将来を担う医学系の若者に向けて、徒手医学に関する書籍を執筆中。一般の人にはわかりにくい内容も含まれるかもしれませんがご了承ください。
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メール→umagiatles@gmail.com
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