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「言語化」ブームと推しコンテンツプレゼン合戦についてけなくなるぼく



どうも、とったんです。

非常に肩肘張ったようなタイトルになっちゃったけど、そんな高尚な話ではありません。ぼくは頭が良くないので。浅いです。浅井です。←誰?

自分で自分の頭が良くない宣言をするのは、何だか自分はメタ認知出来てますよアピールしてるみたいで鼻につくな…。何なんだよさっきから自分、自分って!自意識過剰がよ…。
数秒前に書いた自分の文章に憤ってどうするねん。一瞬の間に自我を分裂させるな。

おじさん特有のセルフツッコミはこのくらいにしておこう。誰にも相手にされない悲しみを背負った人は、自分が放った言葉(ボケ)を誰も拾って(突っ込んで)くれないと分かっている(あるいは諦めている)から自分で拾って自己完結させるのだ。

・太宰治の作品、『御伽草子』より「瘤取り」の悲喜劇

この哀愁は太宰治『御伽草子』の「瘤取り」のおじいさんに近い。

おじいさんは慎ましい妻と品行方正な息子がいるが、生真面目すぎておじいさんの冗談を拾ってくれない。だからおじいさんは自分でしたボケを自分で回収するし、一人でいるときに自分の瘤に家族への不満を言ったりする。

一方でもう一人のおじいさん、いわゆるいじわるじいさんは俗っぽい妻と子どもがいて、顔にできた瘤を笑ってくる。こっちのおじいさんはプライドが高く笑われることが不満である。

そんなある日、二人のおじいさんは元の話のように鬼に出会い、瘤をとってもらう。

前者のおじいさんは「おどけ」が上手で鬼たちを楽しませ、気分を良くした鬼たちは良かれと思っておじいさんの瘤をとってしまう。このおじいさんにとって瘤は唯一の話し相手だったのでそれを取られたことになってしまう。

後者のおじいさんは先に述べたとおりプライドが高く、堅苦しい舞で鬼たちを困惑させてしまう。鬼たちは前のおじいさんが瘤を取ったとき悲しんでいたのもあって、逆に瘤をつけてあげることにする。このおじいさんにとって瘤は劣等感の象徴なので増やされるとたまったものではない。

誰が悪いわけでもない(一般的に悪と断定されがちな鬼を愛嬌ある存在として描いているのも特徴的である)。ただ間が悪かったり、人生のあれやらこれやらが噛み合わなかったばっかりに起きた悲喜劇である。

思えば、太宰治の作品は中期から後期にかけてこういう悲喜劇的な作風が多いように思う。
前期は私小説という名の日記(自分語り?)が多いし。

これに関しては日本が私小説という概念を輸入したときに誤訳してしまったため、私小説が作家自身ののスキャンダラスな生活を書くものだと勘違いした、という説があるらしい(要出典)。

話が逸れすぎた。それな。反りすぎて総理になったわ。検討します。

逸脱しすぎだろ!

・過熱する言語化ブーム(個人的主観による)

本題に戻るんだけど、最近「言語化」が流行ってる、気がする。

言葉にしなきゃ伝わらないこともあるから、なんて恋愛もので散々使い古された台詞だけど。
(ここから先は、いやこれ以前も全部憶測でしかない)
物が溢れる現代では「良さ」を主張できないと淘汰されたり消えてしまう。
そんな危機感を覚えた(のかは知らないが)熱狂的なファンが、その人が社会人だったのかもしれないけど、自分の好きな作品をプレゼンし始めた。
結果、それがスタンダードになった。
世はまさに、大プレゼン時代!

熱狂的なファンにとって好きな作品は何回も見てるわけでそらんじることもできる。更級日記かよ(源氏物語が好きすぎて口伝で聞いたやつをそらんじれるや)。
そこに分析というスパイスをひとつまみ。
するとあら不思議!自分がなぜこの作品にハマったのか誰が見ても一目瞭然じゃないですか!

・現代のアイデンティティは「推し」

推し活文化がスタンダードになってる昨今、自分の好きなものを主張することが今の人々にとってのアイデンティティなのかもしれない。だからこそ、好きなものを否定されると自分までも否定されたように感じるのだろう。
芥川賞とった『推し、燃ゆ』って、「推し活」の言語化を文学的表現で成功させた稀有な例だと思う。

日本人は無宗教、と海外かぶれした人が謎のマウントをとるけれど(厳密にいうと日本は多神教で仏教と神道のごちゃ混ぜを内面に持ってるので違うが)アイドル・サブカルチャー文化に関しては信仰の域に達している気がする。

とまあ、思いつきの持論をここまでつらつらと述べてきた訳だけど、

ぼくはこの熱狂的な「推しプレゼン」文化についていけなくなってる。

…この書き方だとすごい「お気持ち」っぽさが出るな?

・加速する推しラブアピール合戦インフレに取り残されるぼく

ひねくれた言い方をすると、逆に言えば「自分がいかにその作品が好きか」を主張、あるいは言語化できなければ「ふーん、じゃあお前の「好き」ってその程度なんだ?」ってことですよね?(暴論)

そんな、みんながみんな言語野やプレゼンのスキルが優れてるわけじゃない。語彙力消失、なんて自虐ネタがあるけど、あれは「感動してる時の自分の語彙、少ないな??」っていうメタ認知を含んだ高度なギャグで本当に語彙が少ないとは限らないし、多分「じゃ、語彙増やせよ(笑)」って言ったらガチギレされると思う。

っていうか、自分の感情を文字起こしして分析してまとめ直して…っていうスキル、普通に高度だろ!何さも当たり前のように備わってると思ってんねん!
言語化してプレゼンして大バズりしてるオタク、オタク界の上澄みだからね!?みんながみんなできると思うなよ!?
「あれ、俺またなんかやっちゃいました?」のノリ、結構好きなんだねオタクくん!!

はあ…はあ…。

熱くなってしまったけど、要はぼくが自意識過剰で他者と比較して落ち込んでるおじさんなだけでは?最初に指摘したところの伏線を回収するな。

…言うほど伏線回収か?

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