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珈琲共和国・夢想、あるいは「すべてのことは不要である」

以下、昨日から今日にかけて書いた文章を、ぞろりとお披露目いたします。


Ψ 即席珈琲の思い出

さて今日は2021-8-3、そして今17:34なのですが、いつものごとく天井扇がぐるぐるぐると回る巡礼宿の一室で、奥さんはもうお寺に行って、毎夕7時すぎに始まるお香と火の儀式の準備にしているところなので、一人悠々と、30分ほどつれづれに文章をものして、そのあといつもの屋台でベジ・バーガーを買って、いつものチャイ屋で砂糖抜きのチャイと一緒にいただこうかなどと思っているところです。

で、意識の流れ風に、とでも申しましょうか、ベッドの上に寝転がって、首は壁にもたせかけて、両膝は立て、下腹部に富士通製のドロイド携帯を乗せ、両肘をお腹の横において支点とし、両の親指でガラスの画面を撫で回しながら、何しろ昨日出発点をグアテマラにしてしまったもので、バナナ共和国のことでも書くべえかと、先ほど頭に浮かびはしたものの、今はネットであれこれ検索する気も起きませんから、グアテマラは珈琲共和国なりという、ふぇいすぶく繋がりの友の言葉を頼りに、コーヒーの話でも少しだけしようかなと考えたのです。

1970年代の東京世田谷で小学生時代を過ごしたぼくにとって、コーヒーと言えばインスタント、そこにブライトやニド、そして森永の、何と言いましたか、これだけが牛乳から作ったものでしたが、そうした粉のクリーマーと砂糖を合わせて飲むのが日常的なことで、紅茶ならティーバッグでお手軽に、これもやはりクリーマーや砂糖のお世話になっておりました。

あるときから家でもドリップのコーヒーを飲むようになりましたが、何しろぼくは不精ですからわざわざ自分で淹れて飲むようなことはせず、父や兄が淹れるのをおすそ分けでもらって飲むくらいのことでして、それほど好んで飲んだわけではありません。

高校くらいになると喫茶店などに出入りするようになりますから

(以下略)

Ψ ネパール式コーヒーの実力

30分弱で余り考えずに書いた文章は到底まとまりそうになかったので、一旦放り出してチャイ屋で一服し、その後アルティと呼ばれるヒンズー寺の儀式に参加して、しかし最後までは立ち会わず、中座して部屋に戻ったところ今20:21である。

アルティの後片付けをして奥さんが戻ってくるまでにあと何分あるか分からないが、少し続きを書いてみよう。

続きと言っても横道に逸れて、ネパール式コーヒーの話である。

このコーヒーの飲み方は、たまたまネパールのとある宿屋で知ったから勝手にネパール式と呼んでるだけのことで、ネパールの人がみなこうやってコーヒーを飲んでいるかどうかは知らない。

その宿屋は、ネパールの首都カトマンズから東へバスで2時間ほど行ったドゥリケルという山麓の、小さな古都にあるのだが、山小屋風でなかなか風情のある宿だった。

1階のフロントを兼ねたロビーでは、飲み物と軽食が取れるようになっていて、荷物を置いて落ち着いたところで、奥さんと二人ぼくらはそこでミルクコーヒーを頼んだのだ。

するとこれが、牛乳をたっぷりと使ってあって、日本で普通に出てくるカフェオレなどより余程濃厚で、実にうまかったのだ。

ネパールは熱帯地方の山国だからコーヒー豆も作っている。それで「このおいしいコーヒーはどこのコーヒーですか」と聞いてみた。

すると宿屋の主人は、にっこりと微笑みながらネスカフェのインスタントコーヒーの瓶を見せてくれたのである。

それ以来、インスタントコーヒーを牛乳100%で溶いたコーヒーのことをネパール式コーヒーと呼んでいるのである。

とってもおいしいので、みなさんも是非お試しください。

Ψ ブレンドコーヒー、おいしいですか?

さて、話を元に戻そう。高校くらいになると喫茶店に行くようになって、一番安い飲み物はブレンドか紅茶だから、大抵どちらかを頼む。どちらも特にうまいと思って飲んでいるわけではない。sf仲間と話をするために喫茶店にいくのであって飲み物を味わいに行くわけではないのだ。

だから、ドリップのコーヒーがうまいと思ったことはなかった。

というか、待ち合わせで使うような喫茶店のブレンドコーヒーって、おいしくありませんよね?
コロラドとかそんな大昔のチェーン店のコーヒー屋の話です。

ぼくの舌が標準からずれてるのかもしれないけど、日本のコーヒーはおおむね酸味が強すぎると感じる。喫茶店などでもそうだし、ドリップ用の安い粉を業務スーパーのようなところで買ってみると、驚くほど酸っぱくてとても砂糖抜きブラックでは飲めないような代物なので、心底驚いたこともあります。

その点最近のセブンイレブンの100円ドリップコーヒーは苦味が中心のブレンドで、ぼくにはおいしく飲めます。東広島にいて車生活だった頃にはよくお世話になりました。

もちろんこれは趣味にもよりますし、ドリップ用のコーヒーと言っても千差万別ですから、とても大雑把な話をしております、はい。

Ψ 山の斜面のコーヒー畑

ここらでそろそろ、グアテマラのコーヒーについて書かないことには、看板倒れのそしりを免れないところなのだが、あいにくグアテマラでどんなコーヒーを飲んだものやら、まったく記憶に残っていない。

世界一美しい湖、ラーゴ・デ・アティトランの湖畔に住んでいる日本のおばさまが、エスプレッソ用のポット(というのでしょうか?)を持っていて、それでコーヒーを淹れていただいたような気もするのだが、どうにも記憶が曖昧である。

その代わり、湖を囲む山をピクニックがてら登ったとき、その山の斜面がコーヒー畑になっていたことはよく憶えている。

すごい斜面に平気でコーヒーの木がずらりと植えてあり、赤い実があちこちになっていて、彩りとしてはクリスマスの雰囲気を醸し出すとても印象的な風景だったのです。

Ψ 「すべてのことは不要である」

床について眠りが訪れ、朝が来て目が覚めた。

noteとfacebookとtwitterをぱらぱらと見て、今は07:40。

何となく思いつきでコーヒーの話を書き始め、何となくコーヒーの話で全体をまとめられるような気になって、それでこの文章を仕上げてみようかと、そんな気持ちが膨らみつつも、「そんなもん書いて何になるの?」という悪魔的なささやきが頭の中に浮かびます。

それに対して、「まー、とにかく書いちゃってるんだから、適当にまとめて公表しちゃえばいいじゃん」というのも割とありがちな、ぼくの投げやり人生的には直球一直線ないつもの解答でありますし、逆に「あー、もういい、これはこのまんまゴミ箱行き!」と、これまた全部投げやりに放り出してしまうのも、昔のぼくにはよくあった all or nothing の破れかぶれ方式な答えとしては大正解です。

けれども、今回はそんなことを頭の片隅にぼんやり積もらせて発酵させているうちに、天啓が降りてきました。

「すべてのことは不要である」

こんな文章を書いて何になるのか。こんな毎日を生きていて何だというのか。そもそも生きていることに何の意味があるというのか。

もちろんそこには、何の意味もありません。

誰もが納得するような、合理的で普遍的な価値なんてものは、はなからこの世には存在しないのですから(と、少なくともぼくは思っています)。

けれどもそんな、ある意味分かりきった味気ない議論を重ねるだけでは、それこそせっかくこの世に生まれてきた意味がなくなってしまいますよね。

意味がなくなる? 初めからありもしなかった意味が?

ええ、そうなんです。

ぼくたちは生きる意味という存在しえない代物を、一瞬一瞬作り出しながら生きていくという、奇跡の綱渡り的自転車操業のことを人生と呼ぶのですから、つべこべ考えている暇があるのなら、そのつべこべ考えるということも含めて、それこそがまさに生きているということの意味に決まってるじゃないかと思い切って思い出すことにしてしまえば、つまり、生きる意志がいくばくかでもそこにある限りは生きていくしかないということ、そのこと自体が人生の意味だと悟ることにすれば、ああ、本当にただ生きているだけでいい、本当にそうじゃないですか、そして、その意志が薄れて漂白されて、百年の夢のように溶け去っていくときがやがてきて、この体とはおさらばして無限の世界に旅立ってゆくのだという、結局はそれがぼくらの人生なのですから、大丈夫です、何も心配はありません。

心配はなくなったので、気の向くままに筆を進めましょう。

Ψ ネスカフェとコルタサルの「石蹴り遊び」

さて話は変わりまして一昨年の11月のことですが、ぼくはヴィパッサナ瞑想の合宿コースを受けたあと、西インドはラジャスタン州のプシュカルという街におりました。

ブシュカルはぼくにとって第二の故郷といっても言い過ぎではないくらい愛着のある場所ですが、ちょうどプシュカル・フェアという大きなお祭りの直後だったので、どこも宿代がずいぶん高く、どうしたものかと思っていたところ、馴染みのチャイ屋で出会った親切な年配の白人女性に連れられて、初めての宿に泊まることになりました。

そこは屋上に一人用のテントを張って貸してくれて、普段のシングルルームくらいの値段だったのです。

建物の1階の外は中庭としてくつろげるスペースになっていて、携帯をスピーカーにつないで洋楽が流されていました。

英語の男性ボーカルの、古めかしい雰囲気の歌なのですが、これが切ない味わいを感じさせる、とろけるような優しさの歌なのでした。しかもこのメロディーは、どこかで聞いた覚えがあるじゃないか……。

ところで前の方にも貼りつけたこのコマーシャル、みなさんはご存知でしょうかね。

ぼくはずっとここで流れる「ネスカフェ、ネスカフェ」と連呼する歌はこのコマーシャル用に作られた歌だと思っていたのですが、そうではなかったことにそのとき、砂漠のとば口の街プシュカルの宿屋で初めて気づいたのでした。
(コマーシャルで使われているのは、ネスカフェ用に作られた替え歌で、マデリン・ベルという女性が歌っています)

ぼくがその宿で聴いて魅了されたのは、こちらのフランク・シナトラのバージョンです。

邦題は「やさしく歌って」となっていますが、原題は "killing me softly" ですから「やさしく殺して」ですね。

シナトラは "killing me softly with *her* song" と、つまり「彼女の歌でやさしく殺して」と、ある女性の歌に悩殺された気持ちを艶っぽく歌うのですが、この歌はもともと女性歌手ロリ・リーバーマンのために書かれて彼女が歌い、それをロバータ・フラックがカバーして大ヒットとなったものなので、原曲は "killing me softly with *his* song" 、「彼の歌でやさしく殺して」と男性の歌に悩殺される歌詞と題名になっています。

そしてこの題名の由来には、海外文学好きの人にはちょっとおもしろいエピソードがあるのです。

"killing me softly" の作詞をしたノーマン・ジンベルは、アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの「石蹴り遊び」を原作としてミュージカルを作ろうとしたことがありました。

そのミュージカルは結局実現しなかったのですが、そのとき「石蹴り遊び」の1節 "kill us softly with some blues" が気に入ってアイディア・ノートに書き留めていたんですね。

それがのちに、ジンベルがロリのために歌詞を書くときになって少しばかり形を変えて、曲の題名にまでなったということなのです。

Ψ しまりのない終着点にて

というわけで、グアテマラのコーヒーから始まったこの小さなお話は、ネスレという多国籍アグリビジネスのコマーシャル・ソングを通過して、アルゼンチンの前衛的文学作品まで辿りついたのですが、特にここが終着点というほどのこともありません。

"killing me softly" という歌が生まれたいきさつや、若き女性歌手ロリと妻のある中年作詞家ジンベルの、愛憎悲喜こもごもの挿話なども書いてみたいところなのですが、今日のところはこれくらいにとどめて、またの機会に譲りましょう。

てなところでぼくは一休みすることにしまして、ネスレのインスタントコーヒーにインド製の牛乳から作った粉クリーマーを合わせて、そこにしょうがをすり下ろして入れれば、はい、としべえ式コーヒーの出来上がり、そいつで一服することにいたします。

それでは、みなさんお元気で、ナマステジーっ♬

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