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海水を飲みながら小説を書く [随想小説]

文章を書くことは、海水を飲むのと同値である。

そんなことを突然言われても、きみは何のことやら、と思うことだろう。

けれども、文字を書いて何ものかをこの体から排出することが、逆に海水という塩分濃度3%程度の液体をこの身に吸収することと等価であるという主張は、内が外になり、外が内になる位相空間の住人にとっては、それほど奇妙なことじゃあない。

だってさ、きみは物を口に入れたら、もうその食べ物は自分の中に入ったと思うでしょ?

でも口から肛門につながるひと続きの管の「内側」は、まだ本当の体の外側なんだぜ。

ドーナツの内側はドーナツの生地の部分でしょ。ドーナツの穴はドーナツの外側じゃない!

それにしても、海水を飲めばそれが腸から吸収されて、今度こそ本当に体の中に入る。すると血液の中にも海水が入り込んで、もともと1%弱だった血液の塩分濃度が海水の3%に引きずられて上がってしまう。
その余分な塩分を排泄しようとして、体は「水がほしい」とメッセージを出すのに、そこでまた海水を飲んだら悪循環だよね。
やがておしっこもでなくなり体内の老廃物を排泄できなくなり、血液中の塩分濃度が高くなりすぎれば、赤血球や白血球などの細胞も壊れ出す。これが続けば、待っているのは死ということになる……。

文章を書くことが、海水を飲むのと似てるのは、その書くという行為に自己承認欲求が含まれてるからなんだ。

心の中から外界に放たれた言葉の承認欲求濃度が高い場合、他者からのそれに見合った濃度の承認があって初めて、承認欲求という老廃物がきちんと体外に排泄されることになる。

というわけで、この排泄がうまくいかないときには、文章という水分だけが体外に排出されて、老廃物である承認欲求は体内に残って、かえって渇きを増幅することになるのさ。

海水を飲めば飲むほど喉が渇くのと同じで、文章を書けば書くほど承認欲求が高まっちまうんだよ。

あんまりうまい例えにはなってないかもしれないけど、感じは分かるだろ?

つまりぼくの承認欲求はもうぱんぱんに膨れ上がっていて、この頭の中は、餓鬼道に落ちた亡者のように飢えと渇きで充満してるんだ。

まあぼくは、これでもこの淀んだ波動が伝わらないように、最大限の努力はしてるんだが、ほら感情吸血鬼とかいう言葉を聞いたことがあるだろ?

きみも用心するに越したことはないぜ。何しろ、僕だけじゃないからな、ネットの海原で海水を飲み続けてるあんぽんたんなんて、いくらだっているんだから。

澄ました顔してきみの心に喰らいつこうとしてる、ゾンビー系の書き手には、とにかくご用心ってことなのさ。

#小さなお話 #随想詩 #短編小説 #エッセイ #コラム #茫洋流浪

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