[00円: 創作的随想] 立ち枯れる人生もまた良し

あれは三二歳のとき、もう四半世紀も前の話だが、四年間一緒に暮らした奥さんと別れて、千葉・市川の安アパートに一人住んでいたことがある。

仕事は平日の午後に五時間だけしか働かず、なるべくお金を使わない暮らしを心がけていた。

食事は自炊、玄米菜食だった。野菜は玉ねぎ、人参、じゃが芋が主で、仕事中の空き時間に食べる軽食は、チャパティ風の無発酵平焼きパンを鍋で焼いて持っていって食べた。

その平焼きパンに大量に入れるプロセスチーズが、唯一の贅沢品だった。

市川に住む前は、別れた奥さんと二人、南伊豆の漁村で隠居同然の無為の暮らしを送っていた。そんな暮らしをしていれば奥さんに逃げられるのも当然で、喧嘩別れしなかったのは不幸中の僥倖と言える。子どもがいなかったのも幸いした。

そんなわけで、南伊豆から市川に住まいは変わったものの、隠居的引きこもりとして、夜捨て人的気分に変わりなかったのだが、昔の知り合いに声をかけられて、福祉関係や環境問題の集まりにぼちぼちと顔を出しては、世間とのつき合いの、リハビリくらいのことはしていたのだった。

アパートの住所は市川市だったが、最寄りは地下鉄東西線の原木中山という小さな地上駅で、首都圏のベッドタウンにこそなってはいるが、鄙びきった田舎街で、家賃が安いだけが取り柄のような存在感の薄い土地柄だった。

木造二階建てのアパートは風呂なしの六畳ひと間に台所とトイレがついたのが、確か八部屋あり、さらに共同の風呂がついていた。貧しい住人たちはろくに風呂の水を入れ替えないので、数日経つと風呂の水がぬるぬるしてくる。その水を変えるのは、たいていぼくの役回りだった。

狭くて、侘しいながらも快適な我が家であって、夏に蚊が多いのには閉口したが、一年ちょっとの間、特に不満もなく住まわせてもらったのだった。

* * *

隣の部屋には初老に差しかかった男性が住んでいて、肉体労働でもしているように見えた。

平日は朝でかけて夕方帰り、土日もあまり外出せず、静かに日々を過ごしているようだった。

人付き合いが苦手なぼくは、その男性と挨拶を交わしたことすらなかったが、淡々と生きるその姿に、あるすがすがしさを感じていたように思う。

その男性がどんな想いで暮らしているかとは無関係に、その姿に自分の将来を投影し、ああ、こんなふうにひっそりと歳を取っていくのも悪くないな、などと勝手な感想をいだいていたのだ。

アパートからしばらく歩くと、旧江戸川の河川敷があった。ヨシだかアシだかがぼうぼうと茂っていて、秋から冬にかけては枯れススキの野っぱらになる。

人間は植物のように立ち枯れるわけにはいかない。

けれども、最低限食うに困らないくらいに働いて、余計な金は使わずに一日一日をゆっくりと生きていけば、心だけは世間の欲望の嵐から十分な距離を取って、枯山水のごとく軽やかに、かさりこそりと枯れ果てることができるのではないか。

そんな空想が、頭の中を駆け巡っていたのである。

残念ながら現実というものは、空想とは別の道を選びがちなもので、ぼくはそのアパートで一人ひっそりと余生を送るところまで辿り着くことはなく、三年ほどのちに出会うことになる女性と二度めの結婚をして、さらなる精神的放浪を続けることになる。

その放浪の物語については、また機会があればお話することにいたしましょう。

それではみなさん、ナマステジーっ♬

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