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[00円: 心的随想] 過緊張と低覚醒の戯れ

発達障害とかアスペルガーとか、適応障害とか不安障害とか、いろいろな「症状」にいろいろな「病名」がついているわけですが、人間が一人ひとり別個の存在であるように、「症状」も一人ひとり別個に存在するに違いなく、自分が抱えている「症状」の集まりをどんな「病気」として捉えるのか、それとも「病気」とはみなさないのか、そうした物ごとを見る態度によって人生というものの行く末は変わってくるのだと、いつの間にやら思うようになりました。

ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想はまったく単純明快で、呼吸と体の感覚を見つめ続けるだけで人によってはこの世の問題を「完全に解決」できる可能性があるし、自分自身一定程度の効果は感じているのですが、このところミニマリスティックな方法論上の限界を感じてもいて、今目の前にあるこの壁をどうしたら乗り越えられるものだろうかと、思案しいしいネットの情報に当たっていたところ、ソマティック・エクスビアリアンスという心のもつれを神経の焼け付きととらえ、その凍りついた身体反応の記憶を溶かしていく手法がどうやら役に立ちそうに思え、短いとは言えない五十年以上の今現在この瞬間に至る人生の中で染みついてしまった感情の抑制という防御装置をあえて外すという行動表出を今朝がた行なったもので、その直後はなかなか爽快な気分だったのですが、そろそろ夕方が近づいてきた今午後五時半、全身になんとも言えぬ重さを感じ、これは今日一晩ゆっくり眠ったら、ひょっとして明日は爽やかに目覚められるのではないかと、そんな爽やかな目覚めなどもう何年も経験していないものですから、捕らぬ狸の皮算用とはいうものの、どうにも浮き浮きとした気持ちになってきて、そんな軽やかな気分でこれを綴っていること自体が、ぼくのような自分勝手で傲慢で、自分の殻にこもること以外には生き延びる方法を持たなかった人間が、過緊張と低覚醒の牢獄から逃げ出しうるかもしれないという、針の穴に駱駝を通す程度には簡単至極で、溺れる者こそわらしべ長者となる日を夢見て、夢を見続けて、この世こそが結局は夢にすぎないと知るころには、ヒト族の悪魔性と天使性に深く納得してうなずきながら、ガンガーのガートに身を横たえて、ヒマラヤ降ろしの冷たい水が滔々と、陽射しに火照った体を見る見る冷やしてくれるその全身の感覚とともに、無常・無苦・無我の真理が静寂のとばりを引きながら訪れて、音もなくあなたの意識を連れ去ってくれることになるでしょう。

そんなあなたの命に、そしてこの世のすべての存在に、あるいはやがて生まれくるあまたの幻想の産物に、幸多くあれと心の底より祈りを捧げ、インドの田舎街で買った格安アンドロイド端末を置くことにします。

それではみなさん、ナマステジーっ♬

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#随想詩 #小説 #小さなお話 #コラム #エッセイ #茫洋流浪

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