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着の身着のままアリのママ|随想小説|全文無料

うちの母は、ちょっとアスペルガー系なんだと思うけど、「着の身着のまま」とか「ばらばら事件」とか「ぎりぎりセーフ」とか、そういう繰り返し使う、得意な言い回しというのがありましたね。

今年の二月には八十六になって、あちこち体に不調があるようなことは言ってるけど、まあまあ元気にしていて、といってもたまに電話で声を聞くくらいですけど。

この前日本に帰ったのは二年前の三月で、そのあとはビザの書き換えでネパールにちょっと行った以外はずっとインドにいるもんで。

いや、頭に「着の身着のまま」って言葉がぽっと浮かんできたもんだから、こんな話になってますけど、インドでヒッピーもどきのいい加減な暮らしをしてると、本当に着の身着のままになっちゃって。

パジャマを持ってるわけじゃないし、外に出るときに着替えるわけでもないから、水を浴びれば服は変えますけど、一日同じ服を着っぱなしなんてのも普通の話で。

奥さんには「外に出るとホコリがひどいんだから、ちゃんと着替えて!」と言われるんですが、言われたときはそうしても、根が不精なもんでそのうちずるずると元の木阿弥に戻ってしまうと、そういう次第なんですな。

大体「ばらばら事件」なんて親が子どもに言うような言葉じゃないと思うんだけど、うちの母親は、子どもがそのまま大人になっちゃったようなところがあるからね。

前も話したけど、二歳になる前の甥っ子を遊ばせてるつもりで、自分がおもちゃの飛行機で遊んでるのを見たときには、本当に「口があんぐり」開いちまう気分でしたよ。

でその「ばらばら事件」なんて言葉が出てくるのも、何かをぶっ壊しちゃって悪びれずにそんなことを言ってるんたから、まあ天真爛漫といえば天真爛漫でいいんですけどね。

こっちもようやく還暦近くになって、年老いた母を子ども帰りした「可愛いお嬢ちゃん」くらいに思えるようになってきたから、まあそれでいいんだと思ってます。

母も自分も、死ぬまでにはまだだいぶ時間がありそうなんで、「ぎりぎりセーフ」どころか「らくらくセーフ」で母との葛藤は概ね解決済み、まあ日本の男なんてのは、全部ひっくくっちまって、総マザコンと言ってもいいくらいのもんだから、この人生の一大課題を肩の荷から大方下ろすことができて、まったくほっとするってわけですわ。

まあそんなことで、アリのママだか、ナスがママだか知りませんが、社会性動物としては蟻や蜂とも変わらぬ日々を送りながら、人間社会に役立つように茄子の実のごとき成果を期待されながら多くの皆さんは、社会集団との綱引きを軽業師のように器用にこなしていらっしゃる有り様に、わたしなどのようなミツユビナマケモノは、驚嘆の眼差しで拍手喝采をしないわけにはいかんのでして。

そしてその瞠(みは)った二つの目玉で、そのままこの世界の諸相に焦点を移し、脳髄に映す仮想の幻影の、かげろい移りゆく儚さのすみずみまでも味わい尽くそうと強欲に、言葉が湧きいでるままに、思考の連鎖を書きしるし続ける奔流に洗われて、ああ、そうか、元々ありもしない「賢い自分」などというものを、架空の宙空にいくら熱心に仮設して投影したところで、この世の本質である空性と一即一切(いち、そく、いっさい)の原理が指し示されるばかりで、先達が指し示す月を見ずに、指し示している指に気をとられて、あのときの指は確かに力強く何かを指し示していたと、「指すもの・指されるもの・指すということ」の三位一体の片隅にしか気がつかないまま、えい、ままよ、と思い切りさえしてしまえば、行っては帰る往還の、諸塵に潜む智慧の光に照らされて、そう、今日もこの通り、生き恥を晒しながら、永遠の歓喜に打ち震えるアンポンタンのひとり言なのでありました。

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