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[全文無料エッセイ]あなたの人生を変えてしまうかもしれない「瞑想の効果」知ってますか?

ネパールのルンビニという街にいます。

ここは大層ないなか街ですが、お釈迦さまの生誕地として知られ、聖地公園が整備中なので、アジア各国から多くの巡礼者が訪れ、欧米の旅行者もちらほらと見られます。

聖地公園の一画にはヴィパッサナーの瞑想センターがあり、そこで十日間の合宿コースを受けてきました。

十日間のコースを受けるのはこれで六回目になります。今年一月には二十日間の長いコースも受けたのですが、何度受けても新しい気づきがあっておもしろいものです。

コース中は瞑想のやり方についての質問を先生にすることはできますが、そのほかのおしゃべりはできず、読み書きもできません。そして朝四時半から夜九時まで、ほとんど座りっぱなしなのでこれはなかなか大変です。

そんなふうに座っていれば、やがて無念無想の状態に近づいていくかというと、そう簡単な話ではありませんが、意識の状態が普段とは違った状態になるのも事実です。

いつもは考えごとでいっぱいの頭の中が、言わば大掃除された状態になるのですから、大変すっきりした気持ちになるのです。

ところで最近はやりのマインドフルネスと呼ばれるものと、ぼくがやっているヴィパッサナー瞑想とは、原理的には同じものです。

日本人としては、座禅を想像すれば大体間違いありません。

「頭を空っぽにしたほうが、頭をうまく使えるようになる」というちょっと逆説的な考え方です。

とはいえ、頭というものは、空っぽにしようと思って空っぽにできるものではありません。

そこで空っぽにすることを目標にするのですが、空っぽにしようとは思わず、自分の心の動きを観察することにするのです。

けれども、この心の動きを観察することも、簡単ではありません。観察するつもりでいるのに、さまざまな雑念が浮かんできて、それに条件反射的に反応する結果、たちまち観察するべき心はどこかに行ってしまうからです。

そこで呼吸や体に起こる感覚を観察することにします。

この場合も雑念が起こって心がどこかに行ってしまうのは一緒なのですが、それに気づいたらまた呼吸と体の感覚に意識を向け直します。

呼吸や体の観察・雑念、そしてまた観察・雑念、ということを繰り返し続けていくことで、徐々に心は無念無想の状態に近づいていくことになるのです。

もちろんこれには個人差があります。

楽器を弾くのがうまい人、スポーツをするのが得意な人がいるのと同じで、瞑想が上手にできる人もいれば、なかなかうまくできない人もいます。

けれども瞑想が楽器やスポーツなどの技術と違うところは、うまくやる必要がないというところです。

というのも、瞑想の大きな目的は「人生は自分の思い通りにはならない」という事実を、きちんと受け入れることにあるからです。

ですから「瞑想がうまくできない」としても、そこでがっかりする必要は全然なくて、むしろそれが分かったことを喜べばいいのです。

  *  *  *

以上の説明で、瞑想の練習というものが「基本的にはとても単純なものである」ことが分かってもらえたと思います。

つまり瞑想というのは、楽な姿勢で呼吸や体の感覚を観察し、雑念が浮かんできたことに気がついたら、再び呼吸や体の感覚の観察に意識を戻してやる、というだけの単純明快な実践のことなのです。

このように瞑想というもの自体は、まったく単純なことなのですが、これを続けて練習することになると、これは決して簡単なこととは言えません。

「ちょっと一時間瞑想してみてください」と言われて、「はい、分かりました」と一時間瞑想できる人はほとんどいないはずです。

そこで、瞑想に関心を持ってくれたあなたにまずおすすめしたいのが、「気がついたときに鼻から三回深呼吸をする」というやり方です。

姿勢はどんな形でもかまいませんから、まずは体から力を抜きます。そして鼻からゆっくり息を吸い、鼻からゆっくり息を吐きます。これを三回繰り返すだけです。

この三回の深呼吸を習慣にすることが肝心なので、朝起きたときと、夜眠る前にやるのがおすすめです。そして日中も、気がついたときに、ちょっと時間のあるときに、やはり三回深呼吸をしてみてください。

寝つきが悪い人や深く眠れない人は、睡眠の質が改善することも期待できます。

移動中やレジ待ちなど、昼間のちょっとした空き時間を使って、気になることや、やらなければならないことがあっても、一旦それを忘れて呼吸に意識を向けることで、気持ちがリフレッシュして、ただ漫然と作業を続けるよりも効率がアップするはずです。

「気がついたときに鼻から三回深呼吸をする」というただそれだけのことですが、これを出発点にしてあなたの人生が大きく変わることにならないとも限りません。

騙された気になってちょっと試してみても損はしませんよ。

  *  *  *

さて、今回ぼくが十日間のコースを受けてみての収穫ですが、仏教の瞑想が目的とする「悟りの境地」というのは、案外身近にあるものかもしれないな、というものでした。

初期仏教では、瞑想をすることによって人生につきものの苦しさを、最終的にはなくしてしまうことを目標にします。そのように完全に苦しみを離れた状態になることは、簡単なことではありません。

けれども瞑想の練習をしていて、呼吸や体の感覚にすっと意識を向けることができて、じっと座っていることのしんどさが気にならない状態が訪れたときには、それがたとえほんの数秒のことであったとしても、それを「小さな悟り」と考えてもいいはずだなと気がついたのです。

もっと簡単に考えれば、暇なときなたまたまぼーっとしていて、不快な気持ちがなく、ただ落ち着いていられるときには、それもやはり「小さな悟り」の瞬間と言えるはずです。

こうした「小さな悟り」の瞬間を意識して少しずつ作っていけば、感情に振り回されることなく、落ち着いた気持ちで日々を送ることが、少しずつですが可能になっていくのです。

瞑想の最終目標である苦しみからの完全な解放は、お釈迦さまのような特別な人にしか縁のないものかもしれません。

けれども、少しずつ悩みや苦しみを減らし、段々と毎日を楽しく生きられるようにすることは、「そうしよう!」というしっかりとした気持ちさえあれば、誰にでも開かれたものなのです。

「少しずつ悩みを減らしていく」というこの道は、決して平坦な道ではありませんし、行ったり来たりを繰り返しながら、徐々に進んでいくしかない道ですから、気長な努力がどうしても必要になりますし、誰にでも簡単にできるものとは言えません。

でも、とにかく気がついたときに、思い出したときに、鼻から三回深呼吸するだけで、人生変わっちゃうかもしれないんですから、とりあえず今、やってみてください! というのがぼくからの提案です。

どんなにいい話を知っても、実践が伴わなければ、何の役にも立たないのは、みなさんもすでによくご存知のことでしょう。

実際に試してみて、「いいかもしれないな」と思ったら、少しずつ繰り返して習慣にしてしまえばいいのです。

鼻から三回深呼吸という、小さな小さなきっかけが、あなたの人生を変えることになるかもしれないんですから、人生おもしろいじゃありませんか!!

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