見出し画像

【コラム】テレビが伝えない少子化の本当の原因

 日本の少子化の原因はジャニーズ事務所である。
 
 最初に結論を書いてしまった。だからといって、これで終わりではない。なぜジャニーズ事務所が日本に少子化をもたらしたのか、これから論を展開していかなければならない。

 とはいうものの、皆さん、分かっているんじゃないでしょうか? はっきりと決めつけることはできなくても、うすうす気づいていたのでは? 若い女の子たちがジャニーズ事務所に所属するアイドルの男の子たちにいつまでも熱をあげて結婚しないから、結果として日本は少子化になったのだと。しかし、これはいくらなんでも乱暴かも。まるで包丁が使われた傷害事件の責任を包丁を作った鍛冶職人に押し付けているのかもしれない。

 こんなケースを考えてみる。映画やテレビドラマで明治、大正、または戦前までの昭和初期を描いた作品があったとする。その中でこんな場面が描かれる。まだうら若い20歳前後の女性に父親が一枚の写真を渡す。そこには一人の若い男性が映っている。そしてこう言われる。「お前、この人と結婚しろ」と。写真を渡された女性は驚いたりするものの、特に不平を言うわけでもなく父親に従い、遠く離れた地へ、例えば海外にまで渡り、写真の男性と実際に結婚し、所帯を持つ。

 映画だからフィクションというわけではない。この様な事実は戦前まであったようである。では現代の若い女性に向けて同じようなことをしたらどうだろう? いやいや、出来るはずがない。では逆に考えてみる。どうして昔の女性はそんなことができたのだろうか? もちろん知能が低かったわけではない。父親の権威が今よりずっと高かった? そうかもしれないが、本当のところは違う。はっきり断言してもいいが、昔は恋愛なんてするものじゃなかったからだ。

 昔は恋愛なんてするもんじゃなかったのだ!!(大切なので二回言いました)

 この私の説にも反論が来そうだ。昔の人は恋愛をしてないだって? そんなのは嘘だ、昔から日本人も恋愛をしていたではないか。「源氏物語」などの古典にその様子は描かれていたし、江戸時代の浮世絵にも男女の性愛の様子は描写されていた。極論だろう。それはそうである。昔から日本人は恋愛していた。源氏物語だけでなく、万葉集などの和歌からも当時の恋愛感情はうかがい知れる。しかし光源氏は帝の第二皇子という庶民とはかけ離れた地位の人だし(そもそもフィクションだ)、和歌を残せるような教養を持っていたのも一部の上流階級だろう。それらの人々は現代と変わらない恋愛をしていたかもしれないし、するもんじゃなかったからこそした人の記録が残っているのかもしれない。一方であまり記録には残らない市井の、一般の人々がどんな恋愛観を持ち、結婚制度の中で所帯を持ち、出産し、子孫を残していったのかは・・・、正直、昔過ぎてよく分からない。なので、もう少し現代に近いところに話題を持ってこよう。

 『この世界の片隅で』というアニメ映画が公開されたのは2016年だ。(こうの史代による原作漫画は2007年から09年にかけて連載された)。広島県の呉を舞台に戦前から戦中、戦後までの一人の女性とその家族の姿を描いた内容で、ロングランヒットになった。私も三回は劇場まで足を運んで見た。主人公のすずは絵を描くのが好きな少しおっとりした少女である。彼女が18歳になったある時、自宅に二人の男がやってくる。若い男とその父親の二人である。そしてすずの両親に「お宅のお嬢さんをうちの嫁に貰いたい」と告げる。すずにしたら会ったこともない若い男からの求婚である。すずは妹から「嫌なら断ればいいよ」と言われるものの、承諾し、若い男の家に嫁いでいく。

 もちろんこのアニメと原作の漫画もフィクションである。とはいえ当時としても荒唐無稽なことではなく、よくあったことなのだろう。現代から見ればまったくありえないこんな状況も「戦前のことだから」との一言ですんでしまうのだろうか。さすがに男の身元が保証されていなかったり無職であればこうはいかなかっただろうが、公務員や大企業など安定した職(若い男は海軍軍事法廷の書記官であった)に就いていさえすれば、初めて会うような女性宅を訪れて求婚の意志を伝えるのは、それほど無礼なことではなかったのだ。(知らなかったのはすずだけであり、男は以前にすずと出会っていたが)

 アニメ映画とはいえ、すずは当時の平均的な女性だったと考えて間違いはないだろう。ではなぜすずはこんな唐突な求婚を受け入れたのか? はっきりしている。彼女はテレビの恋愛ドラマを見ていなかったからだ。ジャニーズ事務所のアイドルが出演するバラエティ番組も見たことなければ、ライブコンサートに足を運ぶことはなかった。当たり前だ。当時、昭和初期にそんなものはなかったのだから体験しようがない。もっと簡単に言ってしまえば、すずはメディアに毒されていなかったのだ。

 安易なメディア批判のようにも受け取られかねないが、現代の女性とすずを比べて違うところがあるかといえばそれぐらいしかない。彼女の知能が低かったわけでもないのだ。当時でも映画や芝居、雑誌などの印刷物はあったから、女性たちからキャーキャー言われる二枚目俳優は存在していた。すずがそうした役者に熱を上げ、「市川団十郎さまが私の本当の恋人よ、結婚なんてするわけはないわ」となっていたかもしれないし、当時、そんな人が現実にいたかもしれないことは否定出来ないだろう。しかしそんなのはごく一部だ。一般的ではなかった。すずのように求婚されればよほどのことがない限り受け入れていたのだ。

 では現在のメディアはどれだけ女性達を毒牙にかけているのだろうか。まず小学生の女の子がよく読むような少女マンガ雑誌を買ってきてページをめくってみよう。主人公はほぼ100パーセント小・中学生の女の子である。そして彼女達は「自分はブスだ」と思い込んでいる。にも関わらず校内で一番の美形の男子生徒と恋に落ちたり、落ちなかったりする。自分はブスだと思っている主人公の女の子が決してブサイクな容姿として描かれることがないのも、重要な点だろう。そして恋愛が繰り返し繰り返し、描かれる。恋愛対象の男の子とどうやって仲良くなるか、強い絆で結ばれるか、恋愛が成就するか、ひたすらそんな内容である。少女マンガだけではない。テレビで放送される恋愛ドラマもテーマは恋愛である。(俺は何を言っているんだ?)。そう、恋愛、恋愛、である。雨あられのように「恋愛するべきだ」「恋愛をしなくちゃ駄目だ」「恋愛をするのが当たり前だよね」というモチーフが繰り替えされる。何度も何度も、どこに行っても強迫観念のように追いかけてくる。現代に生きてこのテーマから逃れられることが出来るだろうか? 

 そしてもちろん少女達の恋愛の対象となるのは美形の男子である。二枚目の俳優であり、美少年のジャニーズアイドルである。あまりにも当たり前のように美少年がメディアに現れるので、少女達が「私もジャニーズの美少年と恋愛をするんだ」と毒されるのも仕方がないことだろう。少女達はそのまま大人になり、ジャニーズのアイドルから卒業するかといえば、しない。逃げても逃げてもジャニーズのアイドルは追いかけてきて、生活の中から排除などできない。しかし女性達も馬鹿ではない。大人になり、ジャニーズのアイドルと結婚などできないことを悟り、現実の男性と結婚し、子供を産む準備に入る。その時、すでに彼女は29歳である。ソースはこちら↓

画像2

 彼女は30歳を越えて第一子を授かる。その歳からさらに二人目、三人目を産むのは年齢的に辛いものがある。一人の男性と一人の女性が結婚し、二人の子供を産めば社会全体の人口は一定に保たれる。三人産めば人口は増えるが、一人しか産まなければ人口は減っていく。つまりこれが少子化、人口減少社会の本当の原因である。悪いのは、日本政府でもなければ自民党でもない。野党のせいでも、官僚制度でもない。悪いのはジャニーズのアイドルであり、彼らを積極的に社会に送り出すメディアである。日本だけではなく、世界に目を向ければ出生率(一人の女性が一生のうちに何人子供を産むか)が高いのはいずれも途上国である。先進国は軒並み少子化の傾向にある。貧しい国、収入が低く社会保障も万全でない国の方が子供が多く、豊かな国は子供の数が減っていくというこの矛盾、世間では「途上国では子供も労働力だから」という定説で片付けられているが、それだけであるはずがない。工業化が進み、収入も増え、メディアが発達すれば女性達は子供を産まなくなっていく。それはなぜだろう? 実は途上国では子供の数が多いというより、女性が子供を産みはじめる年齢が低い、ということなのだ。メディアによって毒された女性の結婚が遅くなるのは、日本だけの問題ではなく、先進地域ではどこも同じなのだろう。

 もしすべての若い男の子の容姿がジャニーズのアイドルと同程度ならば、少子化などはおきなかっただろう。残念だが、そんなことはない。ジャニーズのアイドルは学校一の美少年が全国から集まり、その中からさらに選抜された本当の選りすぐりの美少年たちである。全体の上澄みなのだが、メディアが執拗に彼らを取り上げ、あまりにも日常的に目にするので、これが普通だと錯覚してしまう。いや現実にジャニーズ並の容姿の美少年は一般の社会にも存在する。学校一の美少年がすべてジャニーズ事務所の門を叩くわけではないからだ。しかしそんな偏差値の高い容姿の男の子でも基本的には(同時には)一人の女性としか恋愛しないし、ジャニーズには及ばない一般的な容姿の男の子、さらに下のブサイクな男子はただただあぶれていく。少女から見ればブサイク男子など文字通り「眼中にない」のである。

 これが現実である。女性の社会進出が進んだから、社会保障が完璧でないから、保育園が整備されていないから、とこれらを少子化の原因にあげることもまあ、間違いではない。しかし肝心の心の中にまでは踏み込んでいない。一人の若い女性が結婚にいたるには、社会の制度よりも人間の感情が優先して働くのは間違いない。若い独身女性に聞いてみればいい。「あなたが結婚をしたいと思うのは、保育園が整備された時ですか? それとも素敵な男性が目の前に現れたときですか?」と。子供の数が増えないのは、若い人が結婚するのが遅くなったからであり、なぜ遅くなったのかといえば、恋愛のハードルが高くなったからだ。女性たちが結婚相手にジャニーズ並の顔面偏差値を求めるばかりに、大多数のジャニーズ以下の一般男子にとっては、恋愛すること、女性と交際すること、ただそれだけが非常に厳しいものとなった。結婚して子孫を残するどころではないのである。しかし昔は恋愛なしに結婚し、子供を産む制度があった。それは見合い結婚というものだが現在では著しく減っている。「カリフォルニア物語」や「BANANA FISH」で知られる吉田秋生の初期の漫画で以下のようなシーンがあった。

画像3

 この漫画は1980年頃に描かれている。主人公の女性を作者と同い年(吉田秋生は1956年生まれ)に仮定すれば、この母親は戦前あたりの生まれだろう。「この世界の片隅に」のすずと同じくらいだと考えて間違いはない。データによれば当時は6割の女性が見合いで結婚していた。具体的なデータは下である。

画像1

 見合い結婚とは恋愛をすっ飛ばしてはいるが、嫌な相手と無理やり結婚するわけでもない。何度か会合を重ねて相手がどんな人物か見極めたりしなければ所帯を持とうなどと決心はつかないだろう。なぜ当時の女性達が恋愛なしで結婚していたのかといえば、メディアに毒されていなかったからだ。少女マンガも読んでなかったし、ジャニーズのアイドルもまだ歌って踊っていなかった。そもそもテレビがまだなかったし、松任谷由実の歌がラジオから流れてくることもなかった。グラフの見合いと恋愛の線が交錯するのは1965年あたりだ。テレビの放送開始は1953年だが、20年後の1973年には恋愛結婚のカーブは急上昇している。この頃、テレビの普及率も八割を越える。そしてジャニーズ事務所も1968年にフォーリーブス、1972年に郷ひろみ、1980年のたのきんトリオ、1987年の光GENJI、1991年のSMAPと次々に人気グループを世に送り出す。ジャニーズのアイドルがメディアを席巻する勢いと、恋愛結婚の増加と見合い結婚の凋落は軌を一にしているように見えるのは妄想のしすぎだろうか。もう少女達は産まれた時からテレビを見て育った世代だ。巨大なメディアが女の子の恋愛観を乗っ取って支配をするようになった。支配する、つまり洗脳である。

 そのへんの若い女性をつかまえて「あなたはメディアに洗脳されていますよ」と言ったところでまともに受け取られるはずがない。通報されるのがおちだ。そしてもちろん、メディア側にも国民を洗脳しているとの意識もほとんどないだろう。「自分たちは視聴者の求めているものを提供しているだけですよ」と返されるだけだ。卵が先なのか鶏が先なのか、という話だろう。恋愛ドラマが若い視聴者に受けるから作られるのか、ドラマのせいで恋愛をするべきと洗脳されたから恋愛ドラマが人気なのか、もう、分かるわけはない。

 ここまで私はさんざん少女たちを標的にしてきたが、もちろん悪いのは彼女たちだけではない。メディアに毒されているのは男の子も同じである。女の子のアイドルに熱中し「自分はいつかアイドルのあの子と結婚するんだ」と洗脳されている若い男の子も巷にあふれている。ただわかりやすいから女の子をターゲットにしているジャニーズ事務所を取り上げたのであり、エンターテイメントに関わる産業は男向けも女向けも等しく巨大な洗脳機関と化して、現代社会にのさばっている。ではどうすれば、少子化は解消されるのか?

 無理だろう。ジャニーズ事務所やテレビの恋愛ドラマを規制することなど、憲法の表現の自由を持ち出すまでもなく、不可能である。日本はどこぞの独裁国家とは違うのだ。どうにもならない。このまま少子化は進んでいくだけである。ただ行き着くところまでいけば、止まるだろう。産まれてくる子供がすべてジャニーズ並の容姿になった時がそうだ。ブサイクな男子は結婚もできないし子供も生まれないのだから、彼らの遺伝子が残ることはない。ダーウィンが唱えた性淘汰が進みに進んだ結果として、いつかそんな日が来るだろう。果たしてその時、日本の総人口は何人だろう? 私は多分、100万人くらいだと思うが・・・

 以上が「テレビが伝えない少子化の本当の原因」である。こんな内容をテレビが伝えるはずがない。現在のテレビ業界ではジャニーズ事務所が強い影響力を持っている。ジャニーズのアイドルが画面に登場すれば視聴率が上がり、スポンサーからお金が入るのだから、彼らを非難することなど出来るわけがない。民放に限らず、NHKにしてもそうだ。ジャニーズなしにはテレビ業界は回らない。そんなテレビをはじめとするメディアも少子化の一因として片棒を担いでいるのだが、自己批判などするはずがない。メディアとは結局のところ包丁であり鍛冶職人なのだ。「自分たちは包丁を作っただけですよ、包丁がないと料理が作れないでしょ、私たちは皆さんの生活を便利にしたんです、感謝してほしいですね、たまに包丁を使った事件が起きますけど、私たちに責任はありませんよ」とこれが彼らの言い分だろう。そしてそれはあながち間違いでもない。

 今まで偉そうにこんな文章を書いてきた私もメディアによって洗脳されている一人である。これまでの人生を振り返って自分の女性観、恋愛観にメディアの影響がないかといえば、そんなことはない。受けまくりの人生である。今さらテレビや漫画や映画を一切目にしていなかった自分など想像もつかない。そしてこの文章を読んでいるあなたも同じく洗脳されている一人なのだ。

 みんなが幸せになる日など、もうこないのである。 
 


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?