【エッセイ】UFOは存在するのか? 宇宙人は地球に来訪しているのか?
昔からオカルトは嫌いだったが、なぜかUFOは好きだった。UFO、そう未確認飛行物体のことである。
このエッセイを書き始めたきっかけは先日、テレビでやっていたUFO番組が期待していたほど面白くなかったからだ。なので「そういえば、昔のUFO特番て面白かったよなあ」としみじみ思えたのである。しかしUFOもオカルトも同じじゃないか、という意見が聞こえてきそうである。まあ、そうかもしれない。どちらも同じく、いるかもしれないが、いないかもしれないあやふやなものであり、少し頭のネジが緩んでいそうな人が幽霊だの、UFOだのと騒いでいるだけではないか? ええ、確かに。
でも正直に言うが、私は小、中学生ぐらいからちゃんと、幽霊を扱うテレビ番組を胡散臭いものを見る目で見ていたのだ。当時の心霊番組で圧倒的に多かったのが心霊写真である。曰く、みんなで撮った写真の背後、林の木々の中に人の顔が浮かんでいる、これは幽霊ではないか、ひええええー、とやっているのをお茶の間で見ながら「たまたまそう見えるだけじゃん、馬鹿馬鹿しい」と醒めていたのである。当時はシミュラクラ現象なんて言葉は知らなかったが、あの手の心霊写真はすべてこの説明、「シミュラクラ現象(シミュラクラげんしょう)とは、人間には3つの点が集まった図形を人の顔と見るようにプログラムされている、という脳の働きである。和訳は類像現象。」(ウィキペディアより)で片付けてしまって構わないだろう。そう、写真を取ればなにも関係ないものがたまたま人の顔のように見えてしまうことは、まれにあることなのだ。それに怪しい光が写り込んだとしても、カメラの内部に意図しない光が入って、フィルムに露光してしまう現象だってあるだろう。そうした変な写真が幽霊の実在を証明することなど出来るわけはない。で、一方のUFOである。これも人間の脳が作り出した幻想なのだろうか?
まずはっきり言ってしまえることは、UFOは確実に存在する、ということである。それはもちろん言葉の意味として、未確認飛行物体というものはまちがいなくあるはずだ、そう断言してもどこからも文句はこないだろう。現に私も二回ほどUFOを見ている。それはずいぶん以前、確か高校生ぐらいの頃に夜空に浮かぶ怪しい光があり、それが飛行機とも思えず、さらには子機のようなものを下側に吐き出すような様子が見えた。あんなものは飛行機ではないし、当時にドローンなんてものはなかったから、未確認の飛行物体で間違いはない。なら、何らかの自然現象だったのだろうか? プラズマだろうか、それとも未知の放電のようなものだったのだろうか? その可能性ももちろんあるが、今更検証など出来ないし、当時、動画に残していたとしても「これは何だろう、不思議だ」ぐらいしか解らなかったはずである。つまり、その光がはるかかなたの宇宙人が地球にやって来た乗り物かどうかなど、証明するすべはない。UFOが実在する、と宇宙の彼方の星の知的生命体が地球にやって来ているかどうかは、まったく別の話なのだ。
私のようなネットの小説家があーだこーだ言ったとしても何も説得力はない。では、まともな科学者、オカルトなどとは程遠い真面目な天文学者などにこのような質問を投げかけてみよう。「宇宙人はいると思いますか? またそのような宇宙人が地球にやって来ている可能性はあるでしょうか?」と。するとこのような回答が返ってくることが予想できる。
「宇宙は広いですからね。地球以外にも知的な生命体が生まれている可能性はあると思いますよ。しかし地球にやって来ている可能性はまずないですね。それだけ宇宙は広いのです」
この答えには説得力がある。まず宇宙は広く、とてつもない数の星がある。この銀河系の中にも2000億から4000億の恒星があるそうだ。そのすべての光輝く星が惑星を伴っているわけではないだろうし、地球型の岩石と液体の水を備えた惑星など1パーセントの確率でしか存在しないのかもしれない。それでも20億の恒星に地球型の水を湛えた惑星があることになる。とすると、その中に地球の文明など凌駕するほどの科学文明を築いた宇宙人がいたとしてもおかしくはない。しかし、また一方で宇宙は広く、そんな星と星の間の距離はとてつもなく離れているのだ。銀河系、などと星が集団でまとまっているかのような言い方をしているが、実際の所は星と星の間には何もない空間が広がっているだけのスッカスカなのである。
我々の太陽系ともっとも近い恒星として知られているアルファ・ケンタウリ星系との距離は約4光年とのことである。光年とは光の速さで一年かけて進む距離であるから、仮に光の速度で進む宇宙船を人間が開発したとしても、往復8年かかることになる。気軽に旅行に行くには離れすぎているだろう。いや光速とは質量のない光だから出せる速度であり、人間が中に乗った宇宙船としては決して出せない速さだ。なので、昔からSFの世界では光の速さよりも早く進む手段が色々と考察されてきた。例えば、ワープ航法などがそれにあたる。私の年代だと『宇宙戦艦ヤマト』だ。ヤマトは大マゼラン星雲にあるイスカンダル星に赴くため、ワープ航法を駆使して銀河系を飛び出すのである。ヤマトに限らず、SF作品ではワープを説明する原理として「空間を捻じ曲げて進む」とか紹介されるのが常である。アメリカのSFテレビドラマである『スタートレック』でもワープ航法により、宇宙船は光速の100倍もの速度で星系間を飛行していたが、架空の物質であるダイリチウムなる鉱物をエンジンに使うことでそんな速度をひねり出している。SFなので、そのあたりは言ったもん勝ちである。
科学技術が進んだ宇宙人ならワープ航法を実現させているのかもしれない、だから、地球にも気軽にやって来ているかもしれない、そんな想像力を働かせるのは悪くないだろう。しかしまともな天文学者がSF作家の妄想に付き合って「そうですね、宇宙人はワープ航法を使って地球に来ているでしょう」と言うわけはない。想像力と妄想は違う。現在の地球の科学力には限界があり、どんなに高望みをしても光速の壁は突破できそうもない。量子コンピューターや核融合とはまるっきりレベルが違う話なのだ。100年、いや200年後の未来においてもワープ航法は難しすぎる。広い宇宙には地球の1000年、2000年後の科学力を持った知的生命体もいるのを否定したくはないが、そこまで行くとただの妄想なのだ。現実的な議論から離れ、幽霊について話すのと同レベルになってしまう。
とはいえ、宇宙人の存在について議論することは決してSF作家や妄想家だけのものではなく、真面目な科学者も取り組んでいる。SETIプロジェクトがそうだし、物理学者のエンリコ・フェルミが提唱したフェルミのパラドックというのもある。さらにはこの銀河系の中にどれだけの知的文明が生まれたかを算出するドレイクの方程式なども該当するだろう。以下がその方程式だ。
この方程式は恒星が惑星を持つ割合や、その惑星が水を湛える地球型で生物が生まれるか、といった確率を挿入していき、この銀河系の地球以外に知的生命体が生まれるかどうかを議論するための叩き台になっている。最後の項目ではそうして生まれた文明がどれだけの期間存続するか、と問うている。地球以外の星がどんなに文明を発達させようとも核戦争などで自滅してしまっては遥か彼方の宇宙探索に乗り出す暇はないだろう。この地球とて、自らの星の重力圏を脱出できるほどの文明を築いてから100年も経っていない。互いの文明がある程度の期間、知的な活動を続ける時間が重ならないことには、出会いの場も訪れることはないのだ。例えアルファ・ケンタウリ星人がとてつもなく発達した文明を築いていたとしても、地球に恐竜が闊歩していた頃に核戦争を起こして滅んでいては意味がないのである。このドレイクの方程式はかなり冷静に地球外文明について考察しているように思える。しかし私はまだ、重要な点が抜けているように思えて仕方がない。それは「時間の物差し」ともいうべき項目である。
最後の項目である「文明が存続する期間」のことではないか、と反論が来そうだが、近いとも言えるし、違うとも言える。私が言いたいのは「フェルミのパラドックスにしろドレイクの方程式にしろ、結局のところ、どんな地球外の知的な生物も、その寿命は地球が太陽を100回公転するぐらいが限度だと、勝手な物差しを当ててないだろうか?」という点だ。もしかしたら、アルファ・ケンタウリ星人はとてつもなく長寿で、地球でいうところの3万歳くらい普通に生きる可能性もあるのではないか、と言いたいのである。
われわれ地球人は勝手な生き物である。確かに地球でも銀河系の反対側でも物理法則は変わらないから水素と酸素が結合すれば水が生まれているはずである。しかし、生物の寿命なんて解るわけはない。恒星の大きさもバラバラなのだから、惑星の公転周期もまちまちであろう。わかりやすくするために太陽系に話を移そう。海王星は太陽系の惑星の中で一番外側を回っている。公転周期は164年である。しかしそれは地球基準で勝手にそう言っているだけであり、海王星は太陽を一周したらそれが一年である。現在の海王星は太陽から離れすぎているので氷に覆われているが、仮に太陽がもっと大きければ地球のように液体の海で覆われていても不思議ではない。となると生命が生まれている可能性だってある。そんな海王星人が文明を築き、アルファ・ケンタウリに向けて調査飛行に向けて出発したとする。しかしワープ航法はまだ無理である。なんとか光速の半分の速度を出せる宇宙船は作り上げている。とすると、どうなるのか?
光速の半分だから往復で16年かかることになる。いやいや、それは地球が太陽の周りを16回まわっただけではないか。海王星は164年で太陽を回っているので公転周期の約10分の1で戻ってこれることになる。地球人の感覚に置き換えれば一ヶ月とちょっとだ。なんてことはない、イギリス人が地中海クルーズ旅行に行くような感覚で、アルファ・ケンタウリ星系との往復旅行が出来るのである。ワープ航法などに頼らなくてもだ。
これも私の勝手な理屈である。生命がタンパク質をもとに作られたとしたら海王星人も地球で言うところの100歳が限度であり、公転周期で一歳を迎える個体などまずいない可能性もある。しかしそれでも地球人は地球中心に宇宙を考えすぎている。例えば光年という単位にしてもそうだ。地球が一年経つ間に光が進む距離で宇宙の大きさを計るなんて自己中心的すぎやしないだろうか? 他に理解しやすい単位がないので仕方ないにしても、やり過ぎである。もしこの宇宙を造った創造主が知ったらこう言うに決まっている。「おい地球人、自分の物差しでこの宇宙を測るんじゃねえよ」と。
宇宙人の寿命問題だが、さらに別の考え方も出来る。不老不死の宇宙人もいたっておかしくはない。医学が発達してそうなっているかもしれないし、もっと別の文明、ロボットによって作られた超高度な科学文明が銀河系のどこかにあってもおかしくないだろう。ロボットならタンパク質で作られた生命とはまるで違う長さを生きられる。不老不死と言っても間違いはない。となればワープ航法はなしでも銀河系の反対に調査旅行に赴くのも厭わないだろう。宇宙船を自動運転に切り替え、生命が居そうな星に近づいたら起こしてね、として自らを休眠モードにセットするかもしれない。あとはたんにコストの問題だけだ。
現在の地球では、重力圏を脱するだけでとてつもなくコストがかかる。最近でこそ民間会社のロケットなどが飛んでいるが、月に行くのさえ国家規模の予算と優秀な人材というリソースを投じなければ不可能であった。現在でも隣の公転軌道を回っている火星に行くことさえままならない。しかしもっと科学技術が進めばそんなコストは下がるはずである。20世紀初頭、自動車はとてつもなく高価で一部の富裕層しか所有することは出来なかったが、現代は違う。ちょっと周りを見渡せば「処分するのにお金がかかるからタダで貰ってよ」と声がかかるほど自動車を所有するコストは下がっている。もっと時代が進めばそれと同じように宇宙に飛び出すコストが下がると想像するの難しくない。あとは、動機だろうか?
銀河の彼方にものすごく科学文明が進んだ星があるとする。そこに暮らしているのはロボットのような機械化された身体を持つ宇宙人だ。彼らは基本的には老いもせず、死ぬこともない。さらに近場の宇宙旅行は頻繁に行っている。ただし、光速を超える技術はない。そんな彼らが、われわれの太陽系を訪れようなどと思うだろうか? そのあたりはSF作家のような妄想を働かすしかないだろう。ロボットの彼らにも就活があり、面接官に印象的なことを話そうと地球旅行を計画するかもしれない。または小学生ロボットが夏休みの自由研究に地球探索をするかもしれない。星間飛行の技術があり、コストもわずかで、寿命も無限となれば銀河の辺境をわざわざ尋ねてみたくなるのは人の常だ。いや、ロボットか。
むかしよく見ていたUFO特番、矢追純一氏が演出するテレビ番組である時、NASAの科学者が出てきてインタビューに答え、こんなことを言っていたのを覚えている。「もし宇宙の彼方からUFOが地球にやって来たら、タラップから降りてくるのはR2D2かC3POのようなロボットでしょう」と。
これらは『スターウォーズ』に出てくる二体のロボットのことである。今から考えれば、矢追純一のUFO特番も無茶苦茶な内容が多かったが、そこだけは良心的だったのかもしれない。まったくその通り、生身の身体で星間飛行をするなんて馬鹿げている。それなら身体を機械化するか、自律したロボットを送り込むのだって有効である。そういえばUFO番組でおなじみのグレイ型宇宙人とは生体ロボットの類ではないか、そんな意見もあるそうだ。
いや待ってほしい。私のこの論理では、宇宙人が地球に来訪しているのが必然になってしまう。この銀河系には何億もの星があり、確率から言っても地球のような文明を築いていてもおかしくはない。そんな宇宙人が地球よりもずっと進んだ科学力を持っていて、不老不死の生命体だとしたら、逆に現在、この地球に来訪している方が自然である。そうとしか考えられないくらいだ。しかしその気配はない。それこそがフェルミのパラドックスなのである。
銀河の彼方の宇宙人が地球に来訪している方が自然なのに、そうはなっていないこの矛盾、もちろん宇宙人から見れば地球など興味を掻き立てるようなものが何もない平凡な星であり、よその星を侵略しはじめるなどの有害な文明を築くまで放置しておこう、そう思っている可能性も高いだろう。しかし、逆に私はこんな妄想に浸っている。この広い銀河系において、自分の星の重力圏を脱するほどの文明を作り上げたのはこの地球ただひとつなのではないか、と。
もしかしたら、水を湛えた惑星に生命が誕生するのはそれほど珍しい現象ではないのかもしれない。しかしほとんどバクテリアなどの単細胞生物の段階で止まっていて、それ以上、進化はしないとも考えられる。または恐竜や、恐竜絶滅後の哺乳類が繁栄した時代あたりまではよくある惑星の姿なのかもしれない。しかし、地球のわれわれホモ・サピエンスがとてつもない奇跡的な偶然に恵まれ、厳しい自然の中で生き残り、たまたまここまでの科学を発達させることが出来た。私たちの地球が、この銀河系で一番文明が発達した星である可能性も、また否定できないのである。言っておくが、私はどんな宗教もやっていないし、崇め奉っている神様もいない。これは可能性の話であるし、フェルミのパラドックスへの回答でもある。
最近、ネットでよく見かける言葉でこんなのがある。「われわれは悲運な時代を生きている。地球を探検するには遅く生まれてしまったし、宇宙を探検するのは早く生まれてしまった」と。いやいや、まだ嘆くのは早い。最近私はネットの記事で「現在の医学の進歩のペースだと、20年後くらいには人間が不老不死の技術を確立している可能性は高い」というのを読んだ。アラフィフの私はぎりぎり間に合いそうだ。そしてロボットや人工知能などの技術の進歩も目覚ましい。そう遠くない未来に、人間の脳に収められた記憶や個性などを小さなチップに全部移して、不老不死の機械の身体を手にすることもSFではなく現実の技術としてありえるだろう。そんな不老不死になって何がしたいのかだって? そりゃあ、宇宙探検に決まっている。あるいは宇宙移民でもいい。せめて太陽系をぐるっと回って地球に帰ってくるぐらいなことはしたい。地球しか知らずに死んでいくなんて嫌すぎる!
なので全面核戦争だけは止めてほしいものである、いやマジで。
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