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【エッセイ】 初音ミクは1983年に夢見た未来か?

 最近では「音楽を聴く」ことと「YouTubeを見る」ことがすっかり同義になっている。私と同じようになってしまった人は多いだろう。電車通勤をしていればスマホとワイヤレスイヤホンを使って、収録してある音楽ファイルを再生する場合もあるだろうが、私はそんな機会がないのでYouTubeが音楽を視聴するほとんど手段になっている。

 もちろん昔は違った。厚紙のジャケットに包まれたレコードを取り出し、ターンテーブルに載せ、その薄い円盤の端っこに針をそっと落とす。こんなことを書いても若い人の大部分はなんのことだかさっぱりだろう。とにかく昔はそんな面倒くさい儀式をしなければ音楽を聴けなかった。当時は別に面倒くさいなんて考えたことはなかったが、今から考えると相当に手間がかかる行為だ。しかしテレビやラジオから流れてくるものを除いて自分で能動的に音楽を聴こうとすれば、レコードやカセットテープといった物理的な記録媒体を専用の機械にセットするのは必須の行為だった。他に手段はなかったのである。

 と、こんなおっさんの懐古話を書いたところで誰も喜ばないのは分かっている。確かに私は未だにスマホも持っていないガラケーおじさんだが、ネットの世界にはどっぷりはまっている。今から20年くらい前、ちょうど西暦2000年頃からインターネットの世界に出入りするようになり、もう首まで浸りきっている。だから冒頭の「音楽を聴く手段はほとんどYouTube」ということになってしまったのも理解してもらえるだろう。
 
 本当にYouTubeは便利だ。音楽のジャンルは数知れず、クラッシックからパンクロックまで抜かりなく揃っている。子供の頃に好きだった曲をふと思い出して「あの曲、また聴きたいな」と思っても、YouTubeのトップ画面から検索すればいいだけの話だ。家のレコードの棚を探す必要などない。たとえ出てきてもレコードプレーヤーはとっくの昔に壊れているんだし・・・・。

 そんなYouTubeの膨大なコレクションの中で私が以前から、そして最近でもよく聴いているのが、実は初音ミクを代表としたボーカロイド系の楽曲なのだ。おっさんにしては意外と思われるかもしれないが、20年前からネットをやっていれば初音ミクがデビューした頃のことも、ボーカロイドという新しいジャンルが世間に受け入れられていく過程もリアルタイムで体験しているのである。初音ミクについて私が今更説明することなどないだろう。ボーカロイドのバーチャルアイドル、それが初音ミクだ。

 初音ミクが発売されたのは2007年8月31日のことだが、私は直後に彼女の存在を知り、その歌声をよく聴くようになった。当時はYouTubeではなくニコニコ動画でのことであった。無名のクリエイターたちが続々と投稿する初音ミクの楽曲を毎日のように聴いていた。楽曲製作する人とは別に有志の人が作るランキング動画なども大いに参考になった。(ああ、どうして私たちはニコニコ動画から遠ざかってしまったのだろう?)。

 あらためて調べてみると、もうデビューから14年もたっているのだ。ということは現在、高校生くらいの若者にしてみれば、初音ミクとは物心ついたときから普通に存在していたことになる。そして彼女は歳をとることも、スキャンダルで引退することもなく、いつか廃れて忘れ去られる日が来るかもしれないが、YouTubeが存在する限り、いつでも好きな時に彼女の歌声を耳にすることができる。存在するが実在しない永遠のバーチャルアイドル、それが緑のツインテールの女の子の正体である。

 しかし発売された当時は、現在ほど受け入れられていたとは言い難い。今でもいるかもしれないが、その頃からアンチはいたのである。彼らの声とはこうだ。「あんなものはニセモノだ」「人間の温かみがない」「機械音が気色悪い」などなど・・・。

 私はこうした指摘が的外れだとも思わない。本物か偽者かはともかく、コンピューター上の合成音声がどこか機械的で、昔のSF映画さながらの「ワレワレハ、ウチュウジンダ」をほんの少しばかり上品にしたものに過ぎないと感じることは確かにある。しかしそれでも、実在しない仮想の歌手の女の子がジャンルを問わずどんな楽曲を自在に歌いこなすという状況は、最新のSF映画のさらに上を行っている世界なのかもしれない。レコード盤の上にそっと針を落としていた時代から比べれば、とんでもない未来に来ているのだ。

 そんな初音ミクの存在はいまやすっかりワールドワイドである。例えばhatsune mikuの名前をYouTubeで検索すれば、彼女の楽曲はざくざくと画面上に現れる。日本語の歌に英語の字幕をつけたものもあれば、英語の歌をカバーしたものまで、数限りなく表示される。私の残りの人生をこれらの動画を見ることに費やしても、命が尽きる前に果たして聴ききれるかどうか怪しいくらいだ。

 2021年現在、彼女は日本の文化の一翼を担うポップアイコンだと言っても過言ではない。現にライブツアーはアジアやヨーロッパ、そしてアメリカ本土でも行われ盛況だった。2007年に発売された直後から、海外の一部のオタク系の人々は彼女の存在を嗅ぎつけていたと思う。ニコニコ動画内にコメントを残す人もいたし、わざわざニコニコ動画の初音ミクの動画をYouTubeに移植していたりと、同人活動的に布教していた人も存在した。しかし、彼女の存在が海外に広く知られるようになったのは、ある時点を契機にしていた。それは2010年の3月9日にZepp Tokyoで行われたライブイベント「ミクの日感謝祭 39's Giving Day」と、その模様を収めたDVDが半年後の9月に発売され、ライブ映像がYouTube内に続々と投稿されてからだ。そう断言してもいい。


 YouTubeはもちろん日本国内だけではなく世界中に繋がった動画共有サイトだ。一部の国からはアクセスできないようだが、地球上のほとんどの地域をカバーしている。そんな世界中の人々がZepp Tokyoでのライブ映像をYouTubeで見て著しく反応したのである。曰く「日本人はホログラムの歌手のライブで熱狂している!」「こんなのは日本だけだ!」「日本人は未来に生きてるなあ」と。

 いまさら解説するまでもないが、確かに初音ミクは実在しないが、ホログラムでもない。CGで作られた3D映像を平面のスクリーンに投影し、その周りで生身のバンドメンバーが演奏しているので、あたかも空間に立体映像が浮かび上がっているように錯覚させているのだ。私も最初にこのライブを見たときは感嘆したのを覚えている。しかし、一方でなんだか変な既視感を抱いたのも確かであった。「こんなのをずっと前に見た覚えがあるぞ」と思ったのだ。そしてすぐにそのデジャブの正体が分かった。ずっと昔、高校生の頃に見たテレビドラマを思い出したのである。

 それは「Fame」というアメリカのテレビドラマで、その中の一つのエピソードの一場面がこの初音ミクのライブによく似ているように思えたのだ。「Fame」はもともと1980年に公開された映画がオリジナルで、ニューヨークを舞台に芸術学校に通う高校生たちの青春群像を描いていた。監督はアラン・パーカー、アイリーン・キャラなどが出演していたが、映画のヒットを受けてテレビドラマ化され、その吹き替えドラマをTBSが1984年から85年にかけて深夜帯に放送していて、当時高校生の私は楽しみに見ていたのである。日本での題名は「フェーム/青春の旅立ち」だった。

 芸術高校といっても音楽、ダンス、演劇といったショウビズ系の授業がおもに行われていて、日本では普通の絵画や彫刻などを教える学科はなかった。はたしてこんな学校が本当にニューヨークにあるのか、それとも映画上のフィクションに過ぎないのか分からないが、当時、埼玉の田舎の高校生に過ぎなかった私は、ニューヨークの大都会で歌ったり踊ったりしつつ、喜び苦悩する同世代の高校生たちの姿を羨望の眼差しで見ていたのだと思う。

 私がこのドラマが好きだったのは、日本のドラマとはかなり違うフォーマットで作られていたのも大きかった。主人公は芸術高校で学ぶ6、7人の生徒達で、一話ごとにフォーカスされる主役が変わっていく。主役でない時のメンバーは脇に回り、生徒や教師たちとの関係やあるいは親との繋がりも織り交ぜながらストーリーが続いていく。彼らはそれぞれ作曲家やチェリストやダンサーや役者、コメディアンといったショウビズ界の違うものを目指しつつも友情を育み、時には反発し、喧嘩しながらも青春の日々を過ごしていく、ショウビズ界のFame(名声)をいつか掴み取る日を夢見て、とそんなドラマであったのだ。(今自分で書いていて懐かしくなってきた・・・)

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 その中の一人、ブルーノという作曲家を目指すシンセサイザーマニアの生徒がメインの回がデジャブの正体であった。上の写真の左上のモジャモジャ頭がブルーノだ。吹き替えは古川登志夫さんが担当していた。うろ覚えだが、こんなストーリーだった。ある日、ブルーノは年配の教師の一人と議論になる。「生身の人間が登場しないステージは人を感動させられるか?」というテーマで言い争いになり、教師は「そんなものは無理だ」と否定するもののブルーノは「出来らあ!」と言ってしまう。そしてブルーノは周りの友人達や他の教師に協力を仰ぎ、終盤、本当にそんなステージを作り上げて皆の前で披露するのだ。そのステージとは、ブルーノが舞台下でシンセサイザーを演奏し、友人のダンサーが舞台袖で踊り、その踊っている姿をビデオカメラで撮影し、サイケデリックに加工した映像をリアルタイムで無人のステージ上のスクリーンに映す、というものだった。どうだろう、似てないだろうか?

 似ているかもしれないが、厳密には全然違うとも言えるかもしれない。スクリーンに映像を映している点は同じだが、ミクのステージは無人ではない。生身のバンドメンバーと同時に登場することで3DCGの初音ミクが人間のように実在すると錯覚させているわけだし、そもそもミクの本体はステージ上の3DCGではなく、購入した人のパソコンの中にいるボーカロイドというソフトウェアなのだから。1984年のドラマの時点で、仮想的な歌手というアイデアは微塵もなかったではないか。
 
 しかし、高校生の頃に一度見ただけのテレビドラマをうろ覚えながらここまで記憶している自分もなんだか変だ。ビデオテープに録画して繰り返し視聴したわけでもないし、もしかしたら再放送を見たかもしれないが、フェームの他の回は断片的にしか覚えていないのだから、このブルーノの回の何かが自分に引っ掛かったとしか言いようがない。いろいろと調べたらこの回には「人間とコンピューター」という副題がついていて、第2シーズンに当たる全体の33話目に放送されたものだ。原題は「Blood, Sweat and Circuits」だった。直訳すれば「血、汗と回路」だろうか。現地アメリカで放送されたのは1983年の2月12日。国内のアマゾンで「フェーム/青春の旅立ち」のDVDボックスが売っていたが、第1シーズンに当たる16話までしか収録されていない。21世記になって第3シーズンまで衛星放送で再放送したことはあるようだが、ビデオ化まではされていない。どうしても見たいなら誰かが放送を録画したものを借りるしかなさそうだ・・・
 
 さらにネットを検索していたら、どこか海外のマイナーな動画共有サイトにこの「Blood, Sweat and Circuits」が上がっていて、数十年ぶりにまるまる見ることができた。(公式にライセンスされたものかも知れないが、多分、違うと思う。違法視聴サーセンww)。しかし吹き替えではなく英語のままなので、内容の半分も理解できたかも怪しかったが、自分の記憶がかなり改竄されていたのも分かってきた。間違ってないのはラストにブルーノが企画したステージが行われたくらいで、教師との議論の内容もまったく違った。正しくは「コンピューターは人間を感動させるステージを作れるか?」であったのだ。

 さらに言えばもっとドロドロとした背景があった。ニューヨーク市当局が予算削減のため、学校の老齢に差し掛かっている女性事務員の首を切ろうと画策する。その代わりにコンピューターを導入するから充分だろう、と。それに反発したブルーノが「コンピューターはただの事務機器ではない。芸術だって表現できる。僕がそれをやって見せる」と啖呵を切り、最後のステージに繋がるのだ。とはいうものの、英語力が中学生程度で止まっている私のリスニングでは、この説明もあまり当てにならないことをお詫びしておかねばならないだろう。私の記憶には残ってなかったが、ステージ下でシンセサイザーを演奏するブルーノの横にはギークっぽい友人が控えていて、彼が現在から見ればかなり旧式のパソコンを操作して映像を作り上げていた。「人間とコンピューター」とつけられた邦題のとおり、この回のテーマはコンピューターであったのだ。

 コンピューターが私たちの生活に入ってきたのは20世紀の後半からである。半導体や集積回路の進歩と成長のカーブは1980年代からぐっと上向きになったと言い切ってもそれほど間違ってはいない。そして人々はそんな見慣れないテクノロジーを恐れたり喜んだりしながら、生活の中に少しずつ取り込んできた。誰もが一様に歓迎していたわけではない。登場したばかりの初音ミクに拒否反応を示した人がいたように、コンピューターを嫌う人も少なくなかった。アップル社のApple IIは1977年、マイクロソフトのMS-DOSは1981年に登場した。職場や家庭にパソコンが侵入してきた流れはもう決して逆流させることなど不可能だ。だからよくよく考えれば1983年当時、「フェーム」の中でブルーノが行ったステージは初音ミクのライブステージと一直線で繋がっている。なぜならそもそも初音ミク自体がバーチャルアイドルなどの御託を並べる以前に、コンピューターによって生まれた存在で間違いないからだ。100年前に初音ミクはいなかった。なぜか? それは100年前はコンピューターがなかったからだ。

 エンターテイメント業界においても1980年代はまだ人間の手によるアナログ機器がほとんどだった。ピアノもバイオリンも、直接人間が演奏しなければうんともすんとも言わなかった。シンセサイザーなど電子部品を使ったものはあったが、初音ミクを使った楽曲製作に必須なDTMはつぼみ以前の状態だし、3DCGなどはまだ空想の産物だった。私が当時体験した3D的なものといえば、友人の家にあった富士通のFM-77AVというパソコンで遊んだゲームで、なんとワイヤーフレームで立体物を表現した戦車ゲームだった。敵の戦車に近づくとピーピーという音が甲高く鳴り響いてそれなりに緊張したが、当時はそれが限界だった。CGによる映像が進歩し、まるで実写と変わらないと人々を驚かせたのは1993年に公開された映画「ジュラシック・パーク」にまで待たなければならない。

 初音ミクは日本独特なものだ、とはよく言われる。世界の中でも特異な日本のオタクカルチャーと進んだエレクトロニクスが融合したものであり、他の国では生まれなかったに違いない、と。確かにそれはそうかもしれない。この主張を強引に否定しようとはさすがに私も思わない。しかしそれでも「私が遠くを見渡せたのは巨人の肩に乗っていたからだ」というアイザック・ニュートンに言葉を引用するまでもなく、この緑のツインテールの女の子も何もない混沌の中から勝手に生まれたわけでは決してない。少し大袈裟かもしれないが、初音ミクはフォン・ノイマンやアラン・ケイやビル・ゲイツといった巨人たちの肩の上から世界を眺めているのかもしれない。

 と、ここで裏話的なことを書いておく。私がこのエッセイを構想したのは数か月前のことだ。初音ミクとフェームの一場面を結びつけて「1983年にアメリカで未来を夢見たドラマ関係者がいたからこそ、21世紀の日本に初音ミクが生まれたのだ」とかなんとか書いてまとめるつもりだった。このエッセイを半分ほど書き進め、さらに詳しく調べようと英語版Wikiの「Fame TV series」の項目を眺めていた。「Blood, Sweat and Circuits」を書いたシナリオライターは誰なのかと、一話ごと解説してある表のWritten byのところを見ていて「ん?」となった。そこにあった名前は Lee Curreriだった。リー・キュレーリ。これはブルーノを演じていた俳優の名前である。

 なんてことだ!!!  
 
 英語版Wikiの編集ミスでも、同姓同名の他人でもなかった。「Blood, Sweat and Circuits」の動画を見返したら冒頭のクレジットにはっきり「Written by Lee Curreri」と表示されていた。第33話「人間とコンピューター」を書いたシナリオライターはブルーノを演じていた役者その人だったのだ。「Fame」は映画とテレビシリーズでは生徒役の配役がすべて同じではない。例えばダンサーの女の子のココ役は映画ではアイリーン・キャラだが、テレビでは変わっている。スケジュールや大人の都合なのだろうが、同じ人がスライドして演じている役もある。ブルーノ役のリー・キュレーリは映画からそのままテレビシリーズまで続けて演じている。調べると彼は1961年生まれだから映画の時は19歳、テレビシリーズには1982年の第1シーズンから84年の第3シーズンまで出演していた。1983年の時点でもまだ22歳の若手俳優に過ぎなかったはずだが、どうにかして彼はシナリオを書き、プロデューサーやら上層部に認めさせ、自らを主役とする一話のテレビドラマを生み出したのだ。これはかなり異例なことではないだろうか? 1983年の時点で、コンピューターがエンターテイメントを進歩させ、私たちの生活を便利にするだろう、そうするに違いないと未来を夢見ていたのは、他ならぬブルーノその人だったのだ。彼はもちろんまだ健在で、60歳ぐらいである。

 彼は初音ミクを見てなんと思うだろうか?


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