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盛田昭夫・日本企業をグローバル化へと切り開いた男

こんにちは。
雨も続き、少し気温も下がって過ごしやすくなってきました。
朝からコーヒーを飲みながらnoteを書いています。

さて皆さん、家の中を見回した時に”家電”はどれくらいありますか?

TV、PC、携帯電話、電子レンジ、掃除機、エアコン等々、沢山の家電があると思います。
その中に「SONY」製品はいくつあるでしょうか。

今日はそのSONYの創業者「盛田昭夫」氏について、ご紹介したいと思います。

「世界中を相手にして仕事をしてみようじゃないか」

ソニーグループ株式会社。


家電のみに限らず、エンターテインメントや金融などの他事業展開を行い、その連結従業員数は約11万人。そして2020年度の連結売上高約9兆円。
正に「世界のSONY」と呼ばれる日本の一流大企業です。

その「SONY」を創業したのは、盛田昭夫氏と井深大氏という2名の天才的な技術者でした。
盛田氏は作り酒屋の長男として生まれ、物理学を熱心に研究しました。
第2次大戦では、職業軍人として海軍でレーダーの開発を行い、そこで井深氏と出会うのです。

正に運命の瞬間。盛田氏は23歳、井深氏は35歳。
当時は年齢でも上下関係が生まれそうな時代です。しかしお互いを認め合い、研究開発をしながら「戦後」を語りあったそうです。
戦後の1946年5月7日、盛田氏と井深氏でSONYの前身となる会社を立ち上げます。
従業員数わずか20人の町工場からその歴史が始まったのです。
創業時、盛田氏は若干25歳。
しかし既にその視線の先には”世界”を見ていました。

「ブランド化」と「グローバル化」の重要性

「良いモノを作れば売れる」
そう信じられていた戦後日本。盛田氏も良い製品を作ろうと日夜開発を進めます。
しかし全く売れず、資金繰りにも危機的な状況に陥ります。

「会社が良いものと思ったとしても、世間はその価値に気づかない」

そこから製品を刷新し、同時にマーケット開拓を行っていく事で、危機を脱出していきます。
盛田氏は「売り手ではなく買い手の視点に立ち、商品の価値に気づかせることが重要」と学んだそうです。

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経営が回復しつつある中で、次に盛田氏が行ったのが社名変更でした。
定着しつつある会社名ではなく、発音しやすく世界でも受け入れられ易い社名にする必要があるとし、会社名を「SONY」にしました。
そして製品に「SONY」を印字し、ブランド化していったのです。
この時すでに、ブランド化の重要性に気付いていた事に、先見性を感じます。
常に意識していたのが「グローバル化」であり、勝負をする土俵を世界にしていたからこそ、こうした改革を成し得たのだと思います。

挑戦し続ける事

とにかく思い切ってやってみようじゃないか
間違ったらまた変えるのだ
             出典:「盛田昭夫」語録 一覧

常にグローバルな視点を持ち、世界へと切り開いた盛田昭夫氏。
その経営手法は今の日本のグローバル企業にとって「当たり前」になりした。正に先駆者です。
どんな時代、どんな世界であっても、挑戦するから改革があり、
新しい時代が切り開かれます。
それは企業に限らず、自分の人生においても同じだと思うのです。
盛田氏の生き様、信念から学ぶ事は、常に挑戦していく事でした。

一度切りの人生だからこそ、何に自分を燃やすのか。
先人達に学び、自分の人生でも挑戦をしていく。
そんな自分は少し、誇らしいと思いませんか?

ではでは。


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