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宗教改革をした夫を改革した妻カテリーナ


1517年の今日、マルティン・ルターは
ヴィッテンベルグ城協会の扉に『95か条の論題』を
張り出し、ここから「宗教改革」が始まりました。





私は6年前にルターの足跡を訪ねる旅をしました。
ヴィッテンベルグも行きましたが、
マルティン・ルター 生誕の地 である
アウスレーベンにも行きました。





アウスレーベンは生誕の地であると
同時に最期を迎えた地でもあります。



銅山で銅鉱脈も見つかり、
古くから交通の要所としても栄えました。
ルターゆかりのという意味の冠がつく
『ルターシュタット・アイスレーベン 』が正式名です。
ルターの生家などユネスコ世界遺産に登録された建物も多くあります。
ここで一番心惹かれた人物はルターの妻、カテリーナでした。




カテリーナ・フォン・ボラは
貧しい貴族の娘として生まれました。
ローマ教皇を首長とするカトリック教会の修道女でしたが、
1523年 26才の時に数名の仲間とともに出奔し、
ルターの親しい友人であった
ルーカス・クラナッハ(父)の家に匿われました。

そして会ったこともなかった41才のルターの元に走り、
「あなたは私と結婚するべき」と宣い、
結婚したそうです。

有能な女性であり、妻であり、
母となったカテリーナ。

金銭や農場も管理して、
ビール工場を運営し、
さらに養殖場も貸していました。

カテリーナの井戸と呼ばれる専用の井戸を持ち、
甥っ子や学生、常に30人ほどが
暮らしていた台所を切り盛りしました。



ルターは彼女を「我が主人 ケーテ
と呼んでいたそうです。

博物館にある当時の様子を伝える模型には
必ずカテリーナらしい女性が仕切っている姿がありました。

クラナッハの描いたカテリーナ、
強い意志を持っているように見えます。

マルティンは金銭感覚がなく、
ルター家は常に火の車。
食べることと、飲むことが大好き。
「酒と女と歌を愛さぬ者は、生涯馬鹿で終わる」
どこかのロックスターがいいそうな名言(迷言)を残すほどでした。



そんなルターでも宗教改革時は諸問題で苦しみ、
さすがに落ち込んでいたのでしょう。
ある日、喪服で部屋にやってきたカテリーナを見て、
ルターが「どうした、誰が死んだのか?」と尋ねると
「あなたのイエス・キリストが死んでいますと答え、
ルターはハッとしたという逸話も残っています。



三男三女の母としてたくましく生きたカテリーナ。
私はカテリーナが大好きです。
ちなみにマルティンのお母さまはマルガリータです。

カテリーナは聖女カタリナの名から派生した名前で
フランスやイタリアではカトリーヌ
英語読みはキャサリン。
スペインもキャサリン。
ロシアはエカテリーナ、
デンマークはカレンとなります。

マルティンは
ラテン語マルティヌスから派生した名前で
ドイツではマルティン、
イギリスはマーチン 
フランスはマルタン 
スペインはマルティネス、
ポルトガルはマルティンス、

イタリアはマルティーニです。

同じ名前が多いから個性を出すのでしょうね。

もしかしたら、本当に強い女性は自ら前に出ず、陰で男性を従える人かもしれません。
学ばねば…


ルーテル教会の伝統では
宗教改革記念日にはルターが作曲し、J.S.バッハが編曲した
コラール「神はわがやぐら」が歌われます。
YouTubeでは様々「神はわがやぐら」が演奏されています。

ライプツイヒ 聖トーマス教会少年合唱団による歌声を聴いてください




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#マルティンルター
#カテリーナ
#アウスレーベン
#宗教改革

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