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アトツギになる覚悟を決めたかったから

みなさん、こんにちは

繊維事業を営む中小企業の5代目後継者、墨 俊希です。昨年より一般社団法人ベンチャー型事業承継の事務局にも参画しています。

私がベンチャー型事業承継の事務局に参画してから1年という時が経とうとしています。この1年でさまざまな出会い、学びがあり、非常に充実した日々を送れています。

特にナレッジ開発担当として、経営者になるまでに必要な学びの体系化や、技術の力を通じて社会課題の解決に取り組む中小企業を支援するためのディープテックプロジェクトの立ち上げ、オンラインコミュニティ「ファースト」のリニューアルやアトツギアワードの開催などを担ってきました。

(先日のワーケーションにて)


私はちょうど1年前、いろいろな意味で人生の節目を迎え(詳しくは後述)、そろそろ潮時かなと思い、新卒で入社したアクセンチュアを退職。そこから中小企業の”後継者”としてのキャリアがスタートしました。

そんな中であえて事業承継を支援する団体の事務局としても活動しはじめた理由は、


アトツギになる覚悟を決めたかったから


参画してちょうど1年になるこのタイミングで、私がどんな想いでここに至ったのか、今までを振り返りながら備忘を兼ねて記しておこうと思います。

※参考
アトツギ:「先代から受け継いだ価値を、時代に合わせてアップデートすることで、その次の世代に託す時まで、存続にコミットする個人」

思った以上に長文になってしまったので読むのに10分くらいかかってしまうかもしれませんが、しばしお付き合いください。
(目がしょぼしょぼするのでスマホで見るよりパソコンから見たほうがいいかもです)


京都での楽しい大学生活


家業は完全なる斜陽産業。社員も工場も減っていき、子供ながらにその不穏な空気を感じ取っていたのか、大学生になったら実家があった愛知県からは物理的な距離を置きたいと思っていました。

一方で祖母などからは、「いつ◯◯(家業)に入るの?」 「将来は◯◯(家業)のために頑張りなさいね」みたいなニュアンスの言葉を子供のときからよく掛けられていました。そんなことを言われる度に、自分の人生を(傾きかけて、いつ倒産してもおかしくない)家業に捧げてたまるかといった反発心が芽生え、自分はもっとクールでかっこいい仕事をしながら、日銭を稼いでいくんだという想いが日に日に強くなっていました。

そんな背景もあって京都市内の大学に進学、夢だった京都での1人暮らし生活をスタートさせました。

京都での生活は楽しくてたまりませんでした。

仲良くなった下宿組がみんな徒歩圏内に住んでいたということもあり、毎日のように友達の家に転がりこみ、一緒に近所の喫茶店で日替わり定食を食べ、同じようなたわいもない話を繰り返ししていました。深夜までゲームをしては翌日の授業を一緒にサボるといったことも数えきれないほどやりました。

(頻繁に通っていた京都の喫茶店)

また、たまたま入ったゼミの先生がずっとアメリカで生活をされてた方で、自分のやりたいことを尊重してくれるような方だったというのもあり、京都というゆっくりとした静かな空気感が流れる地で、のびのびとした学生生活を送ることができていました。

(大学生のときに初めて行ったヨーロッパ / ローマのパンテオン)

大学時代は時間がたっぷりあったので友達と一緒に起業もしました。たくさんの失敗と壁にぶち当たりながらも自分の手で月に何百万というお金を稼ぐという経験を積むことができ、稼いだお金でたくさん海外旅行に行ったりと、頑張れば親に頼らなくても自分の力で人生を切り開いていけるのだという謎の自信に満ち溢れていました。当時を振り返ってみても、家業を継ぐなんて選択肢は一ミリも考えていなかったような気がします。

大学3年生で就活をする時期になったときも、近い将来もう一度起業することを前提に、よりビジネス戦闘力上げるべく、キラキラしたITベンチャーや当時盛り上げっていたコンサル業界を中心にエントリーしていました。当然、エントリーシートや面接では一切家業の話をしていませんでした。むしろ話したら、こいつすぐ辞めるのではと解釈されて、不利になるだろうとさえ思っていました。

そんなこんなで大学を卒業。家業に戻る気がさらさらなかった私は内定をいただいたアクセンチュアに新卒で入社しました。

”令和9年が区切りだと思っている”


アクセンチュアでの仕事は良い意味で厳しく、激しい毎日を送り、スポンジのように吸収してはアウトプットするという経験を通じて、着実に成長していっているなという実感を得ていました。

そんな中、たまに実家に帰ると、家業の話になりました。親戚なども私がコンサル業界に行ったのが家業のための修行だと思っていたのか、いつ戻ってくるのかと言われては適当に誤魔化すということを繰り返していました。

ただ唯一、父親だけはずっと自分に継いでほしいのか、はっきりしませんでした。

別に家族としてコミュニケーションしてなかったわけではありませんでしたが、「承継」のことだけはなぜかセンシティブでお互い避けていたように思えます。仕事も充実していましたし、私が継ぎたくないオーラを出していたので話題に出しづらかったのかもしれません。また、もし本当に自分が突き詰めたいことがあるのだったら父親として息子を素直に応援したいという気持ちも少なからずあったのかもしれません。真意はいまだによくわかりません。

そんな状況でしたが、ある年末年始に実家に帰省したとき、初詣に一緒に行きました。お参りの列に並んでいるとき父親からこんな言葉が発せられました。

父:令和9年が区切りだと思っている

その言葉には2つの意味が込められていると即座にわかりました。

・父親自身が人生を捧げた仕事を令和9年で引退したいと思っていること
・もし自分が継がなければ会社を畳む意思があること

私はその言葉を聞いたとき、ファミリービジネスとしての重みに生まれてはじめて触れたような気がします。うちには代々受け継いできたものがあるのだと。そしてそこには一族じゃないと背負うことが難しい重圧があるのだと。

(今残っている工場はほとんどありません)

右肩下がりの業界の中で、会社規模を1/10以上に縮小させ、時には倒産の危機に瀕しながらもなんとか会社を守ってきたということもあり、私の想像ではありますが、父親はかなりの困難、孤独と戦ってきたことでしょう。

また地元に、創業者の銅像があったということもあってか、傍から見ていて、カリスマ創業者が天から見ているのだというプレッシャーも背負っちゃっていたような気もしました。

私はその言葉を簡単には咀嚼できず、なんとか

私:へー.....

と返したことを鮮明に覚えています。
0%だった家業を継ぐ可能性が30%ぐらいに変わった瞬間だったのかもしれません。


暗いトンネルの中から見えた小さな光


そんなやりとりがあってから1年ほどは自分のキャリアデザインをずっと悩み続けていました。新卒で入社してから年数が経っていたので、立場が上がり、やれることも格段に増え、社会の見え方も変わってきていた時期でもありました。戻る気持ちも少しずつ芽生えつつありましたが、どう考えても業界的にヤバい状況であることは目に見えていましたし、社員もたくさんいるなかで中途半端な気持ちで継いでいいのだろうかとずっとモヤモヤした状態が続いていました。

そんなとき、たまたまイノベーションの講演があり、そこで早稲田の入山先生の話を聞く機会がありました。

「イノベーションとは知と知の組み合わせから生まれるもので、"両利きの経営"の中でも新しい知を探し出す知の探索がとにかく重要。継ぐ気のなかったご子息が外の世界で多様な経験を積んでから家業に戻っていくと、面白い化学反応が生まれることが結構あるが、それはアトツギが無意識に”知の探索”をやっているからだ」

(講演スライドより拝借)

私はその話を聞いた時、暗いトンネルの中から小さな光を見出したような感覚となりました。もちろんその場で完全に腹落ちして、全力で家業に気持ちのベクトルが向けられるほど簡単なものではありませんでしたが、もしかしたら自分の今までの経験と家業とを掛け合わせたら面白いのかもしれないと、ほんのちょっとだけプラスに思えるようになりました。このときでちょうど5、60%ぐらいの感覚です。

(入山先生と)

そして入山先生がビジネススクールの教授ということもあって、”知の探索”&家業へ戻る準備としてMBAへ行くという選択肢が自分の中でピッタリとハマってビジネススクールに進学することを決意、またさらには入山先生が事業承継を支援する団体の顧問をやっていることも知りました。

その団体こそが今私が事務局メンバーとして携わっている一般社団法人ベンチャー型事業承継だったのです。


アトツギベンチャーという世界

直感でこれは何かの縁だと悟ったのか私はすぐに問い合わせてみました。
そして代表のジル、事務局長のゴードン(本団体はイングリッシュネームを使用)と

家業に入ってやっていくことはなんとなく決めているけど、まだ100%覚悟を決めきれていないです。これからどうやっていいか不安だし、いろんな世界を知りたいから何らかの形で携わらせていただけますか

正確には覚えていないですが、そんなような文脈のことを面談で喋ったような気がします。ただ結構、勢いでいったところもあったので割と軽いノリだったはずです。

もちろん家業を本当に継承していくのであれば遠回りせず、100%フルコミットで家業の勉強をしろよって言われてもおかしくありません。ただこれから30年以上家業にコミットしないといけないのです。家業の経営の引き継ぎを進めながら、自分の視野を広げる活動を並行して行うという両取りをしても別に悪くないじゃないか、そんな風に自分を捉えていました。

(社団メンバーと北浜オフィスで初対面)

この決断は今振り返ってみてもかなり良かったなと思っています。

ここでは日本全国の先輩アトツギ経営者から、若かりし頃に何をしてきたのか、どうやって会社を成長させてきたのか、どんな想いで経営しているのか、ハードシングスをどう乗り越えてきたのか、当事者目線で経験シェアしていただく機会がたくさんあり、それを自分の家業と照らし合わせながら、無料で聞くことができるという究極の公私混同が許される団体です。

(AVSとアトツギアワード)

中小企業の経営は、自分が経験してきたコンサルとかMBA的なアプローチだとなかなかマッチしないところも多いですし、ファミリービジネスだと人間関係の変な悩みとかもあって、難しいこともたくさんありますが、こういった悩みの一番の教科書は、現役経営者の失敗談だと個人的には思っています。そんな失敗談を聞ける環境はここ以外あんまり無いような気がします。

さらに中小企業とスタートアップの中間領域である”アトツギベンチャー”のカルチャー化を目指す組織として関わっていく中で、後継者が様々な課題と向き合いながら、時に涙しながらも未来の言語化を重ねて新しいことにチャレンジしていく姿をたくさん見てきました。

若干の眩しさを感じながらも、そんな熱い想いを持った方々と接していると、いつの間にか自分のマインドさえも「後向き」から「前向き」に、「後継ぎ」から「アトツギ」に変わってきていることに気がついたのです。後継者のアトツギ化を応援していたら、自分も”アトツギ”になってしまうなんて、当初は思いもよりませんでした。また存在を隠すほど、ダサくてダサくてしょうがなかった家業がいつの間にか自分の誇りになっていました。

(早稲田大学ビジネススクールにて)

先日、中小企業庁が開催するアトツギ甲子園という大きなイベントがあり、その中で審査員のおひとりからこんな言葉がありました

"地域発スタートアップの勝ち筋はアトツギベンチャーなんじゃないか"

もともと会社を継ぐ気は全く無く、もう一度起業しようと思って大学を卒業し、上京した自分がまさかこんな形でスタートアップと接続するとは思いませんでした。家業をベースに新しい挑戦をしていき、家業自体をベンチャー化させていく。そんな道もあるんだよと知れただけでも自分にとってはとても大きな財産になりました。直感って大事ですね。

(アトツギ甲子園 運営メンバー)

事務局メンバーになって得られたこと

まずは取引先へ修行に行きなさいとか、いざとなれば家業にコネ入社すればいいから就活も気が楽だよねとか言われがちな後継者のキャリアデザインには正解がありません。しかしその選択肢の一つとして、家業入社前後でベンチャー型事業承継を挟むのは結構ありなんじゃないか、最近そう思えてきました。

私はこの団体に参画してから、世代を超えて関係者の幸せと業績の両立を実現していこうとするロングターミズムこそがファミリービジネスの最大の強みであること、家業を維持しながら新会社を立ち上げ社会に大きなインパクトを与えようとする出島戦略があること、アトツギが社長になるまで先代と2トップの時代があるからこそできるアプローチがあること、中小企業をグループで束ねることでものづくりのポテンシャルを最大化しようとしている企業があるということ、どんなすごい経営者でも表に見えているのは5%ぐらいでその裏では失敗や苦悩とたくさん葛藤しているということ、超ニッチ戦略で斜陽産業にもかかわらず収益性の高いモデルを実現している経営者がいるということなど、たくさんのことを学びました。

正解のないアトツギの世界でたくさんの人の経験をシャワーのように浴びられる、そんな環境に興味がある方がいらっしゃればぜひご連絡ください(もちろん専門スキルなんて不要でコンサル経験なんて無くても直感的にビビッときた方であれば活躍できる場所です)

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SUMI
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