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夢のカタール3週間

<異例ずくめのW杯>
お酒のないW杯、初めての12月のW杯。W杯に行った人のツイートや試合に関する論評なんてものは死ぬほど溢れている。
セレッソ大阪サポーターとして旅をしていたなかでなんとかたどり着くことができた僕が、応援の中心にいるサポーターたちを身近で見て感じたことなどをnoteに記しておこうと思う。

<カタールへの入国>
ひとつ前のnoteに記載した通り、壮絶なインド・ネパール旅を経てこのカタールの地にやってきた僕は、砂埃にまみれた汚い体でドーハ・ハマド国際空港に降り立った。
世界中からサポーターやマスコミが集まる大会なので、当然この玄関口には大量の入国者が集まり熱気がムンムンとしていた。陰性証明書の提出義務化は直前に取り消されたとはいえ、Hayyaカード(Fan ID兼ビザのようなもの)のチェックやコロナ禍での特有の各種確認などで入国に時間がかかるんだろうなと予想していた僕は完全にあっけにとられてしまった。
過去世界中で何百回入国審査をされたか覚えていないが、過去最短記録であると思えるほど短かった。
完全自動化されており、パスポートを機械に読み取らせるだけ。流れもスムーズで本当に2秒で終わった。
長蛇の列が待っていることが分かっているのに1人5分以上かけてチンタラつまらない確認をチャイとおしゃべりと並行してする国から来た僕は感動すらしてしまった。
入国してほんの数分後荷物も受け取ることができ、その待ち時間でATMでキャッシュをおろすことができ、友人と合流するために乗るメトロに向かう通路で現地Simカードを無料で受け取り、その登録も流暢な英語を話すスタッフが2-3分でしてくれる。

ナニコレ?快適スギナイ??

インド・ネパールで文字通り泥をすすりながらサバイバルしてきた僕からすると、貧乏人が金持ちのボンボンに初めて会って呆然とするかの如く
あっけにとられてしまった。メトロは時刻通り。乗客もマナーがいい。清潔な駅構内。完璧なスタッフの対応。
金でW杯を買った中東の成金国家が欧米先進国並みのサービスを提供できるのか、結局サービスは途上国レベルじゃないのか?
そんな疑念は一瞬で振り切ることができた。
好き嫌いはあるとはいえ、このカタールでの生活で不都合が生じるという日本人がもしいるとしたら、その日本人が世間知らずなだけだと僕なら断言する。
無料で配られるSimカード、そこら中にあるWi-Fi、10秒も経たずに捕まるUber Taxi、日本人でも問題なく使えるFoodデリバリーアプリ。
DX化の恩恵をしっかり受けて、それをしっかり利用し、効率よく観光客を迎えている。
一方ソフト面でもアフリカ系、アラブ系、インドパキスタン系の労働力を上手く使って、それでいて彼らも非常にフレンドリーでやらされ仕事感もなく
対応していて気持ちのよい接客がカタール中で行き届いていた。
完璧な「オモテナシ」であった。
日本の田舎の観光地もこれを学ぶべきだと切に思う。自分たちの方が劣っていることにすら気づかず学ぶべき対象をバカにしている限り気づくことさえないのだろうが。。。。

と、金でW杯を買った中東の弱小成金国家とバカにされがちなカタールではあるが、非常に快適でこのW杯がスムーズに楽しく進むことは数日で確認できた。

<ニッポンの快進撃>
日本で異常な盛り上がりだったと現地で聞いてもいまいちピンとこない。テレビでは日本のように自称サッカー好きタレントやアイドルが出るわけでもなく、健全に?昔のスーパースターがコメンテーターをするハイライト番組を放送していたり、試合の再放送を永遠に流していたりする程度。しかし一方街に出ると、そこら中の人が「おめでとう、素晴らしいゲーム」と声をかけてくれて満たされた気持ちになるものだった。
この幸せな気持ちを味わえるのはここにきたサポーターたちのだけの特権だ。

グループ分けが決まったときから初戦のドイツ戦が終わるまで、世界中の人達が日本がドイツに勝てるはずないと思っていた。
ふとしたことで会話するようになった外国人たちは優しいから、
「サッカーは何があるかわからないから日本にもチャンスあるよ」
と僕に優しくいってくれていた。
ドイツ人ですらそう言ってくれていた。
そんな優しい常識人に
「日本は勝つよ、絶対に勝つよ」
なんて言ったら頭のおかしい奴になる。
それが外国人とサッカーの話をするときの「マナー」ってやつだった。
ドイツやスペインを倒してやる!と心の中で思っていても言ってはいけない。サポーターの発言力にも序列がある。
それが暗黙の了解であり、
「もちろん日本を応援してるけど、ドイツやスペインに勝つのは難しいなぁ。でも5%くらい勝てるチャンスあるかもだから頑張るよ」
と健気に会話するのが、さっき知り合った程度の外国人と滞りなく会話を進めるためのマナーだと僕は思うし、そうしていた。
そうして負け犬根性が染みついていた。それは言葉に出さなくても僕の友人たち(TVに映るようなサポーターの中心人物たち)も同じだったと思う。

しかしながら冷静に難しいことは理解しながらも自分たちにできる最大限のサポートをして勝たせたいという気持ちは皆、試合が近づけばどんどん強まっていった。
それも当然で、練習が見れるわけでもなく、選手に会って話せるわけでもないのに、毎日練習場へ行きバスから選手が見る一瞬のために幕をだし、
バスを降りてホテルに入る一瞬のために思いを伝えるということを凝りもせず毎日毎日続けるような人たちである。
その行為が選手にどれだけのプラスを与えるかわからないが、だれかがしなくてはいけない。
そういう熱い思いで出来た言葉、、、

「トゥモロー、ビッグサプライズ!やったんで!!」

僕も大会期間中一緒に過ごしていたサポーターの中心人物マサヤ君が関西の人であることもあって産まれたこの言葉。
上記の通り自虐的にならざるを得ない境遇からネタ的要素もあって出来上がった言葉。
「トゥモロー、ビッグサプライズ!やったんで!!」
このスローガンを胸に僕たちはスタジアムに向かい、そこら中で会う外国人にこの短く且つわかりやすい言葉を吐き、そして結果を残した。
試合前日からこの言葉を何十回言ったかわからない。
試合後、僕と上記の言葉を産んだマサヤ君は
「ビッグサプライズ!やったったで!」
と少し言葉を変えて抱き合った。
試合後世界中からきた人々に祝福されながら、ビッグサプライズ!ビッグサプライズ!と叫びながら選手たちを讃えるため選手ホテルへ向かった。
選手たちにひとこと言い終えて家路についたのはもう深夜だった。

<二度目のビッグサプライズ>
日本はドイツに勝った。そしてコスタリカに負けた。
日本は調子に乗ったとか、気を抜いたとか、コスタリカを舐めていたとか、そんなことをきっと言われていたんだろうが、選手もサポーターもそこまでサッカーに無知じゃない。こんな状況のコスタリカ戦が一番難しく、一番強い敵であることを理解するほどにはみんなサッカーへの見識がある。
現地でコスタリカなんて余裕っしょなんて本心で言っている人なんて誰もいなかった。一生懸命僕らに出来る最大限のサポートをした。
それでも負けた。それがサッカーだった。

アルゼンチンを倒したサウジアラビアは日本に非常に大きな勇気を与えた。そして日本も勝ったことで、同じアジア人として見知らぬサウジ人でも会うだけで会話が始まっていた。彼らには毎回「なんでコスタリカなんかに負けたんだ!もったいない」と何十回と言われた。
なんと返事すればいいかわからない。辛かった。でももう僕らに残された道はもう一度ビッグサプライズを起こすしかない。それだけだった。

また負け犬根性が襲ってくる。

外国人「ドイツに勝てたんだからスペインにも勝てるよ。日本いけるよ」
僕「どうかなぁ。可能性は低いけど頑張るよ」
ドイツに勝ってもまだ謙虚な日本人。調子に乗る方法もわからない。
でも、心に秘めた「絶対に勝ちたい、絶対に勝ってやる」という思いは一緒に生活していたサポーターたちから溢れているのを感じていた。

ドイツに勝った翌々日、生活を一緒にしていた上述のマサヤ君一家とその友人と一緒にサウジアラビア国境近くのウォーターパークに行くことになった。
暑い国にいくと僕はよくウォーターパークにいくのだが、皆ノリが良く、一緒にいきましょう!ということになってウォータースライダーやペルシャ湾の夕日を見ながらの久しぶりのワイン(グラス一杯2000円!)を楽しんだ。

その帰りドーハに向かうマイクロバスに面白いサウジ人二人組がいた。
彼らはアルゼンチンを倒した後の次の試合に向かうところだったという。
サウジでは「進撃の巨人」が大人気だそうでヒルトンホテルのシャトルバスに乗る欧米のお金持ちたちが無愛想にスルーするなか、マイクロバスのマイクを奪い、進撃の巨人のテーマソングを歌いだしたのだ。
僕はよくしらなかったが、マサヤ君がポーズをとって「心臓を捧げよ!」というと彼らは大爆笑。
その後彼らは全力で「捧げよ!捧げよ!心臓を捧げよ!」と気持ちよく歌っていたのだった。
※実際には日本語の歌なので、彼らは意味も分からず「ササリオ!ササリオ!フーフフフフササリオ!」と発音していた。笑

その後、面白い人たちだったなぁと別れようとしたら、
サウジ人「そういえば、この前の日本vsドイツ見に行って、日本人と写真とったよ」
その写真を見るとみたことのあるピンク色のフラッグが、、、、え?これって、、、
僕「これおまえと一緒に写ってる日本人、俺じゃねーーーかーーーー!!」
日本人&サウジ人「えええええええ?????」
となって一気にテンション爆アゲ!
お互いのその後の健闘を讃えあって別れた。

話を戻すとその会話「心臓を捧げよ」から産まれた言葉「この一戦日本の為に全てを捧げよ!」
スペイン戦に負けたら帰国。家族のようにみんなで過ごした楽しいカタール生活も終了。
もっと一緒にいたい。そして何よりドイツに勝ったことを無駄にしたくない。今自分に出来ることを全力でして
「この一戦日本の為に全てを捧げたい」
そういう思いから新しい横断幕「この一戦日本の為にすべてを捧げよ」が出来た。

W杯に選ばれるような選手たちは、才能もあって死ぬほど努力もしてきてプロになって、さらにギリギリのところで色んなものを犠牲にしてW杯に出るために努力を続けてきた人たち。
そんな人たちが「この一戦日本の為にすべてを捧げ」てやっと勝てるかもしれない試合。
僕らも全てを捧げて戦おう。という気持ちになっていた。

軽いサッカーファンだったり、日本にいる人たちからしたら、自己陶酔的で気持ち悪いと思われるレベルだろうけれど、現地カタールでは仲間内で毎日毎日飽きもせずこんな話をしていたし、自分に出来ることを最大限やろう。絶対に勝とう、全てを捧げよう。と本気で話していた。

ドイツ戦の前にやって勝てたゲンは全部担ごう。
・家から出る前はネパールから僕が買ってきたマニ車(チベット仏教の仏具)を回してお祈り
・試合当日朝はマサヤ君一家が作ったカレーを食べる
・毎朝韓国アイドルがやってる腹筋を全員でする
これは皆でやった。バカみたいだがやれることは全部やった。皆やってた。

個人的にもちょうど今ハマっているZornというラッパーの「かんおけ」という歌を聞いて気持ちをアゲた。
気持ちが高ぶっていてまさにスペイン戦の前の僕らの状況にピッタリだった。

  死ぬ前にどう生きてく
  死ぬ前にこう生きてる
  死ぬ前に放棄したら
  死ぬ前にもう死んでる

日本は勝てないなんて自虐的な意見を言うのがまともな人間だなんて思っていたけど、死ぬ前に放棄したら死ぬ前にもう死んでる。

みんなこれくらいの思いで戦っていた。そして勝った。みんな泣いてた。
試合終了後、ドイツ戦のとき同様、騒ぎたい外国人からの写真とろうぜの嵐(そのおかげで上記のサウジ人とも知り合えたのだが)がまた始まると思うとちょっとしんどいなと思い、僕はゴール裏中心地の騒ぎからちょっと離れたところに移動し一人佇んでいた。
全てを捧げてよかった。選手も全てを捧げてくれた。僕らも全てを捧げた。幸せな時間だった。

「こんないい試合観れてラッキー」
仕事の都合などでW杯を現地で1試合しか見れない人はみんなそう言う。
でもこれまで無数のつまらない試合を見たりサポートしてきた人だからこそ見れた試合であり、素晴らしいこの1試合を見ることができたのは、10や100のクソゲームを見てきたからだ。

サッカー観戦なんて基本苦痛だ。

そんな見えない苦労や苦悩を味わってきたこの人たち(カタールまで来たゴール裏の仲間たち)が報われて本当によかった。
そうゴール裏の騒ぎからちょっと離れたスタンド上段からそう感じていた。


<負けたら帰国>
ここからは負けたら帰国の決勝トーナメント。
ドーハ観光客の中心地的な存在のスークワキーフに集う各国サポーター達にも、この時期に残っているということは決勝トーナメントに残った国だということで、プライドのようなものも見えるようになってきた。これまでのワールドカップと違って1都市に32ヵ国が集まる今大会。
サポーター的にもこれまでの大会なら対戦相手のサポーターくらいしかその街にいない状況と違って、32ヵ国のサポーターが集まる異様な雰囲気だった。
それがここからはどんどん減っていくのである。
最後まで残りたい。それが3位決定戦であってもベスト4まで行きたい!最後までカタールを楽しみたい。そういう風に僕は思い始めていた。

普段セレッソの試合や日本代表戦でも僕はもうゴール裏で応援していない。昔そこでやっていたというだけで皆が僕のことを知っていてくれて、
仲良くしてくれて今回も一緒に生活までしてくれた。
ちょっとでも恩返ししたいと思ってロシアワールドカップぶりにゴール裏でしっかり応援していた。
でも実はスペイン戦のあとに体調を崩した。それもあってクロアチア戦はカテゴリー1のチケットを買っていた。
日本のベンチすぐ後ろ5列目。サブ組のアップは目の前。平愛梨も、たぶん選手の奥さんであろう超絶美女もすぐそばにいる。ピッチも近くてすごく見やすい。
そんな状況だったが、全てを捧げて勝ったドイツ戦、スペイン戦、そして勝てなかったが全力を出したコスタリカ戦のことを思うと、ここでこんないい席で黙ってみているわけにはいかなかった。
久しぶりに声をだして応援してサポートしたいなんて心から思わせられた。
そしてその結果、国際映像にバッチリ応援してる姿が映し出されたわけだ。笑


あのままカテゴリー1にいたら映ってなかったし、世界中の旧友たちと再び連絡をとることもなかった。。

そして日本は結局負けた。僕らもラウンド16でやっとスタートラインに立てただけで、ここからが本当の勝負だなんてことは言われなくてもわかっていた。選手はもっとだろう。でも負けた。サッカーてのはそんなもんだから。

僕らは日本に帰らなくてはいけなくなった。家族のように一緒に生活していたみんなと別れなくてはならなくなった。
負ける可能性なんて50%以上あったのに、あまりにも旅の終わりがあっけなくて、心の整理がつかなかった。
泊まっているアパートも翌日ではなく、翌々日まで延長し、さらに別のホテルにもう1泊した。
なんとなくもう少しいたかったのだ。

たかがサッカーが、ここまで自分のすべてを捧げて戦いたいと思わせてくれて、仲間との絆も作ってくれて、旧友と会話するきっかけもつくってくれた。
なんと素晴らしいのだろうか。
また4年後、今度は北米3ヵ国。
次も絶対に行きたいと思えたカタールW杯だった。
こんなに歳をとり、サッカーも見まくって経験を積んだ僕ですらこれほど心揺さぶられるのだから、本当にサッカーも旅も人生も楽しい。
一生忘れられない思い出になった。

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