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水原通訳の問題・大谷選手の問題

大谷選手の元通訳水原氏の裁判が始まっている。水原氏が大谷選手の口座から違法賭博で負けた掛け金を支払っていたというのも驚きだか、さらにその金額の巨大さに度肝を抜かれた。このことが表ざたになる前には、大谷・水原の二人は、息の合ったコンビで、二人でワンセットの運命共同体に見えた。ところが実際には水原氏は大谷選手を裏切り、自分の借金の穴埋めに大谷選手の口座から大金をくすねていた。

水原氏が違法賭博に手を染めたのは2021年の秋ころと報道されている。大谷選手と水原氏が渡米したのは2017年。それ以来ずっと一緒にタッグを組んできた。水原氏の実際の心理は分からないが、水原氏が違法賭博に手を染める前の3年間は、大谷選手はいざ知らず、水原氏は二人の関係を「大谷選手の米国での成功」を目的とした運命共同体と考えていたのではなかろうか。目的に向かって、水原氏は献身的は努力をしてきた。米国で大谷選手が新人王を獲得し彼の名声が高まるにつれて、水原氏の心が徐々に運命共同体から離れていったのではなかろうか。そして、水原氏は違法賭博に手を染めることになる。

日本の夫婦であれば、銀行口座の管理を含めて、忙しい夫の代わりに専業主婦の妻がすべてを取り仕切ることが珍しくない。夫婦は運命共同体であり、夫は信頼している妻にすべてを任せる。日本の夫婦のように、水原氏は通訳として米国における大谷選手選手のすべてに関与していた。水原氏が大谷選手との関係を一蓮托生の運命共同体と考えていれば、賭博になどに手を出さなかったように思える。

生まれつきの絶対的な悪人や善人もいるだろうが、彼らは例外だろう。普通の人は状況によって、善人にも悪人にも変わる。二人してマスコミに登場していると、大谷選手が主役なら、通訳としてスポットライトが当たる水原氏は準主役である。しかし、大谷選手は名声ばかりでなく巨額の報酬を受け取るが、準主役である水原氏が受取るものはあまりにもわずかである。無意識的であろうが、水原氏は、大谷選手との関係で自分が小さすぎる存在であると感じていたのであろう。目的がある程度達成されると、二人の関係は運命共同体にあらずと、水谷氏が考えるようになっても不思議ではない。そう考えた時、彼は自らの立場を利用して悪人になった。

違法賭博の問題が持ち上がるまで、大谷選手は二人の関係をどう考えていたのであろうか?大谷選手と水原氏が出演しているテレビのインタビュー番組で、司会者が大谷選手に二人の関係を聞いたことがある。大谷選手はいつもの笑顔でビジネスの関係と答えたが、水原氏が一瞬「え!」とした表情を見せたことがある。

優れた才能に恵まれ成功街道を驀進する大谷選手は、水原氏の心の陰や挫折を想像することができないほど、「ナイーブ」なのかもしれない。大谷選手が二人の関係をビジネスと考えているのなら、無防備にすべてを任せてはいけなかった。ビジネスならばお互いに利益が相反することも出てくる。大谷選手が水原氏を使っていると考えたのであれば、大谷選手は少なくとも最低限、水原氏の行動をチェクしなければならなかった。大谷選手は被害者であるが、しかし、日本人的には厳しい方だが、欧米人の視点からすると、水谷氏が悪人になった一因は大谷選手にあることになる。

我々日本人は、組織でも勝手に性善説に立って、人々をマネジメントしようとする傾向がある。組織でも、人々が善人でいるうちはいいが、いつ悪人になるかわからない。かつての日本的経営では。企業は運命共同体であった。経営者から一般社員まで、目標を共有し、欧米企業と比べて、社長と平社員の給与の差もあまりなかった。組織は性善説で運営されていた。昨今の日本企業では、大米ほどではないが、社長と平社員の給与の差がどんどん開いている。経営者の企業への貢献がはっきりしないのに、経営者が自分たちと比べてあまりに大きな報酬を受けていると感じると、経営者と社員の共同体意識は消滅する。

今、社員の「静かな退職」が話題になっている。「静かな退職」とは、辞職せずに最低限の仕事はこなすものの、熱意が低く会社への帰属意識も薄いという、社員の行動様式である。「静かな退職」の原因は共同体意識の希薄化にある。共同体意識形成の前提には、共通の目的と成果分配の公平性がある。共同体意識の希薄化は、経営者と社員で目的が共有されず、かつ、貢献度の低い経営者が過大な報酬を取ることに対する、社員のしらけの気持ちに起因する。「静かな退職」は、社員が悪人になる一歩手前の状況である。

「静かな退職」日本15% 熱意なき社員増、会社の対策は - 日本経済新聞 (nikkei.com)

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