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#176C|心に接続する

もうすぐnote365日連続投稿チャレンジを始めて半年が来る。あらためてこのnoteをどういう心構えで書いているかを確認する176日目。30分以内で書くチャレンジは8日目。


「連続記録」はただの結果だ

周りを見渡せばいくらでも「4桁ホルダー」がいらっしゃる。「連続投稿1000日突破」という言葉を見かけるのはあまりめずらしくない。

さすがに「10000日突破」はSSレアだと思うが、1000日台はわりと多い印象だ。

そしてそんな方々と比べれば、私なんぞ「たったの170日」。まあ幼児みたいな実績である。

実際に数字というのは「何日か」よりもその中身であり、「本人にとって」意味があるのなら1日であれ偉業なので、上記のような「数字が大きい」ことに対する単純な称賛はたまに口にすれど、実際それほど数字的実績に重きをおいてはいない。

(たとえば「1000日連続達成」というのはシンプルに「1000日達成」したことがすごいのであって、「だからその人はあらゆる面で(人間的に)自分よりも偉大なのだ」といった拡大…というかいびつな称賛は控えるように心がけている)

「連続記録」というのは、今日1日をしっかり行動した結果、振り返ると積み上がるものである方がラクで、初日から1000日を目指す、などと思っていると気が重い。

私も365日連続投稿、と最初から決めて書き続けているが、やっていることは「今日も書く」ことだけ。明日も書く、明後日も書く、と思うとやってられない。


定期的に訪れる「書くことがない」という現象

毎日書いていると言うと、よく書けるねと驚かれる。挫折した、という声も聞く。

「書くことがなくなる」
「書く意味がわからなくなる」
「書いていてネガティブな感情になる」

といったことが「途切れる理由」として多い。「いそがしくて」というのは、だいたいの場合に決定的な理由ではないように思う。


毎日のチャレンジを続けるために有効なこと2選

以前にも書いたが、毎日なにかをがんばる時に有効なことを2つ再掲すると

1つは、反故にできない場所や相手に行動を「宣言」すること。初期の段階ではこれが私をずっと支えていた。赤羽雄二さんに毎日書くと言ったからやるしかねえだろ、と。

1つは、仲間を作ること。同じことをやっている人と共に励む。今の時代はネットでいくらでも見つかる。よさそうな人に自分から挨拶し、「一緒にやろう」と話しかければいい。その時に「相手の」コンテンツに興味を持っていれば、悪く思う人はいない。


それでも苦しい時の考え方のポイント2つ

その上でもなお、定期的に「書くことがない」「なんで書いてるんだっけ」「書く意味あんのか」という考えや気分が訪れることが今もある。

そんな時にはどうしているか?


1つは、最初に書いたように「今日だけ」書くことに集中すること。毎日書き続けるとか、休まずに書くとかを考えずに、「とにかく今日だけ書いて、書き終わったら休む」とする。

「休む」といっても翌日も書くので一種のごまかしでもあるが、しかしそう思って書けば、書き終わったあとから明日書く時までは「休み」になるわけで、これがけっこう回復効果がある。

意識を1度「切る」という感覚。「毎日書く」という意識の雲みたいなものと自分の「接続コード」を切り離すという感じだ。


もう1つは、目的を思い出してそこに意識を接続すること。これが今の私にはもっとも強力。

目的自体に情熱がなくなるケースでは使えないが、しかしそのことに気づいたなら目的を刷新する時であり、方向転換のタイミングだ。以前に決めたからといって、すでにやる意味がないことを続ける必要はまったくない。

私のこのnoteの場合は「自分をさらけだす」が重要なキーワードなので、いつもそこに立ち返っている。


心に接続する

メディアによって運営される目的がある。

このnoteは「私自身」をさらけ出すことができるようになることなので、「書くことがない」と思っている時というのは、「頭」で何を書くかを考えている時だ。

頭で考えてしまえば、このnoteを書く意味なんてない。書く必要もない。完璧にただ無駄なのだ。

しかし、心に問えばそれはいつもある。私はここに自分をぶちまく。その日、その時に生きていて心が動いている、その衝動を対象として書く。とか言うと大げさだけど。

「心」を覗いて見れば、「何もない」なんてことはありえない。いつもそこにはナニカがある。それを取り出してnoteに載せるだけだ。

そこで頭が入ると台無しになる。意味や効果や利益や評価を気にして書けなくなるし、そういうことを気にして書くのは「上等な料理にハチミツをブチまけるがごとき」仕方だ。

田舎で育った天然物の採れたて野菜はそのままで美味いように、自分の心のピュアなものをそのまま出せばいい。が、頭が介入する癖がついていると、それがとても難しい。このnoteはそんな頭のモヤを取り払って、ピュアな心そのものを見る、受け入れる、そして他者にあらわにする、その訓練になっている。

と、なんか話の方向がおかしくなってきたけれど、「30分で書く」チャレンジ中で時間なのでここで終了。こんなふうに勝手にやりゃいいのはプライベートnoteの利点だ。


✑35分|2100文字

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