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67 横断

男は道路を横断している途中で忘れ物を思い出し、家に引き返そうとしたところ、いや、忘れずに持ってきたのだったと思い出してもう一度道を渡ろうとしたのだが、忘れず持ってきたというのは実は勘違いで、あれはただ忘れないようにしなければと出がけに頭の中で再確認しただけだったと確信をもって今また思い出し、再び来た道を引き返そうとしたが、今度は取りに戻るほどのものではないかという面倒な気持ちがわいてきて、そんなことより約束の時間に遅れないことの方が大事だとまた道を渡ろうとして、しかしあれがあれば間がもたなかったときに助かるかもしれないとつまらない考えが働き、やはり取りに帰ろうと思い直したところで、それよりもガスの元栓を締めたかどうかの方が気になりはじめ、いやいや、そういうことをいちいち気に病む自分から卒業しようとしているのではなかったかとこれをなんとか断ち切って再び道を渡ろうとしたが、やはりというかなんというか、そもそも人と会うのが憂うつで行かないで済むのであれば行きたくなかったし、だんだん玄関の鍵をかけたかどうかも怪しくなってきた上に、忘れ物のこともどうしても気がかりだからと来た道を惜しそうに振り返り、しかし遅刻してはならないという生真面目な義務感のようなものもあって、上半身で家に戻ろうとしながら下半身は自分の弱さに抗うように道を渡ろうとしたところ、突っ込んできた四トントラックに撥ね飛ばされた。

罪に問われたトラックの運転手は、殺意は認めようとしなかったものの、道の真ん中でダンスの練習なんかしてるやつが悪いんだ、ドヘタくそが、と証言し、法廷を大いに沸かせた。運転手は交通刑務所でバカを一人轢いてやったぜと自分の手柄をさんざん吹聴し、三年で出てきた。



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