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発達障害者(ASD)の障害者雇用5/恐怖の電話だぜ

前回、電話への苦手意識について少し触れましたが、少し詳しく書いてみたいと思います。

当時の私にとって、電話一本かけることがどれだけ大変だったか、苦痛だったかは、なかなか想像がつかないかもしれません。たとえば、私にとってなるべく電話がかけやすい状況とはどんなものかを整理してみると、こんな具合になります。

・周りに誰もいないこと(通話を聞かれると余計緊張するから)。
・車の走行音などが聞こえない静かな場所であること(雑音で相手の声が聞き取りにくくなるから)。
・事前にトイレを済ませていること(落ち着かないから)。
・通話中に気をまぎらわせるために歩き回れる場所があること(落ち着かないから)。

自室から電話をかけるときは、狭い六畳一間を円を描くようにぐるぐる歩き回りながら電話します。アブナイですか?

相手や用件にもよりますが、話す内容を分岐も込みで全部書き出すということも度々ありました。箇条書きのメモとかではなく、一語一句、それこそセリフを書くように書くわけです。

何度もためらった挙げ句、ようやく発信ボタンを押すも心臓はばくばくしっぱなし。予想した通りに話が進むこともなかなかなく、思っていた内容からずれたり、予期してなかった質問を投げかけられたりすると、うまく対応できず、しどろもどろになりします。

告白じゃあるまいしとツッコみたくなるかもしれませんが、実際それ並みのエネルギーがいるような感じで、電話を切ったあとにはどっと疲れる有り様です。そこへ追加オプションで、延々と一人反省会を開催するということもするわけですね。

ああ言えばよかったんじゃないか、言う順番を変えればよかった、かけたタイミングが悪かったんじゃないか、嫌われたんじゃないか、もう一度電話してこれも言っておいた方がいいのではないか――、などなど。

当然、相手からかかってくるパターンもあるわけですが、普段月に一度も鳴らないような私の携帯が不意に鳴ると(着信を受けると)、まぁとにかく慌てますし、ビビります。

そうすると、出なきゃ出なきゃという気持ちに急き立てられて、焦って応答してしまうわけですが、落ち着いた状況でかけ直した方がいいなどと客観的には考えられもしない状況です。コールされているうちに出ないと印象が悪いのではないかとか、とにかく急かされて、おたおたしてしまうわけです。

そうやって慌てて電話に出ながらも、上述したような、自分の望むような状況で電話できていないことへのやきもきした気持ちや、少しでもそういう状況に近付けなければという無駄な足掻きで頭の中がごちゃごちゃになり、相手の用件に対してうまく頭を働かせることもできません。考える余裕が一切ない感じです。

怒鳴り込んできた悪質クレーマーの相手をするバイト初日の学生とでもいうか、それくらいの余裕のなさと狼狽ぶりと言ったらいいでしょうか。急にかかってくる電話に対しては、だいたいいつもそんな感じでテンパってるうちに終わってしまいます。

これが用件が交渉ごとだったりすると困ったもので、こちらが終始おたおたしていると、とかく相手のいいように話をまとめられがちになってしまったりするわけです。自分の要求は一つも伝えられないまま、ただ相手の要求を呑むばかりになってしまう。あるいは、締め切りが一方的に縮められるとか、企画が不条理にポシャるというようなことがあっても、電話というシチュエーションそれ自体に圧倒されていて、文句の一つも言えません。

または、あらかじめ「いついつ電話します」という予定が入っているパターンもあります。

これはこれでつらくて、「何日に電話します」ではアバウトすぎるし、「何日の何時に電話します」といっても、そうそう予告通りの時間にかけてくる人もいません。

しかし、こちらは「何時って言ったじゃないか!」とただひたすらやきもきしながら待ったり、「言ってた時間までまだ5分もあるのにかけてるなんて!」と、突然の電話と大差ない狼狽ぶりを呈してしまったりすることになります。

電話を待ってる間は本当に何も手につかないというか、今トイレに行ったらかかってくるのではないかとか思って、ろくろくトイレにも行けません。

だからと言って、「何日に電話します」くらいのアバウトな約束の場合に、電話一本のために一日スタンバっているわけにもいかず、かといって頭の中では片時も電話のことが忘れられず、結果それが済むまで一日中緊張が解けないというようなことになります。

実際、電話の何がそんなに苦手なんでしょうか。

電話では言葉で相手とやり取りする以外にどうしようもないわけですが、そもそも話すこと自体が苦手だというのがまず大きいでしょう。臨機応変な受け答えがなかなかできないところへ、パニック発作による過呼吸と、それへの恐れが来るわけです。これは人に面と向かうようなこと全般――人から何か迫られたり、要求されたり、注目されたり――によって発動します(というパターンもあります)。もちろん、電話中も起こって、自分の話す番が来ると息がつまってあえぐようなことになります。

電話というのは、言葉以外に頼れるものがなくて、逃げ場がない感じがイヤなのです。だから、なるべく電話をしないで済ませようとすることにもなるわけですが、一方でこうした事情が「やたらと長文のメールを送りつける」みたいな厄介者加減に拍車をかけることにもつながります。電話に比べれば、メールははるかに気楽です。世間には、メールという手段が登場して助かった発達障害者も多いのではないでしょうか。

私はこれまで何度も仕事を変わってきましたが、求人を探すときに「電話応対あり」と書いてあったら問答無用でNGにしていました。これだけでも選択肢はかなり狭められることになりますが、発達障害者の障害者雇用において配慮を願いたい項目の上位にくるのがこの「電話応対」だったりもするようで、ある種典型的と言えるのでしょう。

それでも現在は、二十代の頃に比べて大分ましになりましたが(特にここ数年は子供のことであちこちにかけないといけない場面も多く、だいぶ慣れた)、それでもスマホは自分から使うとき以外は基本的に機内モードにしていたりします。しかし、現職場で他の方の仕事ぶりを見ていると、息を吸うように当たり前に電話をしているので本当に驚きます。






いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。