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スタンド・バイ・ミー

 来る来るいっていつも来ない台風が本当に来たある夏の終わりのことだった。村上から例のアレ予約取れたと連絡があって、おれたちは今日か今日今日今日これからマジでマジマジでもどうするなどとあたふたしたり、ためらうふりをしながら行かない手はなく、M駅で待ち合わせた。
 三両しかない単線はかろうじて動いていたが、乗客はおれの他に数人しかいなかった。別の路線を使っている村上は先に来ていて、改札を出たところで待っていた。駅舎から雨水がぼたぼた垂れ、ロータリー周辺の店の片付け忘れた幟がばたばたと風にあおられてうるさかった。
 おれたちはおうとか何とか挨拶もそこそこに歩きはじめた。指定されたのは、駅から徒歩七、八分くらいのところにある市の施設か何かだった。お城の裏手にあたる木々が鬱蒼と茂った一帯にぽつんと建っている、春頃に閉鎖された建物だ。繁華街とは反対方向になる。
 おれたちはぎりぎりまで駅舎伝いに歩き、隣にある広い駐車場を突っ切った。いつも八割がた埋まっているが今日に限ってはがらがらで、隅に置き去りにされた自転車がまとめて横倒しになり、バイクや原付まで風の力でがたがたと揺れていた。勢力のやたらでかい台風で直撃もいいところだった。
 おれの傘はほとんど一瞬でダメになった。家の最寄り駅までも強風で何度かめくれあがってはいたが、M駅に着くと雨風が一段と強さを増していた。一吹きで骨が何本も折れてしまい、おれは役に立たなくなった傘を駐車場の隅に投げ捨てた。村上みたいに合羽にすればよかったと後悔したが、そのスタイルは今回ばかりはダサいような気がしたのだ。
 何しろ、おしゃぶりちゃんの予約が取れたのだ。おしゃぶりちゃんというのは通称だが、してくれる行為が呼び名になったと言えば具体的に何をしてくれるかは伝わるだろう。彼女は地元の一部の男子高校生の間で知られている私立女子高の生徒で、おれは駅前のデパートで一度見かけたことがあった。ふわふわした長い髪に垂れ目でぷっくらした唇。あの口がと、数メートル離れた距離から見るだけフル勃起だった。台風だろうが何だろうが、絶対に行くしかなかった。
 おれと村上はこの先に待っているもののことを考えるのに手一杯で、ほとんど言葉を交わさなかった。洗面台であそこをよく洗って、パンツも新しいのをおろしてきたが、いざされているときにどうしたらいいかは少しばかり不安があった。立ってするのか、座ってするのか。声を出して反応した方がいいのか。されてる間、手はどこに置いておけばいいのか。腰に当てるのは偉そうか。おれと村上のどっちが先なのか。
 おれとしては、できれば先がよかった。その方が清潔な気がしたし、あとからだと比べられるということがあるからだ。形、サイズ、もち。みんな、どれくらいもつものなんだろう。早すぎと笑われたらどうすればいいのか。村上がどんなパンツを履いてきたのかだって気になった。そうやってあれこれ考えて全身に力が入りながらも、おれは家を出たときからずっと半勃ちだった。
 ふと見ると、道の反対側に合羽と傘を両方装備して、斜めに叩きつける大雨の中を前傾して進むスネ夫がいた。中学の同級生で進学校に行ったやつだ。会うのは卒業以来だった。スネ夫は親が幹線道路沿いで中古車センターを経営している小金持ちの一人息子で、庶民を見下している自慢好きでケチな嫌なやつだった。スネ夫というあだ名がまさにぴったりなのだが、本人はドラえもんなんて見たこともないスネ夫なんて知らないと何年も言い張っていた。
「スネ夫、何してんだよ!」
 スネ夫はちらりとこちらを見ておれたちに気づき、
「だからスネ夫って呼ぶなって言ってるだろ!」
 おれと村上は道路を渡ってスネ夫の側の歩道に行った。スネ夫がわずかに顔を上げた拍子に強風が傘を下からすくいあげ、やつの手をはじくようにしてそれを後ろに吹き飛ばした。
「あっ! お前らのせいだぞ!」
 おれと村上はざまあみろと笑った。続く風で今度はスネ夫のフードがめくれ上がると、やつのおでこが剥き出しになった。中学のときから薄毛なやつだったが、今や冗談にすることも憚られるほど生え際が後退していた。
「禿げてんじゃねーか!」
「禿げてない!」
 近くに来ても大声で話さないと雨風にかき消されるようだった。スネ夫のなんだよこっち来るなよとおれたちを遠ざけようとする態度が、やつもおしゃぶりちゃんの予約が取れたのだということをはっきりと物語っていた。おしゃぶりちゃんは一日三人限定で客を取っていると聞いていたが、おそらくこの台風でもともと決まっていた枠がすべてキャンセルになったのだ。
「お前もか!」
「お前もだな!」
「何が!」
 すっとボケたところで無駄だった。おれたちは台風の最中を同じ方向に向かって歩いていたし、同じように股間を膨らませていたからだ。おれたちは、今日を境にある意味兄弟になるのだ。この街に大勢いる顔を見たこともない義兄弟たちの一員になるのだ。
 緩い坂にさしかかって顔をあげると、木々の向こうに城の天守閣が見えた。城はまるで極小のぽこちんのように、こんもりした林の中から天に向かってちょこんと突き出ていた。そのとき、前方から一段と強い風がおれたちに襲いかかった。おれたちは息ができるように両腕で顔をカバーし、足を広げてその場で踏んばった。スネ夫の前髪が何十本も抜き取られ、鬼太郎の攻撃みたい針のようになって飛んでいった。城の足元に広がる林が、引き返すなら今のうちだぞと言うようにうなりをあげて揺れた。
 そんなことに怯むおれたちではなかったが、指定の場所に到着したときには嵐はいっそうひどくなっていた。風はあらゆるものを吹き飛ばすような勢いで吹き荒れ、枝葉はそれに合わせて狂ったように踊り、木の幹はみしみしと不吉な音を立てた。
 スネ夫が自慢の防水腕時計で確かめると時間はぴったりだったが、おしゃぶりちゃんはまだ来ていなかった。指定場所となったこじんまりとした建物は、林の中に取り残されたように建っており、そのいかにも見捨てられた様は、もしやこの台風の中まだ市内にとどまってるのはおれたち三人だけなのではないかと不安にさせるのに十分だった。
 看板を外され、入り口に板が打ちつけられたその外観は、いかにも廃墟じみて人を寄せつけない感じだった。まだ閉鎖される以前に何度か前を通りかかったことがあったが、何の施設なのかは知らなかった。念のため建物をぐるりと廻ってみたが、ドアはすべて錠がかかっていた。裏手に袋がすり切れた土嚢の山と、あとは朽ち果てるのを待つだけといったぼろいリヤカーがあるだけだった。
「ここだよな!」
「そう聞いたけど!」
 村上とスネ夫が確認し合う。場所に間違いはないらしい。おれたちは申し訳程度に屋根のついた正面入口のところで壁にへばりつくようにして待機したが、斜めに叩きつける雨を防ぐことは全然できなかった。まるで何かの拷問みたいに、重く冷たい雨が頬にびちびち当たった。
「なあ!」
 おれは風にかき消されないように声を張って村上を呼んだ。
「え!」
「なんでもない!」
 話すべきことはなかった。おれはズボンの尻ポケットに入れた財布の中の三千円を思った。ズボンの濡れ具合からすると、財布にも雨が染みてそうだったが、お札が無事かどうか確かめてみる気にはなれなかった。
 一律三千円。それがおしゃぶりちゃんのしてくれる行為に対する謝礼だった。それはたいしてバイトもできない高校生が一度に使える金額の上限としてまことに適切で、リピーターになる者が多いというのもうなずける話だった。一般的に見たら安い額かもしれないが、なぜその設定なのかはわからなかった。
 噂によれば、おしゃぶりちゃんの親が新興宗教をやっていて、これで得た金を寄付金として献上しているということだった。金を得る方法として教義の推奨するところなのか、あるいは妙な信仰のもとで生まれ育った彼女の倫理観がおかしくなっているのかは知る由もなかった。わかったところで何かできるわけでもなかったし、余計なことを考えずにただすることをしてもらえばいいだけなのかもしれなかった。
 しばらくの間、おれたちは取り込み忘れた洗濯物みたいにずぶ濡れで雨風にさらされていた。半勃ちの股間だけが、開封から半日経った使い捨てカイロみたいにかろうじて温かさを保っていた。台風直撃のこの状況におしゃぶりちゃんの気が変わって、永遠に待ちぼうけを食らわされるんじゃないかと疑問がわいてきた頃、ようやく彼女が現れた。おしゃぶりちゃんは合羽を着て自転車をこいで来たのだった。
「あんたたちがそう?」
 おれたちはばらばらに首を縦に振った。
「すっごい雨!」
 おしゃぶりちゃんは自転車を建物に立てかけると、あっと声をあげた。
「ないじゃん!」
「え!」
「ここにトイレあったのに!」
 おれたちはわけがわからないまま建物の周りを確かめるおしゃぶりちゃんを見ていた。彼女が現れたからといって雨風は少しも弱まらなかった。
 どうやら、数日前までこの場所に仮設トイレが置いてあったらしい。建築現場なんかでよく見かけるやつだ。おれは、ここに来る途中に何かを解体して更地にしたようなところがあったのを思い出した。もしかしたら、その工事のために置かれていたものかもしれない。仮設トイレでやるつもりだったのかと驚くというか不安に近い気持ちにもなったが、村上とスネ夫がどう思ったかはわからなかった。
「どうする?」
 どうするもこうするも、台風の中をここまで来てやらない手はなかった。誰もが早くはじめたいと思っていたが、具体的にどうするかはアイデアがなかった。スネ夫が別の公衆便所を提案したが、それは城の反対側にあってここからは遠く、すぐ脇にお城を含めたこの一帯の管理事務所みたいなものがあるから見つかるリスクが高かった。もしバレたら、おれたちは全員停学とかそういう仕打ちを受けることになるだろう。
「外でいい?」
 それがおしゃぶりちゃんの提案だった。彼女にしてもこのまま実入りなしに帰るわけにはいかないのだろう。おれたちはいいよなと顔を見合わせ、またばらばらと頷いた。最悪の状況だが、誰一人おかしいとは思わなかった。
「お金、先にちょーだい」
 おれたちはおとなしく決められた金額を払った。おしゃぶりちゃんは千円札が雨に濡れるのもまるで気にしなかった。おれはなぜか、自分が今ものすごく悪いことをしてるような気がして興奮さえした。
 間近で改めてよく見てみると、おしゃぶりちゃんはぷるぷるして半開きの唇が雨に濡れて、とんでもなくえろいことになっていた。彼女が何を喋ってもふぇらふぇらふぇらとしか聞こえなくなってしまうほどだった。おれはあそこをフル勃起させ、その勢いで先っぽがパンツの内側にこすれただけで体がびくっとなった。おしゃぶりちゃんにふっと息を吹きかけられただけでイッてしまうのではないかと思った。
「誰からにする?」
 おしゃぶりちゃんがお札を合羽の下のスカートのポケットにしまいながら言うと、おれたちはまた顔を見合わせた。三人ともすぐにじゃんけんで決めることに同意した。こんなに真剣にじゃんけんをしたのは、小学生のときに給食のあまりの揚げパンを巡って以来のことだった。おれは主に衛生面から一番最初がいいと思っていたが、どんな風にするものなのか確かめてからの方が安心できるからあとの方がいいという思いも強くなりつつあった。
 じっけんぽっ! あいこっしょ! しょ! しょ! しょ! うらー! だー! じっけんぽっ! っしゃ! うがー!
 公正な勝負の結果、スネ夫、村上、おれの順番に決まった。スネ夫と村上のぽこちんをくわえたあとにおれだった。
「お前らは指をくわえて待ってろよ」
 何でも優位に立ちたがるスネ夫がムカつく台詞を吐いたが、とっさには返す言葉を思いつかなかった。何か変な菌がつかないことを願うだけだった。
 スネ夫はおしゃぶりちゃんに連れられていき、おれと村上はいったん雨の中を取り残された。建物の角に消えるとき、スネ夫とおしゃぶりちゃんはそれぞれ見るなよ見ないでよと言ったが、見ないという選択肢はなかった。あと回しになったからには、あれが一体どうやるものなのかこの目で確かめないわけにはいかなかった。
 おれと村上は角からこっそり顔を出して様子を覗き込んだ。フードを軽く引き上げたおしゃぶりちゃんが地面に膝をつくようにしてしゃがみ込み、スネ夫は合羽の前を開けてモノを取り出そうともそもそ動いていた。おしゃぶりちゃんがもっと近くに立ってよと言うと、スネ夫ははいとか何とか言っておずおずと一歩前に出た。
 そのとき、すぐ近くの太い木の幹に何か不吉なものがとまっているのが視界の隅に見えた。
「おい」
「なんだよ」
 おれは村上に声をかけたが、村上は二人から視線をそらそうとしなかった。そこにいたのはスズメバチだった。樹液が染みだしているところに、でかいスズメバチがいたのだ。カナブンも二、三匹いたが、そちらはどうでもよかった。強烈すぎる黄色と黒のストライプ模様。スズメバチはおれがこの世でもっとも恐れる生き物の一つで、刺されたらただでは済まないのだ。最悪、死ぬことだってありえる。
「村上」
 おれは助けを求めるように肩を叩いたが、村上は取り合ってくれなかった。
「やばいぜ」
 村上がごくりと唾を飲み込むのが聞こえた。こっちはこっちで大変なことになっていた。おれたちがいた位置から見えるのはおしゃぶりちゃんの後頭部ばかりだったが、それは何か別の生き物のようにのたうっていた。スネ夫は蛇に体を半分飲まれた小鳥みたいに、半開きにした口を震わせて、そこからふへぇぇぇぇと消え入るような声を発していた。おしゃぶりちゃんの後頭部がうねったり、左右に振れたり、激しく前後したりするたびに、ぴちゃぴちゃいう音やじゅるじゅるいう音やずぱっずぱっと空気が漏れる音がした。こんな激しい嵐にもかかわらず、不思議とはっきり聞こえたのだ。
 おれはスズメバチがすぐそこにいるのにもかかわらず、何がどうなっているのか想像してあそこを最終変型させるみたいにパワー全開おっ勃たせた。スネ夫は、あ、ああ、あああああああ、と息を漏らし、今にもイキそうになっていた。やつの残り少ない前髪が雨に濡れて額に貼りつき、これ以上ないほど惨めったらしくなっていた。だが、おれもすぐに、同じように何もかも搾り取られるのだ。
「い、くっ、いっ、、、」
 そのとき、いきなり後ろから突風が吹きつけた。と同時に、何か大きな影がものすごい勢いでおれと村上の頭のすぐ上を飛んでいった。おれたちはとっさに首をすくめ、風に押されてよろけた。おれは建物に手をついてなんとか体を支えながら、その影がおしゃぶりちゃんの後頭部にまともにヒットするのを見た。ごっという鈍い音が響いた。
「いっ、、、くぎひゃっっっ!!!」
 スネ夫の喘ぎ声が悲鳴に変わり、おしゃぶりちゃんとともに地面に倒れ込んだ。
 何が起こったのかわからなかった。おれと村上はしばらくその場から一歩も動けなかった。スネ夫たちのそばの地面に木の枝が落ち、末端の枝葉が風にあおられて踊っていた。太くてやたらごつい枝だった。どうやら、強風でへし折れたその枝がおしゃぶりちゃんの後頭部に直撃したらしかった。
「おい」村上が言った。
「おいって」
「え?」
「まずいぞ」
 おれは我に返り、改めてスネ夫とおしゃぶりちゃんをよく見た。二人はぴくりとも動かず雨に打たれるままになっていた。慌てて駆けつけようとしたが、おれも村上も足にうまく力が入らず、二人して泥水の中に転んだ。おれたちは恐ろしい出来事を目撃してしまったのだ。震える足に力を込めて立ち上がり、よろよろ近づく。スネ夫は仰向きに倒れ、おしゃぶりちゃんはやつの股間に頭を埋めるような格好だった。おしゃぶりちゃんはぐったりしていたが、スネ夫は意識があった。
「いっ、た、いっ、たたた、いたたぁい、い、った、いた、いたぁぁいよぉ、いたぁいいいぃぃ」
 イッたのか、痛いのか、スネ夫は股間の辺りに何かを感じるようだった。おれと村上はそこを覗き込み、何が起きているのか見て取ると、恐ろしさのあまりお互いの体にしがみつきながらあとずさりした。
 スネ夫のぽこちんを咥え込んでいたおしゃぶりちゃんのかわいらしい口は、飛んできた枝が後頭部を強打した衝撃で思い切り閉じてしまっていた。つまり、歯でもろに噛んでしまっていたのだ。ぽこちんを。
 おしゃぶりちゃんは歯を食いしばるようにして意識を失っており、スネ夫は大きな雨粒が顔中に当たるせいか、それとも意識がもうろうとしているせいか、半分白眼を剥いた目をぴくぴくさせていた。おしゃぶりちゃんの口許から、というよりスネ夫のぽこちんの付け根から、大量の血が流れ出し、雨と混ざって地面に広がっていた。
 幸か不幸か、スネ夫は自分の身に何が起きたのかわかってないようだった。おれと村上は肝心な部分がどうなってるのかもっとよく確かめようと、おしゃぶりちゃんの顔を隠すように垂れかかった髪の毛をどけてみた。雨に濡れた髪の毛はずっしりとした重さがあった。うおっ。おれたちは思わず声をあげずにはいられなかった。おしゃぶりちゃんの歯が、スネ夫のぽこちんにトラバサミのように食い込んでいた。ぽこちんの肉が裂け、そこから血がどくどくと吹き出すのがはっきり見て取れた。おれの金玉は、悪ふざけのクラスメイトに後ろから鷲掴みされたときみたいに、きゅうと縮みあがった。村上のもそうなっていたと思う。
 おしゃぶりちゃんの頬を軽くぴたぴた叩いてみたが、彼女は目を閉じたままどんな反応も見せなかった。ただ、頬に触れた震動がぽこちんに伝わって、スネ夫がびくっとなるだけだった。おれたちはおしゃぶりちゃんの唇をめくり、歯と歯の隙間に指を突っ込んで、何とか口をこじ開けようとした。しかし、おしゃぶりちゃんは全力で食いしばった状態で気を失っていて、どうにもできなかった。村上が衝撃で顎がはまったのかもしれないと言った。
「た、ちけて」
 なんとかおれと村上が識別できるらしいスネ夫が掠れた声で言った。やつのぽこちんはどうしようもなくやばいことになっていたが、おしゃぶりちゃんと体が離れないところを見ると完全に千切れたわけではなさそうだった。すぐに病院に連れていけば何とかなるかもしれない。
 問題はおしゃぶりちゃんだった。彼女は、もしかしたら死んでいる可能性もあった。だらんと垂れた手足も、力なく閉じたまぶたも、いかにも死んでそうに見えたのだ。開かない口が、食いしばっていることが原因というならそれは命がある証拠と考えるだろうが、顎がはまっているなら死してなお口が開かないとしても不思議はなさそうだった。おれはおしゃぶりちゃんの胸に手を当てて心臓の鼓動を確かめた方がいいのではないかと思ったが、どさくさに紛れておっぱいに触ろうとしていると思われそうでやめておいた。
 ふと、村上と目が合った。奇妙な偶然で、やつも同じことを考えているのが目つきでわかった。おれたちは同じことを考えているのなら二人だけの秘密にしておっぱいを触ってもいいのではないかと視線をかわして相談し、無言のまま同意に至った。
 おれたちはおしゃぶりちゃんの体の下に手をさしいれて合羽の前をぷちぷち開けると、Tシャツの上から右の胸と左の胸を同時にむんずと掴んだ。そして、目を閉じ、厳かにひと揉み、ふた揉みした。合羽を着ていたとはいえ、服はそれなりに濡れていて、その湿り気具合がまた背徳感を誘った。生地の上からでも、他では知りえないやわらかいふくらみが十分すぎるほど感じ取れた。彼女が死んでいるかもしれない可能性を思って、それ以上することはためらわれた。おれたちは互いの顔を見合わせてゆっくり手を離し、今起きたことをなかったことにした。おしゃぶりちゃんはおっぱいはそれほど大きくはなかった。心臓の鼓動についてはよくわからなかった。
「た、たち、け、て。ちんちん、いたい」
 スネ夫がめそめそ泣きながら助けを求めた。おれたちは救急車を呼ぼうとしたが、この状況をどう説明したらいいかわからなかった。それに何か責任を問われるような気がして怖かった。だからといって、119番だけして姿をくらますのもまた、スネ夫やおしゃぶりちゃんに後々責められる気がしたし、一命をとりとめたスネ夫に訴えられるということも十分考えられた。
 携帯を持ってるのは村上だけだったが、やつは119番にかける決心がつかないようだった。おれたちはどうするどうすると無駄におたおたした挙げ句、閉鎖された建物の裏手にあったリヤカーのことを思い出した。スネ夫とおしゃぶりちゃんをそれに乗せて病院まで運んでいくのだ。駅の方へ少し戻ったところに大きい病院があることは知っていたし、救急車を呼ぶよりその方が早いようにも思えた。
 おれたちは慌てて奥からリヤカーを引っ張り出してきた。かなりぼろかったが、サイズは大きく二人を乗せるにはちょうどよかった。荷台はびしょ濡れで板が一部割れていたが、タイヤがパンクしてないだけましだった。
 なるべく衝撃を与えないように二人を動かすのは至難の技だった。うっかり引き離してしまうと、ぽこちんが完全に千切れてしまうからだ。そうなったら元も子もない。そうならないためには、高校生二人を一度に持ち上げ、かつ密着させたまま移動させなければならなかったが、おれと村上は力を合わせてそれを可能にした。それでも少しも衝撃を与えないなんてことはできなくて、スネ夫はひゃっ、ひゃっと何度か短い悲鳴をあげたりした。おしゃぶりちゃんは部室の床に何年も敷いてあるマットレスみたいにだらんとしたまま、何も反応しなかった。おれはどさくさに紛れておしゃぶりちゃんのおっぱいをもう一度揉み、お尻にも触ったが、口でしてもらえなくなったのだからこれくらいは許されるはずだった。三千円はもう払ってしまっていたのだ。
 おれと村上は協力してリヤカーで移動をはじめた。おれが前で引き、村上が後ろから押した。雨風はまさにピークにさしかかっていて、雨粒が体に当たってばつばつ音を立て、痛みを感じるほどだった。叩きつけるような風に木々はみしみしと軋り、いつまた折れた枝や何かが飛んでくるともしれない恐怖があった。雨具なしのおれは服を着たままプールに飛び込んだみたいに全身ずぶ濡れになっていた。
 閉鎖された施設の前を通る道は一応舗装されてはいるものの、木の根が露出しているところがあったりしてかなりでこぼこしていた。タイヤがはまって揺れるたびにスネ夫が荷台でひんひんいうので、おれは苛立ち、いっそ殴って気絶させてやろうかと思ったくらいだった。
「おい、待て!」
 きちんと舗装された平らな道路まであと少しという辺りで、村上が後ろから声をかけてきた。
「待てって!」
 なんだよとリヤカーを止めて振り返る。村上はどこか怯えた様子でそこそこそこを見てみろと言うように顎で荷台を指した。
「なに?」
 おれにはスネ夫とおしゃぶりちゃんのぐったりした姿しか目に入らなかった。村上が何も言わず顎で指すだけだったので、どうにかしてその何かを自分で探すしかなかった。
 あっ! まもなく、おれはおしゃぶりちゃんの濡れた髪の毛の上で動いているあるものを見つけた。雨で体温の下がった体にぞわっと鳥肌が立ち、何かいやなものが背筋を駆けあがってくるのを感じた。スズメバチ。さっき木の幹にいたやつに違いなかった。でかいとは思ったが、間近で見ると余計にでかく感じられた。もう、ネズミくらいでかい。
 おれも村上も何もできなかった。スズメバチはフードの陰に隠れながら濡れた髪の毛の上を歩き回り、おしゃぶりちゃんとスネ夫の接点となっている例の部分へ大股で近づいていった。スネ夫が半分寝ながら愚図る子どもみたいにひんひんいってるのに反応しているのか、それとも陰茎から流れ出ている血に反応しているのか、でなければスネ夫がおしゃぶりちゃんの口の中に放出した精子の臭いに反応しているのか、何もわからなかった。スネ夫はイクことにはイッたのだろうか。あれはどれくらいよかったのだろうか。
 スズメバチはおしゃぶりちゃんの髪から地肌におり、頬から唇を渡り歩いてスネ夫の股間に辿り着いた。スネ夫は自分のぽこちん周りで起きていることに何一つ気づいておらず、リヤカーの周りには悪い予感しかなかった。
「おい」
 おれは意識を失いつつあるスネ夫に声をかけようとしたが、声が掠れてうまく出なかったし、村上にもよせと首を振られた。何をしてもスズメバチを刺激してしまうようだった。おれは両手を力いっぱい握りしめて早く飛び去ってくれることを願ったが、スズメバチはまるでそこに何か宝でも埋まってるかのごとく、ぽこちんの付け根を嗅ぎ回った。おれと村上は手も足も出ないまま、じっと目で追うしかなかった。
 やがて、スズメバチはスネ夫の雨に濡れて縮みあがった剥き出しの金玉を見つけた。その途端だった。やつは、まるで天敵が突如目の前に現れたかのように急に敵意を剥き出しにし、毒々しいストライプの尻をくいっと丸めたかと思うと、その先端から針をにゅっと出した。おれは、針先が音もなく、深く、金玉に刺さるのをはっきり見た。
 ひっ。
 おれと村上は口をおさえて悲鳴を飲み込んだ。スネ夫は一歩遅れてぬひゃっと短い悲鳴をあげた。針を抜き取ったスズメバチは、まるで勝利宣言でもするかのように尻を宙に反り上げてぴくぴくさせると、台風などどこにも来てないかのように悠々と飛び去って行った。
 みるみるうちにスネ夫の金玉が腫れあがった。村上を見ると、やつの目は涙に潤んでいた。スネ夫の陰部を襲った続けざまの悲劇にこらえきれなくなったのだ。スネ夫のちんぽはもうだめだという重苦しい気持ちがおれたちを襲った。
「泣くな」
 そう言ったのは村上だった。自分で気がつかないうちに、おれも泣いていたのだ。おれはぐっしょり濡れた袖で涙をぬぐい、鼻をすすった。おれたちは二人で泣き、泣きながら笑った。何がおかしいのか、自分でもよくわからなかった。
「どちた? いたいよ?」
 スネ夫が何か異変を察知したようにふらふらと頭を持ち上げた。
「何でもない」
 村上は言ったが、スネ夫はきょろきょろしたあと下顎を引くようにして自分の股間に目をやった。見るなと言ったが無駄だった。やつの陰茎はおしゃぶりちゃんの口の中で千切れかけ、玉袋は水泳部の肺活量のすごいやつが全力で息を吹込んだみたいに膨れあがっていた。袋の表面には毛細血管が迷路みたいに浮きあがり、今にも破裂しそうだった。それを見て、金玉が破裂して辺り一面に精液が飛び散るという恐怖の想像をしないことは、ほとんど不可能といってよかった。
「あ、あ、あ」
 スネ夫は、まるでそうすれば爆発物から遠ざかれるというように肘を使って金玉から離れようとしたが、それはやつの金玉なのでやつとともに動くだけだった。そして、動きすぎると今度はぽこちんが危なかった。
「動くな」
 おれはスネ夫の肩を押さえつけて言った。
「や、やだ、いや、や、や」
 スネ夫は逃れたくても逃れられない現実に心の許容量が限界を超えてしまったのか、そのままふっと白目をむいて意識を失った。首の力ががくっと抜け、頭を荷台の角に打ちつけた。おれは人が気絶するところを初めて見たが、ぽこちんを噛み切られそうになった男を見るのも初めてなら、金玉をスズメバチに刺された男を見るのも初めてだった。初めて口でしてもらうのはお預けになったが、初めておっぱいを揉むことはできた。何もかも台風のせいだった。
「行こう」
 村上が涙を拭って言った。
 嵐の中、おれたちは泣くなあと少しだと励まし合いながら、リヤカーを引いて病院へ向かった。まともな舗装道路に出ると病院の建物はすぐそこに見えた。雨風は命の危険を感じさせる領域に達しており、通りには人も車もなかった。よく見る青いビニールシートがトップスピードの魔法の絨毯みたいに車道を飛んでいくのが見えた。雨よけに使われていたのが強風で剝がされたのだろう。
 おれたちは病院の正面に回り込んだ。そこまではよかったが、なかなか中に入ることができなかった。医者や看護師に何をどう説明すればいいのか分からなかったのだ。あるいは、引き止められて警察を呼ばれるのではないかという恐れもあった。おれも村上もリヤカーの二人に対しては何もしてなかったし、される予定だったこともされてなかったが、いざとなったらそんな言い訳は通用しないのではないかと思われた。おしゃぶりちゃんと約束していたあれは、犯罪に問われるのだろうか。金を渡していたら取引は済んでいると見なされてもおかしくなかった。おれたちは一刻も早くこの場から立ち去りたい気持ちになっていた。
 どうするどうするじゃねえよお前が行けよやだよと責任を押しつけ合っていると、自動ドアの向こうにおれの母親よりも年上らしい看護師が姿を現し、目を細めておれたちをいぶかしげに見やった。おれも村上もただやべえやべえと慌てるだけだった。眉間にしわを寄せた看護師が入口から出てこようとすると、おれたちはここですここに怪我人がいますおれたちは何も知りません向こうで倒れていたんですこいつらを助けてやってくださいとジェスチャーで示し、逃げろといってダッシュで逃げた。
 そのあと、どこでどうやって村上と別れたのか、どうやって家まで帰ってきたのかは記憶からすっぽり抜け落ちていた。覚えているのは、どこかで熱い風呂にどぼんと浸かったときの、そのたっぷりの水量のことくらいだった。あれほど気持ちのいい風呂はこれまで他になかった。十中八九、実家の風呂だろうが、それも定かではなかった。
 それが、初めてのフェラがお預けになったその夏の出来事だった。おしゃぶりちゃんが死んだのかどうか、スネ夫のぽこちんと金玉がどうなったのか、その後さっぱり耳にすることはなかった。おれたちは違う高校に通っていたのだ。おれと村上は何事もなかったかのように受験モードに突入すると、春には別々の大学に進学することが決まった。村上は関西のそこそこ偏差値の高い私立大学へ行き、おれは名前も聞いたことがなかった大学に通うため、家を出て東京で一人暮らしをはじめた。
 それから十数年後のことだ。正月に帰省したときにたまたま目にしたローカルニュース番組で、おれはスネ夫を見かけた。市が主宰するスポーツイベントに出席した市議会議員だかなんだかの周りで、あいつが太鼓持ちのようにうろうろしている姿がちらりと映ったのだ。頭にはカツラであることがばればれのカツラを被っていた。ぽこちんが元通りにくっついたのかどうかは映像からはわからなかった。わかるはずもなかった。
 その翌日、甥っ子を連れて初詣に行くと、偶然会った同級生から今度はおしゃぶりちゃんの噂を聞いた。彼女は生きていたのだ。おしゃぶりちゃんは今、地元で保育士をしており、園児たちからもその父親たちからもたいそう愛されているという。おれはあの日のびしょ濡れになった千円札三枚のことを思い出し、懐かしい気持ちになった。おしゃぶりちゃんが親から受け継いだ信仰心がどうなったかは、これもわかりようがなかった。二人のことを村上にも教えてやりたいと思ったが、あいつの連絡先はもうわからなかった。




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