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44 電信柱
男はかねてから興味のあった市民劇団に入った。
初めての舞台で与えられたのは電信柱の役だった。顔の部分を丸くくり貫いた筒状の衣装に身を包み、上演中じっと身動きしないでいるのだ。台詞はなかった。
初心者ながらも精一杯やると、みんなから褒められた。きみのように電信柱の役をうまくこなせるやつなんて他にいない。今まで見た中で最高の電信柱だ。
散々おだてられたあと、気がついてみると男は衣装を着たまま道端に立たされていた。
「さあ、これを持って」
演出家はそう言って男に架線を握らせた。
「それを高く掲げて。そう。そのまま動かない。きみは電信柱なんだから。これは最高の栄誉だぞ。何しろ演技でやっていたものが本物の仲間入りをするんだから」
男は電信柱として道に設置された。
一時間もしないうちに架線を掲げ持つ腕がぷるぷる震え出した。男は役をまっとうしなければという責任感から何とか持ちこたえた。
前と後ろには本物の電信柱が立っていた。少しでも気を緩めれば架線が地面についてしまう。そうなれば電信柱の名折れだ。そんな失態を演じるわけにはいかなかった。
役になりきるのだ。男は自分にそう言い聞かせた。腹が減っても尿意を催しても、電信柱がそんなものを感じるはずがないと一蹴した。
だが、どんなに気張ってみても時間とともに意識が朦朧としてきた。やがて幻覚や幻聴にも襲われはじめた。それでも自分の役を演じ切るのだと心は折れなかった。
立ったまま何度か失神しながら、なおも踏ん張っていると、あるときふいに一線を越えた。意識が完全に電信柱に同化したのだ。
男は今や電信柱だった。もう何も辛くなかった。意識しなくても体が自然に電信柱になるようになったのだ。
雨の日も風の日も、男は微動だにせずにただそこに立って架線を掲げ持った。
通りすがりの誰も、それが電信柱ではなく人だということに気がつかなかった。犬猫や鳥や虫たちさえ、それが本物の電信柱であるかのように振る舞った。
ときどき演出家が道を通りかかった。演出家はいつもガムをくちゃくちゃ噛みながら、男に目もくれずに通り過ぎていった。
男にその場所にいるよう命じた者の目にさえ、もはやただの電信柱としか映らなくなっていたのだ。男は役者の道こそ己の天職だと悟った。
ちょうどその頃、区議会で男が立っている道沿いの電信柱を地中化する計画が承認された。
計画は直ちに実行に移された。
何台もの工事車両がやってきた。作業員たちの誰一人としてそれが本物の電信柱ではないということに気がつかないまま、男は地中深くに埋められた。
いただいたサポートは子供の療育費に充てさせていただきます。あとチェス盤も欲しいので、余裕ができたらそれも買いたいです。