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「貧困の壁を越えたイノベーション」。湯浅誠がこども食堂にかかわる理由

地域の住民が子どもたちに食事を提供する「こども食堂」が急速に増えている。NPO法人「全国こども食堂支援センター・むすびえ」の調査(6月末発表)によると、全国に3718カ所。3年前の12倍という勢いだ。

「貧困問題の世界に起きたイノベーション。自分が越えられずにきた壁を越え、インフラになりつつある」。支援にかかわってきた社会活動家・湯浅誠さんは、そうたとえる。

30年前、路上生活者の支援を始めて以来、どう訴えても越えられずにきた、貧困を取り巻く「壁」。

それは人の思考の中にあるという。

この春、東京大学先端科学技術研究センターの人間支援工学分野に、特任教授として着任しました。テクノロジーを使って人間関係を支援していく分野と縁ができたので、10年ほど前に考えた道具を作れたらいいな、と思っています。

内閣府の生活実態調査を見ると、月1-2回しか友人や家族と話さない人が10%ほどいます。日常会話の有無はジェンダーによる差が大きくて、女性はお茶飲み話で盛り上る一方、男性、特におじいさんたちが盛り上がらない。だけど、外歩きに励むおじいさんは割といる。万歩計をつけ「きょうは1万歩超えた、超えなかった」と盛り上がっている。

万歩計をつけて歩くのが大好きなら、1日しゃべった言葉をカウントする「万語計」があったらどうなるだろう? 地域の交流サロンに出向かなかった人が「行ってしゃべってこようかな」とならないだろうか、と。

万語計は、地縁、血縁のつながりを失った社会の現状を描いたNHKスペシャル「無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~」(2010年)が放映されたころに思いついたアイデアです。当時は音声認識技術がそこまで発達してなかったので諦めましたが、いまなら実現できるかもしれない。

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歩数を稼ぐ機械があるように、チャットボットで会話を増やす方法があるかもしれない? なるほど、健康づくりのためだけならチャットボットとの会話でいいのかもしれない。

でもやっぱり、私は人に会ってほしいんですよね。

健康寿命を伸ばそうと、政府も自治体も健康づくりのプログラムを作っています。でも、どれも自分のためにがんばれる人を想定して作られている。自分でがんばれる人はそれでいい。でも、自分のためにがんばる気力はないけれど、誰かが自分を待っていてくれるから動く、という人は?

だから「こども食堂」みたいな場所が大事だと思っています。子どもがそこで待っているという思いが、さあ出かけなくちゃ、と背中を押してくれると思うから。

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6月末に「むすびえ」が公表しましたが、こども食堂はこの春の時点で3718か所。3年で12倍。昨年からの1年だけで1400カ所増えました。メディアで大きく取り上げられる時期は過ぎたにもかかわらず、過去最高の増加率です。

こども食堂って本当にイノベーションだなと思ってます。

「子ども」と「食」という言葉自体に、人々を惹きつける妙があるからでしょうが、この30年、貧困問題にかかわった私が越えられないでいた「壁」を、こども食堂はあっという間に越えられた。

ここでいう「壁」は、私たちの思考の中に存在しているものです。

一つ目は「貧しい子ってそんなにいるの」という「壁」。自分の周りにそういう境遇の子どもはいないと思う。「見えない」から当然です。だから日本の子どもの7人に1人が貧困状態、と説明されてもさっぱり実感がわかない。

そういう人たちが考える「貧しい子ども」のイメージって、「道端に寝ている子ども」です。そのくらいディープな光景を思い浮かべるから「自分にできることなど何もない」と考える。

そんな深刻な家庭に入っていって、複雑な家族関係を調整するなんて「難しすぎてとてもじゃないけど私は無理」という二つ目の「壁」がここでできる。なので、福祉の専門職や自治体職員など「やるのが仕事になっている人」以外になかなか広がっていかない。

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貧困は、日常のかかわりあいの中でふとした拍子に「発見」されることが多いです。

たとえば、子ども会の活動でワイワイ集まっていたら、出されたコロッケを見たことも食べたこともないという子がいると気づく。

コロッケを見たことも食べたこともない子は、ボロボロの服を着ているわけでもないし、道端で寝ているわけでもない。だから表面上はさっぱり分からない。でもそういう時に気づくんですね。ああ、周りにいないと思っていたけど、いたんだなって。「じゃあ、この子に次はメンチカツでも食わせてみるか」と始めるんです。

「次はメンチカツでも」と思った人が、もしその子と何もかかわってない時に「あなたの住む地域にコロッケを見たことも食べたこともない子がいるんですが、何かできることはありますか?」と聞かれたら、たぶんこう答えるでしょう。

「難しすぎてそんなことにかかわれない。そういうのは役所の人がしっかりかかわってほしい」

だけどかかわった後に気づけば、抜き差しならなくなってかかわり続けるんです。そうやってすそ野を爆発的に広げていったんですよ、こども食堂は。

この国の空気が、ちょうど「揺り戻し」の時期に入っていたことも大きかったと思います。高度成長期以来「しがらみは面倒だ」とつながりを捨てて便利さを追い求めてきた。ネットショップでボタンをポチッとクリックすれば欲しいものが買えて、一人暮らしでも困らない。どんなにユートピアだろうと思い描いていた暮らしが実現してみると、そんなユートピアでもないと分かってしまった。

そこに東日本大震災をはじめとした各地の災害がボディーブローのように響き、「1人の気楽さ」より「1人の寂しさ」、「2人の面倒くささ」より「2人の楽しさ」に、ちょっと重心が移ってきた。

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こども食堂を広げる活動に加わったのは、2016年春、東京・池袋でこども食堂をしていた栗林知絵子さんに相談されたのがきっかけです。

実行委員会をつくり、彼女たちと3年かけて全都道府県を回って、こども食堂の必要性を伝えました。私は半分くらいの自治体で基調講演をしたかな。

どこに行ってもやりたい人はいた。ただ、地元で言い出せない雰囲気が根強くある地域もあった。だから知事に応援団として出てきてもらった県もあります。知事が応援する姿勢を見せれば、こども食堂を遠巻きに、それもなんとなく歓迎しない感じで見ていた人たちも動き出すようになるから。

将来は小学校区に1つ、くらいのインフラになればと思っています。だからいずれ、3700カ所のこども食堂の住所を国土地理院のデータベースに落とし込み、小学校区別の「こども食堂ゼロ地域」を特定する調査に取り組みたい。そのデータで自治体と議論できたらと考えています。

インフラになるというのはたとえば「交通安全の見守り」並みの日常風景になることです。登下校中に子どもたちを見守る地域の人、何かあったらうちに駆け込んできたら110番してあげる、というプレートが玄関口や店口に貼られている風景、よく見かけますね。

インフラになるとやれる人がやる、が当たり前になる。「あなた、すごいことをしてますね」なんて言われなくなる。交通安全の見守りで、子どもの見守りは親の責任だろ、他人が手を出すな、みたいなことは、もはや誰も言わないでしょう。インフラになるということは、そのくらい日常のレベルになるということです。

その点、こども食堂はまだ「すごいことやっていますね」という特別扱いの段階にとどまっています。「やって意味あるのか」「他人がそういうことに口出ししていいのか」「親の責任はどうする」と、反発や批判も受ける存在でもあります。

こども食堂が「特別」で、交通安全の見守りが「日常」と仕分けられていることに、合理的な理由はありません。人々の頭の中で、こっちは日常、あっちは特別、と仕分けているだけです。

だから、子ども食堂はまだ「親の責任どうなる」と言い出す人がいるけれど、「日常」の世界にいったん入ってしまえば、親の責任とは言い出さなくなる。

なぜ人は、そういう風に仕分けるのか? それはまあ...人ってそういうもんですよ。

生活保護を受けることへの批判にも、その仕分け方のせいでさんざん苦労してきました。生活保護の人たちはパチンコ行くな、酒飲むな、と言われてきました。その理由は「税金だから」。年金も、半分は税金から出ていますよね。でも、年金生活者はパチンコや酒を飲んでも何も言われない。むしろ、ささやかな楽しみはあっていいよね、という感じです。

そこに、合理性はないわけです。でも多くの人の頭の中では、なぜか明確に分かれています。年金は「自分の金」、生活保護は「ひと様の金」。

それはもう、そういうもんなんですよ。

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そういう状態を何とかしようといろいろ発信したこともあります。こども食堂に対して、子どもに飯を食べさせない親の責任はどうなるんだという指摘に、「いや、それは」と自分が答えようとした。だけど私がどうこう言って何か変わるわけではないことは、もう十分骨身にしみてます。

自分の言っていることが響いているように感じるのは、そういう狭いコミュニティの中に自分がいるだけ、ということが少なくない。でも貧困問題は、もう狭いコミュニティで全体を引っ張っていく時期ではありません。もっと「ふつう」の、「貧困の子って、そんなにいるのか」と感じている人たちに、リーチしていかないと。それには「工夫」がいります。

だからいまは、以前のような姿勢はとりません。

これがインフラとして社会に定着すれば、言われなくなる。だからインフラづくりを先行させた方がいい。別の方向から雰囲気を醸成していくのがいい。

そういえば今日、茶話会に呼ばれてきました。参加者のお母さんが、我が家には子どもの友だちが毎日来ているんだけど、ある日12人も来ちゃったことがある、と。そのときプリンをボールいっぱい作ってあげたら、あっという間になくなっちゃったんだそうです。

それってこども食堂じゃないですか、と言ったんですけどね。

取材・文:錦光山雅子 写真:西田香織 編集:川崎絵美

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1969年東京都生まれ。90年代からホームレス支援にかかわり、2009年から足かけ3年間、内閣府参与。法政大を経て現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授。NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。著書・共著に「子どもが増えた! 人口増・税収増の自治体経営」「反貧困」など。

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