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ウクライナ渡航記⓪ なぜキーウへ行くのか

10日ほど前から、ウクライナのキーウを訪れている。昨年、ミャンマーにて拘束された経験を持ち、現在は「Docu Athan (ドキュ・アッタン)」でミャンマーのジャーナリズム支援の活動に取り組んでいる自分が、なぜウクライナに行くことになったのか。

◇ウクライナ渡航の目的

訪れるのは、ウクライナのキーウをベースに活動するNGO「Gurtum(クルトン)」。彼らのメインプロジェクトは、ホストメリという街で学校を建て直すこと。ホストメリは2022年2月にキーウの制圧を目指して進軍してきたロシア兵によって壊滅的な被害を受けた。

ホストメリの破壊された建物 撮影:久保田徹

破壊された街の中で、学校を建設しているウクライナの人々についての映像を撮ることが第一の目的である。

第二に、日本人のアーティストが現地を訪れ、学校の再建を祝福するセレモニーを撮影する。一年半もの時間をかけ、クルトンの人々は学校の再建をほとんどDIYで取り組んできた。そして、2023年9月1日に学校は再開する。その記念すべき開校式に、日本の料理人であるソウダルアと華道家の荻原亮大が、彼らとの連帯を示すためにセレモニーを開催することになっている。彼らは帰国後も、現地の状況を伝えるために食と華を通じて活動を行う予定だ。

◇きっかけ

ことの発端は、2021年の6月頃。ソウダルアさんから久しぶりに連絡が来た。ウクライナの難民のために、食を通じた活動をしたい。そしてその活動を映像にして欲しいとのことだった。その時点では、ウクライナへ行くのか、あるいは隣国のポーランドなどで活動を行うのか、決まっていなかった。

ルアさんは、彼が現地にどうしてもいかなくてはならない理由について話しました。その背景には、彼自身が被災した経験があった。阪神淡路大震災のとき、ルアさんは14歳だった。

「俺が被災したとき、ただカロリーとしての食料だけじゃ生きていけないって思ったんだ。美味いものをみんなで食べるっていう経験がないと、人は生きられないって。」

◇ソウダルアの震災体験

ルアさんがいたのは、1995年2月の兵庫だった。あたりは一面瓦礫だらけで、目の前で人が亡くなるのも見たという。

「学校の体育館での避難生活が始まって、缶詰みたいなもんばっかりを食べて暮らした。寒いし、そんなところでパサパサの乾パンを食べてると心が荒んできて、生きてるって感じがしなかったんだよね。もしかしたら、今ウクライナにいる人たちもそういう気持ちなんじゃないかなって」

ルアさんは瓦礫を撤去して必死に救助にあたっていたが、目の前で人が亡くなるのも目にした。精神が極限状況の中、ルアさんは家族3人で集まってカセットコンロで鍋料理を食べた記憶が忘れられない。そのとき、温かくておいしいものを大切な誰かと食べるということが、こんなにも生きる上での救いになるんだな、と身に染みたと語った。

ルアさんの話を聞いて、「パンと薔薇」というフレーズが頭に浮かんだ。イギリスの労働者たちのスローガンで、人はパンだけでは生きられない、薔薇が必要なのだ、と訴えたことに由来する。薔薇とは美味しい食事だったり、音楽だったり、文化そのものだったりするだろう。あるいは、人間の尊厳と言っていいかもしれない。

実際、被災者の実態を調べた調査によると、家族を失った人が仮設住宅でひとり暮らしを始めた直後というのが一番自殺が増えたというデータもある。

被災や戦争の被害など、極限状況を経験した人々のその後の人生において、人とのつながりが、生死すら左右することもある。そういう意味では、日本人のアーティストたちが、ウクライナを訪れて現地の人々との連帯を示すということの意味は限りなく大きい。また、それを記録する映像の役割は非常に重要であると考えた。

当時、僕その翌月からミャンマーへ行く準備をしているところだったので、帰国後にまたその話をしましょう、と彼に告げた。その後、僕はミャンマーで撮影中に軍によって拘束され、帰国するのはしばし後になった。

◇拘束から帰還して

結局、僕が帰国したのは、ミャンマーで111日間の拘束を経た後、2022年の11月18日だった。ルアさんは、僕が拘束されている間にクラウドファンディングを立ち上げたり、在日のウクライナ人と一緒に料理をするといった活動を立ち上げていた。

ルアさんの友人である華道家の荻原亮大さんが、クルトンの人々との繋がりを作っていた。亮大さんはすでに一度ウクライナに渡航し、クルトンの人々の活動を目の当たりにしていた。ソウダルアと萩原亮大に加え、ソウダミオ、徳永雄太(ARCHI HATCH)が参加し、Flower and Spoonプロジェクトが開始されることになった。

ルアさんは、改めて僕に言った。「久保田くんに撮影してもらいたいし、久保田くんにしか撮れないと思っている」

◇映像を撮ることの思考順序

映像を作るときに、何が主体にあるのかを考える。いわゆる主人公とは別に、主体がある。それは集合的な記憶であったり、ときには微生物だったりする。

今回の映像の主体となるのは、間違いなくウクライナで生きる人々である。学校を作っている人々は、未来に何を残そうとしているのか。

◇学校再建の中心人物 サシャ

クルトンの学校再建プロジェクトの中心人物であるサシャとオンラインで話をした。
「ボランティアの人数はまちまちで、大体2-3人くらいかな。毎日働いている酔狂なやつは俺くらいなんだ」

サシャは40歳手前くらいの髭を生やした温厚そうな男性で、どことなく僧侶のような雰囲気を放っていた。

Gurtum(クルトン)の中心人物であるサシャ 団体のSNSより

照りつける日光の下で、数名の男たちが上半身裸でセメントをかついだり、トラクターを運転したりしている写真を送ってきた。全てがDIYのような様子だった。彼らは毎日休むことなく自らの身体を持って街を取り戻そうとしている。

サシャは武器を取って戦うのではなく、学校や病院の建物を作るという選択をした。その選択の背景には何があるのか。

戦争という大きな物語からは、こぼれ落ちるような人々の姿があるはずだ。それがどのようなものになるかは、行ってみなくてはわからない。ソウダルアさんや萩原亮大さんが訪れるよりも前に、クルトンの人々の姿をしっかりと記録するべきだと考えた。

そして、他のメンバーより2週間ほど前からウクライナに入国し、彼らが学校を修復している様子を撮影を開始することにした。

サシャは僕を家に泊めてくれると言ってくれた。サシャたちとしばらく時間をともにして、彼らが本当に残そうとしていることを掴もうと考えた。

◇危機管理

首都キーウの安全状況についてリサーチを進めていたところで、ロシアの民間軍事会社のワグネルが反乱を起こした。プリゴジンとワグネル隊員たちがベラルーシへ行ったという情報だ。戦線は東部と南部に集中していたが、北側の情勢が不安になった。(つい先日、プリゴジンが死亡したという報道が出た)

何が起きるかわからない情勢。一つ一つのニュースが自分が行く場所の状況に影響するという実感を得た。

渡航する前は警戒心を強く持っているが、現地に行くと慣れというものが生じる。僕が前回ミャンマーで拘束されたときも、自分で事前に決めたルールを守らなかったことが大きな原因であった。「極力複数人で行動する/ 現地の人の指示に従う/今回はキーウ近郊から外へ行かない/日本のチームに状況を毎日報告する」などのルールを守り、リスク評価を常に行うことを決めた。

◇なぜウクライナへ行くのか

ドキュメンタリーを作るには、ニュースレポートとして発信するよりも、長期的な目線で事象を見つめなければならない。(とはいえ、映される側に流れる時間軸と比べれば、一瞬の通過点であることに関しては同じである)

ドキュメンタリーを撮る場合、「なぜ自分がやるのか」という内的な動機づけが必要となる。

今回のように、旧知の友人から「撮ってほしい」と言われた場合、その動機づけは必然的に発生する。そういったケースでは、自分の意思とは全く別の作用から現場へ導かれるとしか説明ができない。あえて危険なところへ行くことを目的としているわけではない。それをやるということが最も自然な行為である以上、やるしかないのである。

ウクライナは戦争の当事国だ。首都キーウは直接の戦闘が起きている地域ではないとはいえ、ミサイル攻撃のリスクは常にある。リスク管理を徹底し、細心の注意を払って行動しようと思う。

私たちのプロジェクトについては、以下をご覧ください。https://www.instagram.com/flowerandspoon_jp

「Gurtum(クルトン)」の活動の様子は、以下のインスタグラムから見ることができる。https://www.instagram.com/gurtum.cf


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