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フリー1年目でナショナルジオグラフィック表紙を撮ったフォトグラファーがどうやって写真を職業にしたか。(自己紹介〜前編〜)

 どうも、晴れ男☀️花井亨Toru Hanai(@toruhanai)です。

 プロ24年目でフリーランスになった、その一年目で運良くナショナルジオグラフィック(トラベラーフランス版東北特集号2020年1月発売)の表紙を撮影できた、私がどうやって写真を職業にする事が出来たのでしょうか?そうです、今回は私が一体何者なのか、自己紹介(前編)です。

「Santa Fe」を見て

 1973年東京生まれ。第二次ベビーブーマーの一番人数の多い学年、そう「イチロー世代」です。
写真を志したのは忘れもしない、都立高校3年生の11月。クラスメートが教室に持ってきた写真集「Santa Fe」を見た時です。同い年の宮沢りえさんのお姿に私を含めた男子全員が悶絶しました。興奮冷めやらぬ私は、巻末の撮影写真家のプロフィールを見て、「日本大学芸術学部写真学科」を目指そうと決意したのです。その3ヶ月後の試験に運良く合格。(当時、日芸入試は英語と国語の1次試験と小論文、面接の2次試験でした)

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(センターで撮影していたフォトグラファーの方に邪魔でしたと怒られた赤いベストの私) 

エリオット・アーウィットに憧れて

 日芸では単位ギリギリのフツーの劣等生でした。のちに読売写真部に入る同級生のノートを閲覧させていただき、あまり写真は撮っていませんでした。なので写真学科出身と言っても、学生時代の思い出は写真以外ばかりです。それでも当時はノーマン・ロックウェルのイラストとエリオット・アーウィットの写真が好きでよく見ていました。
 三越で催されていたアーウィット写真展でご本人にサインをもらったのをキッカケに、この人みたいになりたい!と思い、また巻末プロフィールをチェック。アーウィットが報道写真からキャリアをスタートしている事を見て、「就職は報道機関」を目指しました。(それまでは報道写真には全く興味がなく、ゼミもアート系のゼミでした。)

とうとう最後の新聞社だけに

 イチロー世代は人数が多いので、受験戦争→就職超氷河期と何かと競争の激しい世代です。しかも当時はマスコミは一番人気の超難関の就職先。周りは20社~30社と面接を受けていても、私はどうしても本当に行きたいと思える会社しか受けず、運良く2次、3次試験に行ってもやはり撃沈。とうとう最後の新聞社だけになってしまいました。


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2度の実技試験は 

 東京スポーツ新聞社のカメラマン採用試験は筆記&面接試験の他に「実技試験」もありました。最初の実技は有明テニスの森で「スポーツ写真」の試験。最終面接手前の2度目の実技試験はフィルム(フジフィルムスーパーHG400の36枚撮りでした。)を一本渡されて、

テーマは「女」。撮影の際には試験で撮影していると説明をする。そして、締め切り時間までに本社に持ち上がる。新聞社なので締め切りは必ず守るように。

 撮影時間がどのくらいあったのか覚えてませんが、2〜3時間だったか、迷っている暇はないと銀座に向かいました。撮りに行く前に受けたアドバイスでは、

フィルムは36枚撮り1本なので、コマの残数を考えるように。
そして、本社に戻るまでにフィルムを撮り尽くさないように。
帰社の途中で何かが起きたらどうする?戦場で弾切れ起こす兵士がいるか?

というものでした。

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  私が考える報道写真は、語弊があるかもしれませんが、「大喜利」のような当意即妙な表現が必要であると思います。写真はフォトグラファーの意思で時間を止め、数あるフレームの中からニュースの核心をつく1枚(数枚)を選びます。心の機微がその静止画にあふれんばかりに表れたら、すごく心に残る写真になると思います。

「銀座にいる受付の女性」を撮影しました

 私は最終実技試験の36コマに出来るだけの、「銀座にいる受付の女性」を撮影しました。もちろん全ての方に、新聞社の実技試験であることを伝えて撮影しました。三越、日産ショールームの ミス・フェアレディ、築地の電通本社の受付にも行きました。銀座4丁目交番の婦警さんも快く撮影に応じてくれました。今ではちょっと考えられませんが、25年前は街でカメラを持っている人は今よりは珍しく、しかもリクルートスーツ、必死にお願いすれば、ほとんどの人は撮影に応じてくれました。大学生の私は撮るたびにテンションが上がっていったのをよく覚えています。

新聞社のフォトグラファーになることができました

 最終面接では私が撮った36コマがベタ焼き(新聞社ではコンタクトシートをこう呼びます)にされ、社長、役員の方々に配られていました。面接はそれをもとに行われ、緊張はしましたが、自分が一生懸命にしたことなので、言葉に詰まることはありませんでした。そうして私は新聞社のフォトグラファーになることができました。

 後編に続く



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