何を書くか迷った末にこうな風に書きましたよ

何を書くか迷った末にこうな風に書きましたよ

最近の記事

タイトル

しばらく書いていなかった、文章を。 私はたびたび、文章を書くことに挑戦してきた。 過去の記事なんかもそのひとつで、詩や日記を書いて自分を投影したり何者かになったかのように言葉を並べた。 元々言葉を扱うのは苦手だった。 語彙に乏しく、適切な言葉を探すのに時間がかかるからだ。言葉の間違いを指摘されるのがたまらなく恥ずかしく、普段使わない言葉を使おうとして意味を調べて、例文を見てから書いてみる。身の丈に合わないと思って消す。そんなことばっかりしている。 そもそも、自分の感情を正

    • 片付けは難しい

      部屋は心の状態を表すって聞いた。 らしいよ。 僕の部屋は、「まだ使うかも」で溢れてる。 ほとんど着ていない洋服、壊れてしまったヘッドホン、お洒落な空瓶、頭がどこかへ行ったロボット、人にもらった手紙、、 幾度となく、捨てようとしたことはある。 手にとって、迷いに迷ってしまい直す。 もはや手にすら取らない物もある。 ゴミとすら認識できてないんだろうな。 薄々勘づいてはいるんだよ。 物すら捨てられないんだよ? そんなにすぐ捨ててたまるかっつーの。 持って行かれたくないぜ

      • 正義のヒーロー

        子供の頃、正義のヒーローに憧れた人は少なくないだろう。 絶対的な悪を目の前に、圧倒的な正義でもって戦う。 その爽快さに、誰もが一度は高揚したことだろう。 あの時、悪は悪で正義は正義だった。 正義のヒーローが振るう鉄拳は常に正義だった。 今は違うんだよなぁ。 悪を成敗するのが正義とは限らない。 悪が悪であるとも限らない。 ニュースで犯罪のニュースが流れてくるたびに、 僕はその背景を考えてしまう。 もちろん、被害者の方は気の毒だ。 しかし、加害者側をそうさせてしまった

        • もしも叶うなら

          もしも叶うなら、もっとカッコよくなりたい。 毎年新しい服を買って、いい靴を履いて風を切って歩きたい。 もしも叶うなら、お金持ちになりたい。 庭付き一戸建てで好きな絵を飾ったり、ブルーベリーを育てたりしたい。 もしも叶うなら、今まで感謝できなかった人に感謝したい。 嫌いな人も好きになれるように、いいところばかり見つけたい。 もしも叶うなら、毎日を楽しみにしたい。 雨が降っていても、傘の音を楽しめるように。 もしも叶うなら、あの子とまた手を繋いで歩きたい。 美味しいご飯を

        タイトル

          どうしたもんか

          幼い頃から、人にモノを伝えられなかった。 自分の心の奥の底。 深くにある"何か"を口にしようとする時 言葉ではなく涙が出てしまうのだ 今もそれは変わらず 何も。 いざ他人に自分の気持ちを伝えなければいけない時、 言葉にできない。 結局のところ僕は、感情が無かったのではなく、 人の感情が分からなかったのである。 他人の、ではなく、人の。 note書いてる時は、自分ってこんな事考えてたのかぁ!ってなる いいことだね! 他人の気持ちもいまいち分からないんだよなぁ。

          どうしたもんか

          女の子

          あのさ、女の子の隣とか座りたいよね。 別に話すわけじゃなくても。 心持ちが良くなるよね。 いい匂いするし。 落ち着く。 纏う空気が柔らかいよね。 ふわふわ。 温もりがある。 でもさ、汗かいてる時とか根暗らしい見た目をしてる時は避けるよね。 嫌われたくないもん。 別に好きじゃないんだけど。 僕の隣じゃないところに女の子が座ると悲しくなるよね。 神に見放された気分になるよね。 授業とか研修で、女の子の隣になれないとそういう星の元に生まれたんだって思うよね。 ペアワークと

          女の子

          それでも感謝。

          今日の話。 「透はやりたいこといっぱいやらせてもらってるんだから感謝しなさい。」 ん〜 なんだろうなぁ それが子供にとってプレッシャーとなっていることを考えていない。 そもそも、やりたいことやらせてもらった記憶はない。 ほとんどないのだ。 親にやらされたことを結果的にやりたいことだったように感じていることはあるが。 例えば、高校に進学するとき、 成績の悪かった僕は、「高校で勉強しないなら働け」と言われていた。 しかしこれは、どう考えても脅し文句。 良い大学に行っ

          それでも感謝。

          どんぐりも背比べ

          ついつい、カッコつけてしまう。 それがカッコよかったら良いんだけどなぁ。 無機質で冷たい感じになる。 だからできるだけ等身大。 たまに背伸びするくらいがいい。

          どんぐりも背比べ

          「考える」をしよう。

          文章というものを書くのが久しぶりすぎる。 僕は普段、ラジオで内容のない配信をしたり、人の配信でクソリプならぬクソコメを飛ばしまくっている。 その反省はいつかするとして、noteのアカウントを作ったのはそこで繋がった偉大な配信者の勧めによるもの。 昔は日記やらブログやら書いていたのに、最近はまったく。 文章も書かなければ、本も読まない。 そんな僕が、薄っぺらな語彙と内容で書く文章に価値があるかは置いといて、 せっかく誘われたのだから、これを一つのきっかけとして文章を綴って

          「考える」をしよう。