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タイトル

しばらく書いていなかった、文章を。
私はたびたび、文章を書くことに挑戦してきた。
過去の記事なんかもそのひとつで、詩や日記を書いて自分を投影したり何者かになったかのように言葉を並べた。

元々言葉を扱うのは苦手だった。
語彙に乏しく、適切な言葉を探すのに時間がかかるからだ。言葉の間違いを指摘されるのがたまらなく恥ずかしく、普段使わない言葉を使おうとして意味を調べて、例文を見てから書いてみる。身の丈に合わないと思って消す。そんなことばっかりしている。

そもそも、自分の感情を正確に把握するのも苦手だ。

しかしまたこうして筆をとったのは自分にまだ可能性を感じているから。
自分にはきっと何かがある、この扉を開けた先にきっと何かがあるんだと、以前にも開けたことのあるような扉を繰り返し開けるのである。いわば「自分探し」の一環なのである。

「自分探し」なんて自分でも笑っちゃう。くだらない。
「自分が何者かであると信じてやまないバカ」と、自分俯瞰して悲しくなる。

大体の人が何者でもなくて、自分の得意分野と思ってることは他の誰かもできるようなことで…
きっと自分もその他大勢のように何者でもない、と薄々勘付いているのだ。

それでも「自分探し」をしてみるのは、自分をもっと知りたいからなのです。



自分の考えていることなんか自分で分かっていそうなものなのだが、それが不思議と分からない。みんなは分かるのだろうか。
同じことをグルグル考えているばかりで前に進まない。色んなことが頭をよぎるけど、どれが自分の考えなのか分からない。
誰かが言ったようなセリフが飛び込んできたり、それを否定してみたり。結局自分はどう考えてるんだともどかしい。いや、そんなに深くも考えていない。

しかしこうして文にしていると、少し背伸びしたり格好をつけた文を書くときに手が止まる。あ、これは自分じゃなかったんだ。俺はこんな大層なことは考えていなかったと思い至るわけだ。

ジャスト身の丈を書いていきたい。

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